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続編3:侵略後1カ月:2022年ウクライナ情勢理解の為の歴史文化背景雑学

(毎回同様、コピー、転送、シェア等、ご自由にして頂いて構いません)
当方はウクライナやスラブ研究者では無く、米国大学にてホスピタリテイ・観光経営分野で研究系博士教員をしている日本人学者・米国永住者です。ウクライナには縁があって旧ソ連崩壊後数年であった1995年から往訪しており、渡航回数は30回程度です。過去5年は年に数回のペースで渡航していました。

自分の博士研究領域専門分野ではありませんが、比較的現地情勢に詳しいので、ロシア軍侵略の1カ月前に掲題の雑学メモ1を書きました。現地に行かずに欧米メデイアを分析・評論するような日本語メデイア、或いは親ロシア派の自称コンサルタントのロシア寄りのメデイアの意見や見解が日本ではより目立つようで、ウクライナ側から見た見解に比較的に各種反応を頂いたので、侵略が始まった直後の時点で書いた続編2に続いて侵略一か月後に続編3として追加・補足をしようと思います。なお、当方はロシアにも5回程度渡航しており、現在もロシア語を趣味で勉強しており、大学院生にロシア人学生も居るので、ロシア人・ロシア文化が嫌いという事はありません。今回も自分で撮った写真と現地報道を中心に引用します。



また、主にFacebook ですが、サンデー毎日4月3日号(3/23発売)での「ウクライナ戦争の真意を読み解く」という4ページの記事に関しても、知人から質問を受けましたので、最後にQ&Aで回答一部をまとめます。

1.前2回ノートの内容と実際に起きた現実

「前回9.憶測」で述べたロシア軍の侵攻経路3つについては、どこの通りを通るかを含めて3つとも比較的正確に当たりました。

(1)チェルノブイリ原発から首都キエフ進撃ルート

ロシア軍がキエフに侵攻するにはチェルノブイリ原発経由の進撃が一番最短、と述べた経路は100%その通りにロシア軍が進撃して来ました。当方は実際に昨年11月に現地見てきているので、「ロシアがチェルノブイリ原発放射能を利用してどうのこうの」という記事は推測・陰謀の類と言えます。たまたまこのルートは平らで大きな渡河もなく、キエフ郊外まではスムーズに進撃できてしまう、その最短進撃ルートの通り道だっただけです。

チェルノブイリ原発現地写真。原子力はソ連の平和な未来を支えるという名目で多くのモニュメントが作られた時代背景が見えます。また今回のロシア軍砲撃を受けたZaparozhie原発で6基の原子炉がフル稼働している事でわかるように、ウクライナはソ連崩壊・独立後も他の3カ所の原発で合計15基の原子炉をずっと稼働させており、「石炭は環境問題で使えず、他国から天然ガスや石油買う余力無いので、戦略的に原発を継続利用している」というチェルノブイリ原発事故で怯む余力が無かった点は世界に紹介したいとガイドが言っていました。2021年11月筆者撮影。

この道だとキエフ北西のオボロンスキー地区又はイルピン地区までは進撃できてしまうと思いますと前回述べましたが、まさにその通りの侵攻ルートで過去1か月間、その地域と周辺の村を取り合っている状態です。現時点(3/28)では、ウクライナ軍が補給路の延びてイルピン地区を超えて進めないロシア軍を包囲する可能性が有ると言われており、チェルノブイリ原発からの道が日本の国道のような片道1車線の森の中を通る一本道な点を考慮すると、燃料や食料・弾薬の補給路で攻撃を受けるロシア軍側は厳しく、キエフ西側と南側から十分に短距離で補給を受けれるウクライナ側が有利に見えます。
ちなみにイルピン地区は、日本で言うと軽井沢や那須と雰囲気の似た森の中に高級住宅や低層の高級マンション、リゾートホテルがあるような場所で、自分もその地域のリゾートホテルに数泊宿泊したことがあります。

またドニプロ川東側はベラルーシ国境が更に遠いため、同じような補給問題で意外とウクライナ軍がロシア軍側を北側と東側に追いやれる可能性が出てきました。ウクライナ国境の外まで追いやれるほとではなくても、人口密集地である首都キエフとその郊外が迫撃砲の射程距離外になるだけでも、首都の士気は上がると思います。

(2)ドンバス地域

前回書いたルハンスク在住のウクライナ人にまた連絡が取れました。「今回のロシア侵攻に際して、ロシア領土に避難するかウクライナ側支配地域から遠い村に避難するように言われて、ロシアには住みたくないので村に居る。ウクライナ側が親ロシア派地域に砲撃すると、それで死ぬのは徴兵された普通の男性達ばかり。」と前回紹介しました。 ウクライナ軍に捕虜となったロシア兵に尋問するビデオが侵攻1か月で多く回付されていますが、そのうちの一つに、出身がルハンスク市という20歳程度の負傷した若者がいました。ウクライナに侵攻したのは2/24と答えた後で、軍隊にいつ入ったのかとの問いに、「2/22にルハンスク市内で2名の男にいきなり逮捕されて、翌日強制的に入隊させられて、次の日にウクライナ前線に送り込まれた」と述べており、当方の友人の話と合致します。旧ソ連時代から、ウクライナ人や非ロシア人は捨て駒扱いで最前線に送られる、これでは士気は上がらない訳です。

(3)ウクライナ南部:ロシア軍、クリミア半島からNova Khakovka, Kherson 侵攻

前回、人口28万人のKherson県庁所在地、ケルソン市への進撃まで企てた点について言及し、その後、ケルソン市はロシア軍の占領下に陥落しました。ケルソン市に来る理由はクリミア半島からの西回廊確保以外にあり得ず、そうだとするとその後、Nikolaevを制圧して、オデッサに向かい、そこからは北西に進路を変えてモルドバ東部侵攻となるはずと述べました。1カ月後に現実を見ると、ケルソン市占領後はNikolaev市制圧のために市の入り口で激戦になった所までは想定通りですが、ウクライナ軍がNioklaevを守り切ってロシア軍進撃が止まったようです。

Kherson市は当方が合計3か月程度住んでいた市で、産業としては造船業・港湾業があり、街の目抜き通り中心部にロシア帝国時代の1834年に創設された海軍兵学校があります。占領して大きな恩恵が得られる戦略的拠点とは思えませんが、クリミア半島からウクライナ本土西側に侵略するにはここを制圧しなくてはその先に行けない場所なのです。

ケルソン市中央駅。2015年筆者撮影。

「前回の7.実際にウクライナ国内を回遊して気づく国民感情と独立後の民主化」ではウクライナ人、特に東部南部のロシア語を話すウクライナ居住者の心持について述べました。この部分は日本の親ロシア派と現地に行っていない報道機関がよく間違える点です。初めて行ったのがソ連崩壊からほぼ何も変わっていなかった1995-96年頃でしたが、ウクライナ語を話す人には一度も会った記憶が無く、とにかく皆がロシア語なのでロシア語会話を必死に学んだ覚えがあります。

