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【散文】短歌メモ:歌集を買ってみて

前回の経過観察では、短歌に迷いが出てきたことを書いた。迷いが出てきたときは、もがくこと・迷うこと・探ること・視点を変えること・基本にたちかえること・いろいろな別のものに触れてみることなど、実は変化のチャンスのとき。けれど、まず、短歌に関しては基本はないし、始めたばかりなので経験も積み重ねもない。なにか強い信念があるわけでもない。

それでも、迷うきっかけとして、歌集を買うことになり、多くの歌人の歌に触れることになった。

とりあえず、10冊買った。

初心者はアンソロジーが良い、とネット検索では出てきたので、アンソロジーを2冊。そのほかは、通常の歌集。

そもそも、歌集は市場に流通する数が少なく、そのため、中古がない。あっても値段が下がっていない。どうやら、初版の数が少ないようだ。短歌界でも有名どころならば中古もあるけれど、そのほかはない。これは詩集も同じだけれども。(ネット検索では初版500~1,000冊のようだ。)

そして、有名な方々でも歌集はそんなに出していない。歌集以外のもの(エッセイなど)や共著とか、中には小説を出している人もいる。歌集と詩集の組み合わせはあまり見かけないようだ。

全部は読んでいないけれど、手に取ってみての感想。


内容の半分もわからないよ!!


短歌を始めてなかったら、1割もわからなかっただろう。歌集とはそういうものなのかもしれない。短歌を詠む人向けであって、短歌やらない人は手に取らない。

もちろん、歌集の中では売れている本はあるし、ベストセラーもある。

サラダ記念日も買って読んでみた。
(280万部売れたらしい。これは中古で買ったけれど、
1987年5月8日 初版 
1987年8月10日 153版
だった。 見たことない数字。)

これは短歌をやっていなくても、読める。

売れる歌集は短歌をやらない人でも買っているパターンが多いのだろうか。

実は短歌を始める前に歌集を買ったことはある。ひとつは石川啄木、もうひとつは食器と食パンとぺン。

石川啄木も短歌をやっていなくても読めたし、伝わってくるものがあった。

食器と食パンとぺンは、イラストメインで買った。短歌入口ではなかった。この本はアンソロジー系だけれども、短歌をモチーフに絵がかかれていて、この絵がなごむ。正直、短歌のほうがよくわからなかった、というのが感想だった。今だったら楽しめるけれど、短歌をやる前はまったくわからなかった。

最近はわかりやすい短歌が流行り。とくにネットの短歌はその傾向があるし、NHK短歌もそうだし、募集している公募系もそうなのだろうか。流行の要因はコロナ禍だけでなく、業界全体としての流れを作った人たちがいたのだと思うし、31文字なので、参加しやすいというのもあると思う。

そういったわかりやすい短歌たちとは歌集の短歌は違った。正直、読み方がよくわからなかった。わかるものや好みの短歌には時々出会うのに、全体としてみたら、わからない短歌のほうが多い。

またもや、ネット検索してみると、どうやら地歌(じうた)、秀歌があるとのこと。連作として構成されているので、物語のように流れを地歌が作っている。その先に秀歌があるようだ。小説でいうところの地の文に相当するのだろう。しかも、起承転結の承の部分。そのあたりの地の文。

以下の記事で説明してくれています。

いろいろな短歌に触れる機会になったけれど、もし勉強するならば、もしかしたら雑誌系のほうがいいのかもしれない。それと買ったのはここ最近の書籍ではないので、読み終えたらここ数年の歌集も買ってみたい。

歌集を読んでから、さらに迷うようになった。

アンソロジー系は短歌だけでなく評であったり解説のようなものがあったりして、それではじめて知ることも多く、いろいろと勉強にはなるけれど、アンソロジーを読めば読むほど迷いの森へと入って行くようで。これは本当に初心者向けなのだろうか。いろいろな世界を見れるのでそれはそれでいいけれども。

前から読んでみたかった「たんぽるぽる」は読了している(著:雪舟えま)。歌集ではめずらしく電子書籍で売ってた。これは結構すらすら読めるほうだと思う。たんぽるぽるがいつ出てくるのか、とたんぽるぽるおあずけ状態で読み進めた。後ろのほうに出てきた。今回は短歌を追うだけだったので、もう一度読んでみようと思っている。

歌集を読むにしても、日々短歌を詠むにしても、楽しさや感じたものに素直になってやることを第一に。

歌集読み始めの現時点でのメモ。

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