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宇宙背景放射

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#小説

宇宙背景放射 下

宇宙背景放射 下

 誰かになりたいと望むことは、恐らくはその他人に対するもののなかで、最大の親愛の証の一つであろう。惟子も今しがた、芳香との同化の果てに母親の時代へ回帰したいという嬰児退行の夢を見た。そしてまた恐らくは人は、斯様な自己を介した透視術によってでしか、他者を見ることも能わぬのであろう。然あれば、人は、凡ゆる愛と名の付く感情に於いて、自己愛を介してでしか、その愛の情を果たすことも叶わぬのであろう。初めから

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宇宙背景放射 中

宇宙背景放射 中

 最上部に天文台の丸い天井を戴いた旧校舎の内部階段は踊り場から心持張り出した窓下に、新校舎の陰になった嘗ての花畠を見下ろすことができる。そこを登りながら二人は、窓外に眺むべき何ものもないこの暗い濁った用無しの窓硝子に一切注意せぬようではあるけれど、内部から透過して見える蔦の節の痕だけが残った時間のしがらみのような穢れた模様に一瞥だけをくれて、本人らも意識せぬその心理の奥深くに、少しく不快を募らせる

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宇宙背景放射 上

宇宙背景放射 上

「宇宙の終わりについて、科学の教える黙示録には、いくつかの異なるシナリオがあるの。でもね、終わり方なんて、わたしにはどうだって良いことよ。そうに違いなくて?」
 死が怖いという芳香に、惟子はこんな話をして聞かせた。
「惟子ちゃん。あなたは死ぬのが怖くないのかしら」
「わたしには分からないわ。芳香さん。お話には必ず終わりがあるけれど、良い終わり方と、悪い終わり方とがあるでしょう? 人生も、宇宙も、同

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