人々はロシア語を話していてもウクライナ人意識が高くなっているのを感じた時です。ウクライナ東部南部の人達は日常会話にロシア語を使う人が2022年時点でも大多数です。しかし、再度強調するならば、ロシア語を使う人を単純にロシア派住民だと決めつける日本の親ロシアコンサルタントとその受け売りのメデイア報道は間違っています。

過去20年程度の経済改善と欧米型民主主義の進展、そして制服を着ている警察・軍隊・役所役人の態度が優しくなり、特に過去10年程度で旧ソ連崩壊直後に依然存在した賄賂の慣習がほぼ一掃されたため、自分たちの未来は欧州型民主主義国家の方が良いと思った結果が2004年のオレンジ革命、親ロシア政策を急速に打ち出した大統領を西欧民主主義志向派が国外追放に追いやった2014年のマイダン革命(尊厳革命)だったという独立ウクライナの歴史的流れを理解しないと全体像が正しく把握出来ないと思います。

この部分がどうも実際にウクライナ、特に現在激戦地の東部・南部を実際に往訪した事のない人達が理解出来ない部分なので、別の言い方をしましょう。
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日本に来日した事のない自称東アジア専門家の欧米人が以下のような解説をしたらどう感じますか?

「日本は毎日日常会話でも本・新聞でも漢字を使っているから、全員親中国派だ。中国軍が侵攻したら漢字を使っている日本国民に歓迎されるはずである。」
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流石に少なくなってるようですが、ロシア軍侵攻前や直後には「住民のロシア語利用率」を引用して東部や南部ウクライナは親ロシア派住民だと断定していた日本人の専門家が居られたようですが、一度でも現地に行って住民と話をすれば理解できる上記の例と同じで、「まずは現地に一度でも往訪した事がありますか?」という質問をするだけで、ロシア専門家であっても、ウクライナ専門家ではないことが露見されると思います。自分が何度も往訪したKharkov,Poltava, Kremenchug, Zaparozhie(原発がある市)、Nikolaev、Odessa等、今回ロシア軍と激戦が継続したり占領下にあるKherson、Nova Khakovkaと自分が往訪した範囲では、ほぼTV以外でウクライナ語は聞いた覚えがなく、皆ロシア語を喋っています。しかし、ロシア語を喋っていても親ロシア派ではないのです。それは日本人が漢字使っていても別に親共産党中国派でないのと同じです。

Kherson市で何気なく撮影しておいた写真を見ると、ケルソン市はウクライナだという大きな看板を2015年に撮影していました。右側の帆船は帝政ロシアエカテリーナ大帝の時代にロシアが入植した時に資材等を陸揚げした時の帆船。確かこの像は、ドニプロ川の岸にまだその立像の記念碑があったはず。街ではほぼ皆ロシア語を話していますが、ウクライナ帰属意識は強いです。ウクライナ国家意識というよりは、自由で秘密警察も無く、旧ソ連時代のように賄賂を要求する威張った警察官が居なくて、小綺麗なレストランやカフェがどんどん増えたウクライナ独立民主主義国家への強い嗜好を持つ人が増えたという感じ。でなければ過去3週間程、あれほど武器無しで街の中心部である「自由広場」に駐屯するロシア占領部隊にデモを繰り返したりしないです。2015年頃筆者撮影。

では、ウクライナに住む人達(パスポートがロシアの人も含む)は何を守ろうとここまで士気高く戦っているのか? それを正確に理解する事がウクライナ問題の混乱した見解から本質を見抜く能力となります。それは前回述べたプーチン氏が本音で一番恐れる事と重複します。

以下の1分間のビデオはケルソン市の中心、自由広場での駐留ロシア軍への抗議活動。「ダーモイ」とはGo home, 「自分の家に帰れ」という意味です。


2.「プーチン氏が最も恐れるもの(本音):スラブ文化領域内の欧米型民主主義」

前回のノートに書いたように、ピョートル大帝のポルタバの戦いの再現で、ウクライナ領土を自分のものにしたいという野望は対外的に表明する取巻き支持者群に受けるカッコいい外向きの野望です。

実はスラブ民族の分家ロシアの歴史を紐解くと、専制的王制国家後に共産党独裁体制と、国民が国家代表を自由に選べて任期が終わったら平和裏に次期政権に権限移譲する欧米型民主主義の時代が未だないのです。形式的には旧ソ連崩壊後のロシアにもありましたが、プーチン氏は1999年からもう23年も大統領職(一時形式的に首相になったが専制主義で復古)ですね。ところが、試行錯誤のスラブ民族の本家ウクライナは2度の革命を経て、社会も成熟し、大統領は既に延べ6名の政権交代です。現大統領の前任ポロシェンコ氏から現ゼレンスキー大統領にも平和裏に権限移譲がなされています。

その観点で見るときれいに割り切れる公約数が見えてきます。

プーチン氏が本当に恐れているのはスラブ民族の本家ウクライナで欧米型民主主義が根付いて、それがスラブ民族の分家ロシアにも浸透する事です。

NATOの拡張がうんぬんよりも自由でフェアな選挙をしたら自分の正当性が落選で粉砕されるのが一番怖いが故に、放置しておくと民衆の嗜好でスラブ民族に根付いてしまう可能性のある欧米型民主主義が本音では一番怖いのです。故に反体制派民主主義者・反汚職活動家で46歳のAlexi Navalny氏を極端に恐れています。あまり報道されていませんが、Navalny氏の裁判がウクライナ紛争中に行われたのは、まさにそれをメデイアに報道されたくないからです。

ウクライナ在住者はソ連崩壊から3回の民衆による政変(革命と呼ばれています)を経て、今の自由な民主主義体制を勝ち取ったという感覚が強いのです。特に東部と南部を中心とし、キエフも含むドニプロ川流域都市も含めてです。

当方は1995年に初めてウクライナ往訪し、キエフの国内空港の警備兵とクリミア半島の警察官と二度も不当拘束されて結局書類も令状も無く、$20の現金を渡して解放された経験を持っています。それは1980年台に共産主義ブルガリアでレンタカー(ロシア製ラダ)を借りて、一方通行だ一時停止違反だと拘束されてやはり$10程度の現金を渡して解放してもらった旧ソ連時代の共産主義陣営共通の雰囲気と同じで、「制服を着た公務員が威張っていて腐敗している、目が会って外国人だとわかると、金稼ぎの鴨だと思って寄ってくる」、あの雰囲気です。1995年頃は旧ソ連諸国15か国のうち10か国往訪しましたが、当時はまだバルト三国でも中央アジアでもその旧ソ連の雰囲気がありました。ところが、2000年頃からはウクライナは雰囲気が変わり、2005年ぐらいからは明らかに、警察や軍隊、入国管理官が威張らなくなり、接客業の人達が微笑むようになり、過去5年程度はもう米国や日本のようなレベルの態度やサービスにどんどん変わっていったのです。ウクライナ人は過去30年ぐらいで自分たちの国が欧米日本型の民主主義になり、同時に小金を持ってそれでカフェやレストラン、ビジネス起業をする人たちが出て来て街のビルの一階が見違えるように綺麗になって行ったのを皆が見ていて、自分の国を持って自分で議員や大統領まで選挙で替えられる事が、報道や表現の自由と規律ある公務員態度と共に生活水準が向上し自由で住みやすくなった事を体感しているのです。

