Two of Us / contradiction ~ 矛盾 ~
戯れあっている様でもあり
喧嘩している様でもあるキツネ
title: Two of Us / contradiction ~ 矛盾 ~
絵のメッセージは観る人それぞれが受け取るものだからどちらも正解。
そして分からないという答えもまた正解。
「ソクラテスに勝る知者はいない」という神のお告げを聞いたソクラテス。
しかし「自分が知者ではないことを知っている」ソクラテスは、世の中で知者と呼ばれている人たちを訪ねてみたところ、「本当は知らないのに知っていると思い込んでいる」彼らをみて、自分の方が賢いと悟ったという逸話「無知の知」がある。
知れば知るほど偏る視点によって、柔軟だった心を硬くすることがあり、それまでの学びの労苦が多いほどに抜けずらい知識沼があるとするならば、ソクラテスのように「知らないことを知る」という謙虚な境地以外に真の知者の道はないのかもしれない。
我こそは知者であると言わんばかりの方々(ソクラテス曰く知者ではない自称知者)の声がテレビやネットから呪文の様に繰り返される時代において、刺激的な情報の影に、喉越し重視の作る側の意図が透けて見えても、とりあえず鵜呑みにしたくなる「虚構の知性」が人間には確実にあるとソクラテスの教訓からも学べる。
あえて耳を塞ぎ、目を閉じて、静かに深呼吸を繰り返せばやがて我に返る今ここ。
思考縛りの酸欠脳も次第に息を吹き返し、再び降りて来る直感とインスピレーション、そして他者を愛する心のゆとり、すなわち幸福感。
表の情報から一旦距離をとり、冷静になって再度見てみたら、まさかの矛盾が炙り出されてくることもあったりして、裏も正しい?なんて心境の変化もあるかも知れない。
そんなとき自分はいま真ん中にいると思ったりする。
分からないという答えを認めて、ただ真ん中にいて、気が進まない事はせず、気の向くままに生きる自分を許すとき、自ずと今ここからの身の振り方は見えてくるものだ。
誰にも解らないこの世界の真実や正解なんて、この絵の様にもはやどうでもいいがこの絵に関していえばただ一つ分かっていることがある。それは絵描きはその時の自分なりの愛のカタチを全力で描いたということのみで、まだ誰にも「戯れ合っている」or「喧嘩している」と決められていない。
この個人レベルでも世界レベルでも人類総出の泥試合もまた、各々の小さな愛に起因して始まった戯れあいの先の、予想外に膨らんだ想いと想いの対立なのかしらと思うとやるせなくなる今日この頃…。
いつか神々の裁きの雷ゲンコツがおりて両成敗となっても、もはや喧嘩のあとの照れ笑いでは済まない。
ブルーハーツの「チェインギャング」を初めて聴いたのは中3のときだけれど、その衝撃は30年経った今も昨日のことのように覚えていて、嫌なニュースを聞くたびに思いだしては聴きかえしてしまう。
今もマーシーの刹那げな歌声にしびれながら、「世界が歪んでいるのは僕のしわざかもしれない」という歌詞に強烈に胸をえぐらる。
だからといって結局僕にできる事は真ん中にいることと、僕なりの愛を描くことくらいだけれども。
Pray for peace…
🙏
Chain Gang / The Blue Hearts (1987)
https://youtu.be/o2R9oVqOksA
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?