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【短編小説】愛情のハンバーグ


街角にある、何の変哲もない洋食屋。

オレはこの店に、かなり幼い頃から通っている。


初めて来たのは思い出せないほど昔のことだ。

親が「今日は外食にしようか」と言えば、行き先は大抵この店だった。

働いているのは、陽気な店長と物静かな奥さんの二人だけ。


「おっ!また来たね。いつもの特製ハンバーグ、腕によりをかけて作ってあげようねぇ」

そう言って、店長が作ってくれるハンバーグはどこのより美味かった。

香ばしく焼けているのに、とてもジューシーで肉汁が溢れてくる。

アレを一度食べてしまったら、もう他のハンバーグでは満足できなくなる。

だからオレは好きな食べ物を聞かれるたびに、


「店長の特製ハンバーグ!」

と、あちこちで答えていた。


「キミが宣伝してくれるおかげで、お客さんがたくさん来てくれるよ。」


「だって、店長のハンバーグおいしいんだもん!」


「そうかい?そんなに美味いかな。」

照れくさそうにはにかむ店長。


「なんで店長のハンバーグはこんなに美味しいの?」

すると彼は、目を細めて語り出した。


「お客さんの笑顔を思い浮かべるとね…こう、胸がいっぱいになってくるんだ。そうやって溢れた愛情を料理にたっくさん注いでやる。そうすると、みんな美味しい美味しいって喜んでくれるんだなぁ」

そう語る姿はなんだかとても眩しくて、カッコよく、幸せそうだった。

小さな店とはいえ、奥さんと二人で切り盛りするのは大変だ。

店長のコックコートの胸元はいつもビショビショだった。

きっと汗だくになりながら皿を洗ったり料理を作ったりしているんだろう。

決して楽ではない料理人という仕事を、それでも楽しみながら勤めている店長はオレにとって憧れの存在だった。


「オレも、将来は店長みたいなコックさんになりたい!」


「嬉しいねぇ。ウチの料理をいっぱい食べて、大きくなったらきっとキミもいいコックさんになれるさ」

そんなやりとりを、奥さんもニコニコしながら聞いていた。



…あれから10年が過ぎた。

高校を卒業したオレは、
地元に残って働くことにした。

どこでって?

決まってるだろう。


「店長!おはようございます!!」

ドアベルをカランカランと鳴らしながら、オレはいつものレストランに入った。

いつものレストランだけれど、
いつも通りではない。

今日からは、客としてではなく従業員としてここに通うことになる。


「おぉ、気合い入ってるな!ウェイター姿もなかなか似合ってるじゃないか。」


「でしょ?奥さんが作ってくれた制服、オレにピッタリだし超カッコいいよ!」

奥さんは相変わらずニコニコ笑っている。

無口だが、いつもあの優しい微笑みを浮かべているおかげでとても落ち着く。

この店のゆったりした雰囲気には欠かせない存在だ。


「さぁ開店だ!今日もお客さんを喜ばせるぞ。美味しい料理と気持ちのいい接客。そして一番大事なのが…」

店長と顔を合わせて、オレはにっかりと笑う。


「「愛情!!」」

店先に置かれた札をくるりとひっくり返す。

『OPEN』

オレの人生、新しいステージの幕開けだ!



「お待たせしました、特製ハンバーグです。冷めないうちにどうぞ!」

オレが料理を運んでくると、お客さんたちは本当に嬉しそうな表情をしてくれる。

店長の料理が褒められているようで、オレまで誇らしくなってくる。


「お疲れさん!今日はあのお客さんで終わりだから、もう上がっていいよ。」


「はい!店長もお疲れ様でした。また明日!」

リュックを背負って帰ろうとしたその時、店長が背後から声をかけてきた。


「…あ、そうだ。キミがここで働き始めてもう半年経った。どうかな…そろそろ、厨房の仕事もやってみないか?」


「えっ…」

突然の提案に、一瞬思考が止まる。


「厨房の仕事って…それって、皿洗いとか?」


「いやいや。キミに任せたいのは、料理だよ。」

胸がフッと熱くなる。

幼い頃から憧れた、このレストランの料理人。

その夢が、いよいよ叶おうとしているのだ。


「いいんですか!?」


「もちろん!キミは仕事が丁寧だし、何より私の料理を長年食べてきた経験がある。キミになら、私の『愛情』もきっと伝わるはずだ。」

店長…!
オレのことをそんなに評価してくれていたなんて。

きっと店長の中では、オレはまだあの頃の子どものままなんだと思っていた。

こんなにも真摯に向き合って、考えてくれていたとは…!