キエフ中央駅の西口側駅前にあるラーメン屋の店員。本当にラーメン屋に特化。日本人居住者・旅行者が少なくても、ウクライナ人は日本食がカッコいい食べ物だと感じてるためか、首都キエフだけでなく、ほぼどの地方都市でも多くの日本食レストランが存在。過去15年程度で個人起業家も国内法人チェーンも日本食レストランに参入。2019年頃にキエフにて筆者撮影。

この欧米日本型民主主義社会の過ごしやすさを自分で勝ち取った自尊心がウクライナ人が一番大切にしている事であり、言語がロシア語のスラブ文化本家で問題なく民主主義体制を構築・運営出来る事が、ウクライナで示されてきている訳です。それはウクライナ人にとっては自尊心の源であり、大ロシア帝国至上主義を心酔する専制主義者プーチン氏にとっては脅威・恐怖の源であるというのが、ロシア・ウクライナ紛争の本質なのです。

その観点で考えると、ウクライナ紛争1か月経過後の今後がいろいろと見えてきます。

3. ロシア侵攻一か月後のウクライナ情勢:憶測

過去2回の「憶測」が結果として当たっているので、2022年3月末の時点でまた新たな「憶測」を述べさせて頂きます。なお、憶測が結果として当たっているのは当方に特別な予知能力がある訳ではなく、ウクライナ各地に広く友人知人が居り、それらウクライナ人がメイル等でいろいろと教えてくれる点と、自分が住んでいた南部やよく往訪した東部の現地メデイア情報を直接見ているからです。

「各地域の今後」

(1)キエフ近隣

今後毎日情勢が進展すると思いますが、首都キエフは北部のオボロンスキー地区とイルピン地区から南側は、チェルノブイリ原発から来たようなスピードではそう簡単には進撃できないという予想は当たり、アントノフ国際空港もロシア側が自由に使えない状態です。つまりこれ以上の首都キエフへのロシア軍進撃は今後最低2カ月は無いです。ウクライナ側が数週間も持ちこたえれば「ウクライナ側善戦だという評価=ロシア軍は想定以上に苦戦」という評価になるはずですと1カ月前に述べた通りの展開です。ベラルーシ国境からの補給路が一本道で且つ3月末から4月末ー5月までは雪解けで土壌がどろどろになるので、戦車や自走ミサイル発射装置のような重量物は舗装道路を外れると、泥濘で動けなくなるというウクライナ側に大自然が味方をするので、ロシア軍敗走と動けなくなった戦車・武装車両の降伏・放棄が多くなると思います。キエフ包囲網が崩壊すると、チェルニヒブのようなドニプロ川東岸の地方都市により多くの人員を回せるようになり、基本的にキエフより北側は3~5月初めは土壌がウクライナ側に味方をしますので、ウクライナ軍ある程度は反撃出来るという、開戦前には予想しなかった事態になると思います。ロシア軍自らがウクライナ北部の雪解け期の状況を見て、地の利を生かしたウクライナ軍の反撃前に戦力温存し、東部・南部、特にドンバス地方に後日注力するために自主撤退する可能性があります。(このノートを公開しようとしたら、そういう情報が現地とCNNから聞こえて来ましたが、ロシア側の発表を信じるのが危険なのは、2月初旬にロシアとベラルーシ国境に集結するロシア軍がウクライナ侵攻するのかと聞かれて「ウクライナ侵攻はあり得ない」とロシア政府が述べていた経緯を思い出せば理解出来ます)。

大激戦地となったキエフ郊外、北西部に位置するイルピン地区は森に囲まれたリゾートのような高級住宅や低層の新しい建物が点在する場所。筆者はこのリゾートホテルに数泊した事あり。2019年12月頃。雰囲気としては日本だと軽井沢や那須のような林に囲まれた場所。たまたまベラルーシ国境からチェルノブイリ原発経由でキエフへの最短距離に位置している為、激戦区となってしまった。
キエフ郊外イルピン地区にあるリゾートホテルの風景。2019年12月頃、筆者撮影。

(2)東部

東部のスミ市、カーキブ市は比較的に周囲が平坦で且つ、ロシア国境から近いので市街入り口までは来れますが、街中で市街戦を挑むような戦力が現時点でロシア側に無いため、近隣の村から迫撃砲を民間居住地も軍事施設も関係なく撃つという酷い方法が増える可能性があります。そうはさせまいとするウクライナ側と近隣村での激戦が多くなり、迫撃砲攻撃はウクライナ軍が周辺の町村をどの程度奪回出来るかによると思います。ウクライナ側の報道は反撃の狼煙が上がったという論調ですが、物量ではロシア軍侮れず、特にロシア国境に近く補給路が短い東部は、ロシア軍が物量作戦を取りやすい点があります。対戦車携帯ミサイル等が如何に継続して大量にウクライナ西部から東部前線に補給されるかが重要ですが、驚くべき点は、侵略1か月後の現時点でもキエフからカーキブへの鉄道が運行されている点です

キエフ中央駅2階の列車情報掲示板。列車番号342はキシニエフ(モルドバ首都)からキエフ経由でモスクワ行き直通列車。14:04に10番線に到着し、14:24に出発。ロシア侵略前はこういう国際直通列車がウクライナ国内を縦横に走っていた。キエフから東部激戦地カーキブ市へは夜行寝台列車で片道8時間、昼間の電車特急ならば5時間で到着。ウクライナ国鉄は攻撃を受けても必死になって即復旧し、目的地がロシア軍に占領されていない限りは意地でも列車を走らせているとの事。2019年12月筆者撮影。
夜行寝台列車を牽引する電気機関車。客車は20両程度の長編成の場合もあり、各車両に車掌が居るような形式。キエフ中央駅にて、2019年12月筆者撮影。

(3)南部・黒海沿岸

ウクライナ南部・黒海沿岸は前述したクリミア半島からドンバス地方への東回廊だけでなく、もっと大胆な野望である、ウクライナ国境を越えて隣国モルドバ東部まで制圧する西回廊の可能性を試した点、驚きましたが、一昨日のケルソン市の現地報道画像を見ると、自由広場という庁舎群の前の広場に駐屯していたロシア兵と戦車が撤退したようです。 (但し、3/30にはZの文字をつけたロシア軍のトラックが食料を配布している画像がありましたので、まだロシア軍完全撤退したわけではなさそうですが、ケルソン市内の生鮮品市場や銀行、カフェは通常営業しています。)

ミコライエフ市の占領に失敗して、ケルソン市郊外が現時点での戦場になっているようですが、もし南部要衝のケルソン市をウクライナ側が奪還すると、プーチン氏の(建前上の)野望であったクリミア半島からの西回廊確保によるモルドバ東部侵略の予定(=プーチン氏がロシア帝国ピョートル大帝の再現を意図した夢)は現地ロシア軍がその実行を諦める事を意味する事になり、これはウクライナ今後の戦闘と戦後復興に大変大きな意義があります。

「クリミア半島からウクライナ本土西回廊確保失敗の場合のウクライナにとっての意義」

まず、戦後復興の観点では黒海への貿易港オデッサが無傷で残り、且つ対外貿易の大動脈であるキエフ-オデッサ間の高速道路も鉄道も無傷で残る事を意味し、戦後復興の為の輸出産業インフラが残る訳です。

キエフから黒海に面した輸出港オデッサに向かう高速道路にて。片道2車線の高規格道路。終点のOdessaだけでなく、ロシア軍侵攻後激戦地となっていたMikolaev, Khersonまでの距離(キロ数)が表示されています:2021年11月筆者撮影。手前がウクライナ語、奥が英語表記)
オデッサ駅。いかにも終着駅という作り。2018年6月頃、筆者撮影。2022年3月末現在の所、平常通り運行中。キエフ方面にもウクライナ西部にも鉄道網は続いている。キエフへの所要時間は夜行寝台列車で8~10時間、昼間の電車特急だと5時間。上記高速道路は、キエフとオデッサ間をほぼ直線で結ぶのに対し、鉄路は、もともと西側に大きく逸れてVinnytsia市を経由する経路故に、ロシア国境からもドニプロ川からも遠く離れて走る特徴あり。

次に今後の戦闘への影響の意義です。自分もウクライナ人のラダ(ロシア製自動車)やレンタカー借りて散々走り回った場所なので土地勘がある場所ですが、クリミア半島からウクライナ本土に行く道は大きく言って三つあります。ウクライナ側がケルソン市を奪還し、ロシア軍の西回廊への道が断たれると、高い確率でウクライナ軍はその戦力をダムのあるノバカコフカ市(人口4万人)奪還に進めると思います。ケルソン市を確保しているとウクライナ軍はノバカコフカ市を南北から挟んで攻撃できるので、その場合はロシア軍は事前にクリミア半島に撤退しなかった場合、東に逃げるしか道は無いです。

中央下がクリミア半島。ここを出て右に行くとMelitopol。そこからは北上すればザパロージエ市と原発のあるエネルホダル市に、東進すれば黒海の内海であるアゾフ海の港湾都市ベルデヤンスク市に行き更に東進すると現在熾烈なロシア軍の包囲網で食料も医療品も供給出来ないマリウポル市。
プーチン氏の野望であったクリミア半島から西に行ってケルソン市とミコライエフ市を制圧すればウクライナ最大の港湾都市オデッサを鎮圧でき、その勢いで北西にあるモルドバ東部の親ロシア派がこもるTiraspolまで侵攻し、ウクライナの貿易を止める案だったのだろうが、ミコライエフ市の防御態勢が固く、撤退。さらに現時点では西回廊の要であったケルソン市郊外でもウクライナ軍の反撃で取合い状態。つまりロシア軍西回廊確保の可能性は減少。
ウクライナ側はケルソン市奪還後、そこから東進してノバカコフカ市を奪還出来ればロシア軍がウクライナ本土に出る道はMelitopolへの道だけになる。但し、ウクライナ南部は北部ほどには雪解け期に土壌が泥濘にならない。ウクライナ側としては出来るだけ早くロシア側のMariupol市包囲網を崩して市民を助けたいはず。
今日(3/30)、3週間ぶりにMelitopolに居る知人から返答がありました。ずっとロシア軍の占領下に生活していて、物価が急上昇しており、他の近隣都市に避難も出来ないので、ロシア占領下のクリミア半島に行き、そこからロシア側に閉鎖されていないトルコに空路で逃げる事も考えているとのこと。


すると、次にウクライナ軍が追撃出来るのはその逃げ道にあるメリトポル市です。ここまで来ると、北に行けば欧州最大の6基の原発稼働中のザパロージエ方面とロシア軍軍艦撃沈したベルデヤンスク市方面に東進して反撃する機会が出てきます。

ここで、実際に行かないとわからない重要な点があります。それはノバカコフカ市からザパロージエ市の間250キロの距離ですが、ドニプロ川の川幅が広すぎて250キロ間、川を渡る橋が一本もないのです。つまりメリトポル市から北進して原発(エネルホダル市)近隣に居るロシア軍に向かって進撃するとロシア軍は逃げ道がなく、食糧燃料弾薬尽きて大量投降になる可能性があります。それは魅力ある戦術ですが、人道的には既に市民5千人が亡くなった完全包囲されているマリウポル市の解放のために黒海沿岸を東進すべきという判断も理解出来ます。ケルソン市奪回後、ノバカコフカ市とメリトポル市を奪還しそこを制圧しておくと、ザパロージエ原発付近のロシア軍は攻撃しなくても崩壊する可能性があります。


ザパロージエ原発とザパロージエ市は少し距離があります(乗り合いバスで50分、車で30分)。ザパロージエ市は工業都市ですが、古い建物を改装したTeatralnyホテルがあり、中は新しく欧米のホテル同等の水準です。2019年12月頃筆者撮影。
ザパロージエ市にあるホテルのフロント従業員。1995年に初めてウクライナ来訪した時は典型的なソ連型のホテルしかなく、従業員の笑顔を見るのは稀でしたが、その後の民主化とともにホテルや街並みは綺麗になり、人々にサービスの概念や微笑みがごく普通に出るようになりました。2019年12月頃筆者撮影。

「ロシア側の憶測とウクライナ側の対応選択肢」

失敗であった旧ソ連制度にかわる魅力ある統治体制や文化を後継者であるロシアが生み出してウクライナや旧ソ連諸国・東欧諸国をそれで魅了すればよかったのですが、ロシアはソ連崩壊後、欧米型民主主義にかわる価値観や制度を提示出来なかったが故にウクライナ等旧ソ連諸国や東欧諸国の自由な民意を失った訳で、それを軍事力で奪い取って言う事を聞かせるという野蛮な18世紀ロシア皇帝の態度には、東欧諸国もウクライナ大統領も各国国民も魅了する事は不可能な訳です。ロシア国内で反戦デモが散発的に起こっているのは皆様ご存じのとおりですが、前回も述べた点再度強調しますが、ロシア国内側で唯一プーチン氏に圧力をかけることが出来るグループは兵隊の母親達、特に息子が戦死した母親達です。