「やらせてください!」

オレは力強くそう答えた。


「この店で料理するのがオレの夢だったんです!まだまだ未熟だけど、店長にいろいろ教えてもらいたいです!よろしくお願いします!」

そう言って、深く頭を下げる。


「…本当に嬉しいよ。昔からキミは本当にこの店を愛してくれていた。そんなに喜んでくれるなんて…ウッ…」

涙声になりながら、店長は胸元を押さえる。

泣いているところを見せたくないのか、サッと厨房の奥の方へ向き直って言う。


「明日から早速料理を教えるよ。最後のお客さんが帰ったら厨房に来てくれ。」


「わかりました!」

オレの返事を聞いた店長は、ヒッ…と変な声をあげて肩を震わせた。

ビタビタと、涙がシンクを叩く音が響く。


…ダメだ、このままじゃオレまで泣いてしまう。


「じゃあ店長!明日楽しみにしてます。お疲れでした!」


カランカランとドアベルが鳴る。

綺麗な星空が、まるでオレの夢を祝福してくれているようだった。



次の日。

ラストオーダーの時間も過ぎて、いつもなら店内を清掃して帰るところだが…
今日からは新しい仕事が始まる。

憧れの料理人。

そしてオレを育ててくれるのは、誰よりも尊敬する料理人である、あの店長だ。


「よし、それじゃあ始めるとしようか。まずはうちの名物の特製ハンバーグから」


「はい!よろしくお願いします!」

背筋が伸び、所作の一つ一つに力が入る。


「ははは、そんなに気を張らなくていいよ。確かに美味しい料理には集中も必要だけど、何より一番大事なのが…?」

言いながら、店長はオレに目線を投げる。


「『愛情』、ですよね。」


「そうその通り!『愛情』それさえあれば、他はなんだっていい。材料がクズ肉だろうが料理人がド素人だろうが、お客さんは喜んでくれちゃうんだよねぇ」


…ん?

なんか店長、
ちょっといつもと様子が違くないか?

挽肉を捏ねながら店長は話し続ける。

「キミが初めてこのレストランに来てくれた時のことを思い出すよ。優しそうなパパとママに連れられたキミはまるで天使のように可愛らしかった」

「そ…そうだったんだ。オレはもう覚えてないけど…」


「そうだとも!私は一度もあの日を忘れたことがない。腕によりをかけて作ったハンバーグを食べたキミの顔を思い出すだけでもう…あぁ…」

気付くと、店長のコックコートはビショビショになっていた。

汗…?