友人知人が多く思い入れの多いウクライナですが、将来的に後悔しない打開案には、大変個人的には悲しいですが、「自国民死傷者は出ても自国防衛のために戦い、駐留ロシア軍の死傷者増加によるロシア国内世論の戦争反対論が撤退への大きな社会的圧力をかけるまで忍耐する」という方法になってしまうかと思います。ウクライナ側は負ければ国が無くなるというフィンランドや台湾、イスラエルと同じような背水の陣で1カ月戦ってきて、大方の予想以上に善戦したという評価になっていますが、ウクライナ側にとって圧力がかかるのは、マリウポルを筆頭にカーキブ、スミ、チェルニヒブ等のロシア軍に包囲されたり、近隣村の迫撃砲攻撃範囲内の村を占拠されて、民間人への無差別爆撃で民間人死者が積みあがる点です。ロシア側もウクライナ側も双方とも停戦への圧力はかかっていますし、お互いに相手の弱みを知っている状況でお互いに相手の弱みを攻撃している状態です。


4.「世界各国国民がするべき事と世界民主主義国家の集団的決断の誘発方法試案」

前回も述べましたが、18世紀のロシア帝国主義懐古の皇帝願望者が21世紀に出現したことで不意を取られた欧米日本の民主主義国家国民は21世紀の道具であるSNSで国際世論形成を図るべきで、最も理想的な結果は、ロシア国内での反戦運動がアフガニスタン紛争のように高まり、戦闘継続が出来なくなる事でのロシア軍撤兵です。「限定軍事行動の目的は達成されたので撤退する」程度の負け惜しみは言わせて、逃げ道を作ってあげることが専制国家の独裁者には必要です。

因みに、ソ連のアフガニスタン侵攻はその9年間(1989-1989)でソ連軍兵士14,453名が死亡しています。アフガニスタンムジャヘデイーン(ゲリラ解放軍)側は総死者56,000名と推定されています。2008年のロシアグルジア紛争のロシア軍側死亡者数は67名でした。前回5千人という数値を出しましたが、現時点で実数は7千から1万7千人と推定される一方、ロシア側正式発表では1500名程度だけと発表されていますので、まだ戦死者の母親の政府批判は大きくは表面化していません。ロシア国内世論を動かすのは実数ではなく、ロシア国内でのロシア兵死亡者数の認識である点の理解が重要です。

今回、特に火が付きそうな話題は、プーチン氏が公式に「特殊作戦には徴集兵は派兵されていない」と言いきってしまった点でしょう。徴集された兵士は20歳前後の若者で、彼らの母親も比較的に若く、まだ自分のかわいい子供だという意識が強く、且つ少子化の影響で一人息子が多いのに、ウクライナで死亡したり捕虜になっているロシア兵には徴集された若者兵士が多いという実態があります。このプーチン氏の自国民、特に一人息子の母親達への嘘が表面化した際には、国営放送で言い切った手前、20歳前後の徴集兵がウクライナで戦死したという矛盾にどう対応するのか、軍の関係者のせいにして自分の責任から逃げると、流石の国営放送信奉者でも矛盾に気づき、怒り泣き叫ぶ母親を支持する国内世論が盛り上がるはずです。反体制派や民主主義者は平気で暴力的に抑えても何とも思わない警察も、スラブ文化の影響で母親達、特に息子が戦死した母親達を手荒には扱えないのです。

 ウクライナ側の捕虜となった若いロシア軍兵士。(英語の字幕あり)。


5. 質疑:よくある質問や誤解への当方コメント

 主にFacebook ですが、サンデー毎日4月3日号(3/23発売)での「ウクライナ戦争の真意を読み解く」という4ページの記事に関しても、知人からよく質問を受けましたので、ここに一部をまとめます。

(1) ロシア派占領下に堕ちたクリミア半島とドンバスの生活水準はその後どう推移しているのか

これもあまり欧米メデイアに取り上げられていませんが、ウクライナ側善戦の背景にある重要な事象があります。それは2014年以降ロシア勢力下に堕ちたクリミア半島とドンバス地方のルハンスク市とドネツク市での経済状態が改善していない事と統治事情を東部南部のウクライナ人達が親類や同僚を通じて想像以上によく把握している事です。クリミア半島ではあまりに経済状況が改善しないので、人々が100年以上前に消滅したロシア皇帝時代の慣習であった皇帝への直訴をプーチン氏に対してするというのが過去数年流行っていて、それを知っているウクライナ人は失笑しています。(ロシア占領下のクリミア半島の独立系メデイア:最初の1分程度見れば雰囲気はわかります)。

当方も自分の車や鉄道ででクリミア半島何回か往訪しており、道路状態はウクライナ本土のケルソン市とそう変わらないというのが10~15年前のイメージでしたが、2014年のロシア占領以降は、占領ロシア軍はクリミア半島をロシア北西の飛び地カリニングラード同様にロシア軍のミサイル配備場や軍需品貯蔵庫とする事に注力し、その分道路舗装等の民間部門に資金が行き渡っていない状況です。またロシア侵攻前にブームだった観光産業はロシア侵攻後は売上は1/2-1/3に激減と報道されています。

ドンバス地方は元々はモンゴル帝国の流れを引くクリミアタタールの支配終焉後、ウクライナコサックが入植した肥沃な土地で農産物が豊富故に人口密度が比較的に高い地域だったのですが、19世紀のロシア帝国工業化の時期に石炭が見つかり、工業化の中心となってロシア帝国全域からの移民者が多くなった歴史的背景があります。2014年以前には、ウクライナが主催した2012年の欧州サッカー試合の3試合を開催した5万人収容可能なサッカー競技場を新設したり、経済的な活力のある産業都市だった訳です。ところが2014年の親ロシア派占領後は人口は半減しウクライナ側の数値では地域GDPは1/3に激減しています。ドンバス地方から見て北西350キロ程度にあるカーキブ市にはドンバス地方からの避難民が多いのですが、似たような元重厚長大産業工業都市の色彩があり、ロシア国境が近いカーキブ市はIT等の新規産業成長に舵を切り、大学が多いために若者の起業家が多く、ドンバス地方からの避難民を吸収したため、生活水準と就業機会が上昇しています。親ロシア派に占領されなければドンバス地方もカーキブ市のような生活水準向上が出来たのにと言っている人達と話したことがあります。

ウクライナ人とウクライナ在住者(ロシア人含む)が現在ドンバス地方を占領している親ロシア派の「ルハンスク人民共和国」「ドネツク人民共和国」を嫌悪している主因は、経済不況よりもその統治体制です。「旧ソ連時代、しかも1930年台のスターリン時代のような秘密警察が威張る強権体制で批判的な意見を述べると突如失踪して後日森で死体が見つかる」。当方では真意は確認出来ませんが、類似の話を2回カーキブ市で聞いたことがあります。ウクライナ人はロシアの侵略に降伏すると100年前の悪夢のソ連共産党独裁体制に戻されて苦汁を飲まされることがわかっているので、皆自ら勝ち取った主権と民主主義体制の為に徹底抗戦するという点を理解すると、今回の全体像がよく見えると思います。

(2)世界でのロシア親派の発言の背景と日本の状況

何でも自由な意見を表明出来て、しかも発言を理由に秘密警察が令状無しに反政府的意見表明した人を逮捕・拷問する事が無い、自由な民主主義体制の有難さを日本人が感じることは滅多にないでしょうが、現ロシア、共産主義国やウクライナ内自称人民共和国内では日本人が当たり前に思っている自由な社会が存在しない訳です。

「喧嘩両成敗」や、「人命最優先での即時停戦」を訴える人達が日本に居られると思います。情報収集、まずは自分で第一次資料を確認するという作業が基本です。国際司法裁判所、3/16付けでドンバス地方で虐殺行為があったというロシア側の主張に関して判断を下し、結果として証拠の無いロシア側の主張に対し、ロシア側の即時停戦を命じています。

https://www.icj-cij.org/public/files/case-related/182/182-20220316-ORD-01-00-EN.pdf

当然にロシア側が言うウクライナ側による虐殺の証拠もなく、国際法上の自衛権行使をしているウクライナ側が非難される理由が無い事が第一次資料を見れば理解できるはずです。最近ではGoogleで英語の日本語訳も即、無料で出来ます。

では、世界でどういう人達が、一次資料を確認せずにロシア側情報に引っかかっているのか? 当方が24年間居住する米国は欧州諸国と類似で構造は日本よりもずっと単純です。英文記事を2つ添付しておきます。

Pro-Putin Disinformation on Ukraine Is Thriving in Online Anti-Vax Groups – Mother Jones

Right-Wing Ultra-Nationalists Are Putin’s Useful Idiots (yahoo.com)

つまり、米国の場合は過去にトランプ支持派でワクチン懐疑派の人達がロシア側のプロパガンダに騙されやすくプーチン支持派と成り易いという報道だけでなく、学術論文もあったと思います。

報道機関で言えばFoxNewsのような右派報道機関の一部のアンカーとそれより極右の信憑性が低いメデイアしか見ないような人達がロシア情報機関の餌食となっています。属性で言うと米国では一般的には白人・男性・高卒・ピックアップトラックに乗っている人達というイメージです。但し、共和党もさすがにウクライナ紛争の件では、親トランプ派から主流派が伝統的な共和党外交の姿勢に回帰し、共和党支持者も圧倒的に厳しいロシア経済制裁を支持する点で極右支持者以外は全員一丸となって、トランプ支持派も多くが伝統的な共和党政策支持に流れ、結果として誰が極右なのかが見えやすくなっています。(Fox Newsは伝統的に中道右派で、Tucker Carlsonのような極右のキャスターも居ますが、戦争報道に関しては米国陸海空軍の退役将校クラスを解説者として招待し、戦場の分析に関しては役立つ情報を提供しているので当方もよく視聴しています。中道左派のCNNは現場からの現地特派員報道が得意ですので、どちらも見る事でバランスの取れた視野が確保できます。)

Source: https://adfontesmedia.com/static-mbc/?utm_source=HomePage_StaticMBC_Button&utm_medium=OnWebSite_Button
米国では各メデイアが左右の座標で何処に居て、信憑性では上下の軸で何処にあるのかをチェックできる一覧表があります。詳細はオンラインで引用先から購入出来ます。For
 details of this chart, please contact the quoted source for purchases. 

上記メデイアバイアス表を見ると、左右両極端に行けば行くほど信憑性が下がる事がわかります。これはバイアス防止訓練・教育を受けていない場合は、自分を律しない限りは、右翼なり左翼なりの過激な意見や信憑性の低い報道に少しずつ引き込まれていく危険性がある事を示しています。QAnon のような陰謀論者は一番右下の情報をベースに生息するというイメージです。

当方は日本に住んでいないのですが、ウクライナ紛争において親ロシア派を構成している日本国内の人達は、米国のような極右だけでなく、極左も、それから伝統的な反米機運を持つ人達も、陰謀論者も、またそこそこ教育水準が高い人達も親ロシア派のプロパガンダをシェアしているようで、恐らく西側民主主義国G7の中で自分で第一義情報を確認せずにシェアするというロシア情報側の活躍による成果が目立つ結果になっているように見えます。

では他国の情報筋が流すプロパガンダやデマ情報、そしてそれを熟考せずに自分の判断力をオフにしてシェアする日本人を少なくする方法はあるのでしょうか? 

米国の州立大学ではInformation Literacy (情報認識能力)という学部生向け訓練プログラムがあります。これは21世紀の誰でも自由に情報を発信出来る環境で、如何に偽情報を識別して、より広い視野で事実を自分で確認する姿勢を育成する事を目的としており、例えばメデイア情報はどのメデイア社は左右と信憑性においてどの次元にあるのかという点も教え、一つの情報源に固執するとどんどんと信憑性の低い情報源で自分の思い込みを確認するという状況に堕ちるというような教育をします。一般的に、教育水準の低い人ほどGoogleを利用して自分の極論をサポートしてくれる情報を探す過程で、左右極端の偽情報に落ちやすいので、そのリスクを認識するだけでも情報認識能力は上がるという訓練です。日本も米国のように大学の一般教養レベルでInformation Literacy (情報認識能力)を教える必要を検討する時期かと思います。


(3)即時停戦の意見について&侵略者が専制国家である場合の敗戦が意味するもの

他国と比較して日本で相対的に比率が高いように見えるのが、「人命優先・即時停戦」の唱導です。もっとも重要な当事者であるウクライナ国内ではこの意見を述べる人の比率は安全な所から意見を述べる日本より遥かに少ないです。何故でしょうか?

理由は二つあると思います。

一つ目は日本が唯一正式に敗戦した経験である太平洋戦争の記憶です。まさに標本数1の自己経験です。原爆や東京大空襲等の大量民間人殺戮もありましたが、結果として民主主義国である米国主体の攻撃に降伏した日本は、敗戦後は天皇制も維持が許され、経済復興も受けて、結果としては「早く降伏すればここまで戦死者が出なかった」という経験をした訳です。民主主義国に降伏したが東京裁判等を除けばそのような寛大な復興支援を受けた経験があるので、その枠組み内に留まる限りは「反戦・人命優先・停戦」がより正しいという判断になるのは理解出来ます。

但し、標本数1というのは、対外的普遍性(External Validity)の観点では当然疑問視されます。

専制主義国家体制に無条件降伏した場合は何が起こるのでしょうか? 国家はなくなり、王制(天皇制)を含めた政治体制は暴力的に廃止され、戦勝国の領土の一部になるか、自治区という名ばかりのミニ専制主義国家体制が設置されるでしょう。それは過去の歴史による論理的な推測です。

ウクライナ人を祖先に持つロシア人が比較的に極東に多いのはなぜでしょうか? 
ウクライナ人が自ら移民希望した訳ではなく、1930年代から40年代にかけて反ソ連統治運動の報復として人工的飢餓状態であるホロドモール(飢餓虐殺)で1千万人超が死亡し、生き延びた多くのウクライナ人が農業が得意な点に着目されて、ソ連指導部により強制移住されられた、主権が無い民族の悲劇の歴史があります。自分の国が無くなり、国民は何千キロも離れた場所に強制移住されられます。
同様に歴史的にクリミアタタール人としてモンゴル帝国の血統を引継いでいたタタール人もロシア人入植のために、数百年住んでいたクリミア半島から現在のウズベキスタンに強制移住させられ、極東の朝鮮系族も中央アジアに強制移住させられ、また歴史的に開拓民としてロシア西部河岸の農業地帯に移民していたドイツ系人種は、カザフスタンやウラル山脈東側に強制以上させられている歴史があります。

極めつけは旧ソ連の歴史の当初、ロシア帝国ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ二世とその家族の最期です。日露戦争・第一次世界大戦の敗戦もあり、反王朝気運が高まっていた時期に廃位させられ、最後はエカテリンブルグの地下室で裁判も無くボルシェビキ共産党軍隊に朝2時に起こされて一家まとめて銃殺され、遺体も後日崇拝の対象にならないように処分されています。自分の国の自分の言語を喋る自国王朝にそういう対応をした専制国家指導者に対して日本が無条件降伏していたら日本に何が起こっていたか想像して頂くと、「人命優先・即時停戦」が常に国家国民にとって正しい選択なのかという思考が働くと思います。 (4分弱の映画場面があります)

フィンランドは50倍の人口を持つソ連の侵略に他国の助けを得ずに独力で撤兵させた歴史があります。負けたら国・文化・社会が無くなるという認識を持ち自国の自由を守るために戦い、戦死者数では侵略国ソ連はフィンランドの7倍の犠牲者を出して撤兵し、フィンランドの自由独立は守られた訳です。首相は女性、教育制度は世界トップ、政治体制は民主主義国であることに誰も異存はない軍国主義のイメージからは遠い平和な国にはそういう忍耐の歴史があるのです。なお、フィンライドでは徴兵制は無くても、今でもSISUというスローガンの元、全国民老若男女問わず全員にライフル銃射撃訓練があります。それが軍国主義に結びついておらず、民主主義で啓蒙的な政治体制を持つ自国防衛力を維持するために全国民への義務として訓練が存在します。

ウクライナ、台湾、イスラエルやバルト三国、グルジア等とフィンランドの最大公約数は何か、考えてみてください。
専制主義国家に侵略されて自国領土を占領され、国内に侵略国の戦車が居る時点での和平交渉は占領地が奪われる(=武力で国境が変更される、自国民が他国に飲み込まれて文化・歴史は抹殺され二流市民として扱われる)事の容認であり、それは専制主義国家の他国侵略の目的なわけです。そのような国家存在権をかけて自国防衛をしている国家に「人命優先・即時停戦」と言うのは、普遍性のない標本数1の自己経験に基づく自己の価値観の押し売りであり、悪気はなくても失礼な発想だということが、これら国々の立場から俯瞰する事で初めて理解出来ると思います。

二つ目の理由は、内戦・内乱との枠組みの混同です。ルワンダやカンボジア、旧ユーゴスラビア、レバノン内戦、リビア内乱、シリア内戦、イエメン内乱等の紛争はまさに「人命優先・即時停戦」を外部から訴えて、結局無駄死にするだけだという歴史上の多くの結末を理解してもらうより有効な手立てはなく、また頻繁に外部諸国家の代理戦争状態になっていて、「皆コマとして使われているだけだぞ」、という部分が理解されて厭戦気分が広がるか、外部諸国家が代理戦争に興味が無くなり、武器弾薬の供給を止めれば、銃声が止まる訳です。専制国家に民主主義国家が一方的に侵略されて、自国の存在権・文化・社会・家族・子孫のために戦うという枠組みとは根本的に異なる訳です。

(4)前回のロシア兵母の反戦運動モデルについて補足

続編2では、反戦運動モデルは自分の頭の整理のために書いたメモでしたが、絶対戦力で圧倒的に劣るウクライナ側が欧米民主主義国の直接戦闘援助を得ずにロシア軍に対峙する場合は旧ソ連のアフガニスタン侵攻時のように時間経過とともにロシア軍側に被害が増えて戦死者の肉親(特に母親)からの反戦機運が盛り上がって世論を動かす事が効果的な方法だという点、ますます確信します。

1カ月前の「続編2」で書いたもの再校。既にプーチン氏側の「銃口突き付けて有利な条件で早期停戦」の時期は過ぎ去り、駐留ロシア軍死亡者(死傷者と書いていましたが、死亡者です。すみませんです。)は実数では1万人超え。しかしロシア国内では1500名程度としか発表されておらず、それが情報統制下のロシア国民の認識。ウクライナ側は民間人死傷者数が増加しており、特にロシア軍の包囲網に堕ちた南部Mariupolの状況は悲惨で現地市政府発表の推定で5千人死亡。
今後時間が経過すると、ロシア駐留軍死亡者とウクライナ側死亡者が増える。両国側のリスクとして記載した部分(下線部)を1か月後に俯瞰すると、ウクライナ側の早期停戦による亡国・主権喪失リスクはほぼ無くなり、自国民死傷者増加だけが残るリスク。一方ロシア側は1カ月前に記載したリスクはそのまま存在。

アフガニスタン侵攻時やチェチェン紛争鎮圧時と異なるのは21世紀で多くのウクライナ国民がスマートフォンを保有し、即動画や写真を世界に向けてロシア軍の蛮行をアップロード出来る点。それで国際世論、特に欧米日本等の自由な民主主義国家の国民世論を対ロシア抗議・より腰の入った援助に仕向ける事が必要でしょう。 専制主義国家によくある世論統制、1カ月で確実にヒビが入ってきています。現時点ではまだ自国軍の戦死者1500名程度というのがロシア政府の発表ですが、ウクライナ側の発表は既に一か月でロシア軍はアフガニスタン侵攻10年の総死者数を超える1万7千人が死亡したと推定しており、その数値が戦死者母に伝わると強烈な反戦運動となるリスクが存在します。ロシアの母と息子の関係が他の国での母子関係よりも断然に強いのは当方も実際に家族の関係で経験していますので、標本数1の自己経験ではありますが、これは確信を持って言いたい点です。

6. 付録---------

特に本文とはあまり関係ないですが、戦場写真以外のウクライナを見て頂ければという意図です。

(1)ウクライナレンタカーとガソリンスタンドでの給油情報

ウクライナをレンタカーで走り回る場合、空港内に事務所のあるレンタカー会社が便利です。キエフ・ボリスポル国際空港にはいくつかの欧米系会社があり、当方は米国系のBudgetを使いました。この車は日産のカシュカイという1300㏄にターボチャージャーがついている車でした。料金は一日US$40程度です。
ガソリンスタンド、これは最初は不安だと思います。基本的にセルフは無いのですが、一つのしきたりがあります。
まずポンプ前に停めます。そこでエンジン止めて、まずは建物内のレジに向かいます。そこで「ポンプ2番(上に書いていますね)、フルタンクで」とロシア語で伝えるか、身振り手振りで「満タンね」と言うと「どれ?(93とか91、89,87とかのオクタン価があるので、希望の種類の数字を伝えます。)。はい、で、どうやって払うの?」と聞かれますので、その時点でクレジットカード見せるか、現金の入った財布見せるとレジ係がポンプの機能をオンにしてくれます。ポンプがオンになると写真奥に見えている外の係員が給油作業をしてくれます。義務では無いですが、給油作業終了時に少額の現金をチップとして給油係に上げると喜ばれます。20~30グリブナ(UAH:日本円で80~120円程度相当)を渡していました。

(2)運転とカーナビ

さあ、運転です。米国と同じ右側通行ですので、当方は違和感ないのですが、日本からの場合は最初の5分程度は少し大変だと思います。当方はオプションのカーナビは最近は必須です。ケルソン市からクリミア半島に何度も行った1990年代は、こんな便利なものは無く、紙の地図(ロシア語)見ながら交差点前後で止まって通りの名前確認したり大変でしたが、今はこれがあるのでお勧めします。このレンタカー会社はGarmin製のを使っていましたが、英語表記とロシア語表記が混在していました。知らない場所でも自由自在に運転できますが、ウクライナでは突如工事中になって迂回路も何も表示無しという事態はあり得ます。これはカーナビ画面ご覧頂くとわかるようにドニプロ川を横断する橋です。川幅が広いのでそう橋が多くないので、ちょっと緊張します。
ウクライナ中部クレメンチュク市の国道E-50号線にて2021年11月筆者撮影。

 (3)道路工事中の一方通行

これは日本でも米国でもありますが、突如道路工事現場が前触れもなく出てきます。係員が居るし、このような簡易信号もあるので、指示に従えば問題ないです。高速道路や高規格道路以外は田舎に行くとこのようなレベルの舗装(左車線)が多く、こうして舗装工事をしてもらうと次回は楽になります。遠くを見ると一直線で回りには大草原しかない台地が続きますね。ドローンで上から見ると簡単にロシア軍戦車攻撃しているように見えますが、地面から見るとこういう一本道で道路外れたら全く走れません。且つ雪解け時にはウクライナ北部はこれが泥沼のようになるので、ますます道路から離れられないというのが感じられるかと思います。
ウクライナ中部の国道E-50号線にて2021年11月筆者撮影。

(4)チェルノブイリ原発ツアーその1

チェルノブイリ原発ツアーでは、原子炉現場視察だけでなく、ソ連の原子力学者、物理学者というエリートが住んでいた隣接する当時は皆が羨ましく思った近代都市プリプヤット市も訪れます。そこでは当時の写真を現在の姿の前に比較し、多くの物語を教えてくれます。「突如、3時間以内に最低限必要なものをまとめて全員避難してくれ、でも3日後にはまた戻れるからと言われて家族や子供は最低限の荷物だけ持って1000台以上のバスでキエフに移動しました。その後30年以上経っても、誰も戻る事は出来ていません」。

(5)チェルノブイリ原発ツアーその2

「チェルノブイリ原発近隣の土壌は舗装道路面と異なりまだ放射能量が多く危険だ」とガイドが注意してくれましたが、現在ロシア軍はベラルーシ国境からキエフへの最短距離だという事で、道路以外の土壌も戦車や軍用車で防護服もマスクも無く好き放題に走っていて、ウクライナ科学者が注意したが、まずチェルノブイリ原発付近が危険だということも知らない若者が多い、のだそうです。

(6)ウクライナの正月とクリスマス時期その1

スラブ文化の正教会ではクリスマスの時期が西欧や日本と異なり、1月7日なのです。故に、年末の各地方都市では一番大きな広場に大きなクリスマスツリーを飾るのが一般的です。そしてまずは大晦日と新年を祝い、そのまま1月7日のクリスマスに突入するというのが慣習です。故に例えば2021年12月24日にクリスマスだよねと言って町の広場に行くと、飾りつけはあるがあまり人が居らず、既に翌年の飾り(2022年)があるという事になります。基本的には家族で祝う時期で、主役は子供という感じで露店や子供向けのゴーカートのような移動施設が広場に集まってくるという雰囲気です。クレメンチュク市にて2021年12月、筆者撮影。

(7)ウクライナの正月とクリスマス時期その2

こちらはキエフのUNESCO世界遺産であるソフィア聖堂前の広場です。昔から正月とクリスマスに一番人が集まる場所のようでこの広場には多くの露店が出ます。キエフにて2022年1月、筆者撮影。

(8)ウクライナの正月とクリスマス時期その3

キエフのソフィア聖堂前の広場に並ぶ露店。日本で言うと東京浅草のような雰囲気です。2019年1月筆者撮影。

(9)ホテル・レストラン部門勤務のスタッフ

ザパロージエ市にあるホテル、テアトラルニの朝食時に居たレストラン部門従業員。最近はウクライナにホスピタリテイ経営学部が増えているらしいですが、当方はそちらはまだコンタクトは無いです。
2019年12月頃筆者撮影。

(10)情報収集源:友人知人

当方の情報源としては欧米系プラス現地のメデイアをチェックする事は重要ですが、多くの現地の知人友人からの話はとても貴重です。30名程度居る内で現在20名程度は連絡が付きます。ロシア国内に親類縁者が居るウクライナ人も多く、クリミア半島やドンバス地域のように本来ウクライナ領なのに今はロシア占領下になってしまった従妹や叔父叔母と連絡を取っている人達もいるので、彼らはどこは景気や物価、治安がどうだ等の微妙なニュアンスがわかります。また東部南部の都市出身者は他の都市をどう見ているのか、西部、例えばLviv出身者はロシア語しか話せない東部や南部のウクライナ人をどう見ているのかという活字に出ないニュアンスは、現地の友人知人の話を多面的に聞くのが一番理解出来ます。2022年1月キエフにて筆者撮影。


大変恐縮でございます。拙文、宜しくご笑納頂ければ幸甚です。原 忠之(はらただゆき)