いや、こんな短時間でここまでの量…


「私の料理を食べて幸せそうな時間を過ごしているキミたち家族を想像するだけで…私の『愛情』は…こんなにも…ゥウ」

呻きながら、
その胸元を大きく開いた。


「店長…?何を…」

その言葉を終えずして…
オレは思わず息を呑んだ。

見てしまった。

顕になった店長の厚い胸元。

その中央あたりに…


赤黒く充血した、大きな孔が存在した。

粘膜に覆われた大きな孔。


その奥へ繋がる浮き出た血管が、
まるで有機的な幾何学模様を描くかのように表皮を巡っている。

「あっ…あぁ…」

恐怖と衝撃で、
口をぱくぱくすることしかできない。

そんなオレの様子など意に介さず、
店長は調理台に向き直った。


「ふぅ…ん…ぬ゛っっ…」

挽肉の入ったボウルを前にして、
白目を剥きながら息んでいる。

心臓の鼓動に合わせて脈動する胸の孔から、
一筋の粘液がつぅぅ…っと流れ落ちた。

「見てくれ。コレが何より大事な調味料。」

「『愛情』だよ」


う゛っ…

オレは吐き気を堪えるのに精一杯だった。

『愛情』と呼ばれるその粘液に包まれた挽肉は、てらてらと鈍く光を反射している。


「驚いたかい?料理してるところを見せるの、何だか恥ずかしくてね…」

料理は続く。
『愛情』塗れになった挽肉に塩と胡椒。

そして…説明も続く。


「私はねぇ…若い頃、宇宙人に誘拐されたことがあるのさ…」

いつからいたのだろうか…陰から現れた奥さんが炒めた玉ねぎをボウルに投入する。

その顔には、いつもの微笑みは一切無かった。


「何をされたかなんてさっぱり分からない。きっと地球で最先端の技術を持った科学者たちを集めたって結論は出ないだろうね」

ネチャネチャと、ボウルの中身が混ざり合う音が聞こえる。

挽肉、
玉ねぎ、
そして店長から分泌された『愛情』が渾然一体となる音が…


「気が付いたら公園のベンチに捨てられていたんだ。その前にどこにいたかなんてさっぱり思い出せない。それにこの胸の大孔だ。私はすっかり混乱してしまって喚き散らした」

ペチンペチンと、
店長は器用にハンバーグを成型する。

いつも見慣れた、あの特製ハンバーグの形だ。

…誰か嘘だと言ってくれ。


「そんな私を見つけて、『大丈夫ですか?』と声をかけてくれた人がいてね…その時…彼女の優しさに触れた時に…私は…ウッ!!」

店長がピクピクと少し身を振るわせると、

どぷりと音を立てて、スライムのような『愛情』が胸から溢れ落ちた。

「う、うわぁぁぁあぁぁぁ!!」


「私は今の体質になった…人の温かい感情に触れるときにこの粘液は多量に分泌される。」

恍惚の表情を浮かべながら、
フライパンでバターを溶かす。

その金属の肌をぬるりと滑る薄黄色の塊は、この狂気的な空間の中で何よりも、誰よりも自由に動いていて、オレはそれが羨ましいと思った。


「あぁ…お客さんたちの笑顔を思い浮かべると…愛情腺がパンパンに張ってくるんだァ…」

店長の胸から濁った液体が糸を引いてボタボタと床に垂れ落ちる。


「ひぃぃぃぃぃぃ!!!」

あまりに醜悪な光景に取り乱す。


裏腹に、ハンバーグは佳境を迎えていた。

まるで断末魔と聴き紛うようなジュウウウウウウウという音と、肉の焼ける匂い。

食欲を煽るはずのそれらも、今は恨めしくさえ感じられる。


「…完成だ。」

店長の特製ハンバーグ。

オレが何より好きな、
店長の特製ハンバーグ。

オレが何より好きだった、
店長の特製ハンバーグ…


「食べなさい」

涙を瞳一杯に湛えながら、
オレはソレを凝視する。


『愛情』が。

店長の愛情が、あんなにも。

目に見える形で、
粘液状の愛情が含有されたハンバーグ。


せり上がってくる胃液を呑み込みながらオレは、口を開いた。

「いただきます…ぅ」

ガタガタ震える手でフォークを掴み、眼前にある最高の焼き加減の肉塊に突き立てる。

いつも通りの香りが鼻腔に抜ける。

ゆっくりと咀嚼を始め…


「きあ゛ぁぁぁ……」

声にならない嫌悪感が、声帯を通り過ぎていく。


ふと店長の方を見る。

意識があるのだかないのだかわからない、
虚な表情。

でも、眼だけはオレを見つめている。


そして…


ボタボタ、

ボタボタボタ、

ボタボタボタボタ…


床に広がっていく『愛情』。

地面にへばっているオレのズボンさえも濡らして、辺り一面を覆っていた。


奥さんは何も言わず、
モップを奥から取り出してきた。


…あぁ、茶飯事なのだ。

こんな常軌を逸した光景が、この店では。


「…美味しいかい?」


「…え?」


「…いつもと同じやり方で…ハンバーグを作った…キミのお気に入りの…ハン…バーグ」

もうほとんど生気のない店長から、
カスカスの声がする。


「…!」

直感した。
店長は、ここで『終わる』。

オレに愛情の秘密を明かしたからなのか、
宇宙人とやらの仕業なのか。

理由はさっぱり分からないが…


「 おいしい。おいしいよ、店長。」

水分が抜けて、ガサガサになったその手を握る。


「やっぱり、店長の特製ハンバーグが一番おいしい。オレ、この店に来れて。この店で働けて、幸せです…」

…オレには、小さく頷いたように見えた。

間もなく、店長は全身をガタガタと痙攣させ愛情の水溜りに沈み込んだ。

粘液に塗れのたうつその姿はまるで、放精を終え息絶える最中の鮭のようだった。


「ありがとう…ありがとう…」

大粒の涙を流しながら、オレはそう呟き続けることしかできなかった。



…目が覚めると、
オレは自宅のベッドに寝ていた。


「え…まさか、夢?」

昨日の壮絶な体験を思い出す。


仕事の服に着替えて、自転車に跨って。

レストランに着くと…
そこには貼り紙がしてあった。

店長急逝のため、閉店いたします


奥さんの字だ。

やはりあれは夢なんかじゃなかった。

店長…


「え〜…もうあのハンバーグ、食べられないんだ…」

声が聞こえた。

振り向くと、
以前来てくれた女性のお客さんだった。

悲しそうな顔をしている。

「お客さんの笑顔を思い浮かべるとね…こう、胸がいっぱいになってくるんだ。そうやって溢れた愛情を料理にたっくさん注いでやる。そうすると、みんな美味しい美味しいって喜んでくれるんだなぁ」


…笑顔。

そうだ、お客さんは笑顔でいてくれなきゃ。


「…食べられますよ。」

「…え?」


「オレはこのレストランの料理人です。さぁ、中へどうぞ!」



厨房の中は昨日の騒ぎがウソのように片付いていた。

きっと奥さんの仕事だろう。

長年連れ添った店長を亡くして辛いだろうに、彼女は仕事を全うした。


オレの仕事は何だ?

決まってるだろう。

お客さんを笑顔にすることだ!


挽肉を捏ね、塩と胡椒を入れる。

オレからは『愛情』は出ないけど…

そこは気持ちでカバーする!


「美味しくなれ…美味しくなれ!」

炒めた玉ねぎも合わせる。

力一杯かき混ぜる…

挽肉と玉ねぎ、
そしてオレの愛情が渾然一体となるように。


「お客さんを笑顔に…笑顔に!」

ペチンペチンと、
ハンバーグを見慣れたいつもの形に成型する。

店長ほど器用じゃないけど。


「オレが教えてもらったこと、全部…!」

フライパンの肌にバターを溶かす。

今のオレのように、自由に!

ジュウウウウウウウと、
まるで歓声のような音が上がる。

肉の焼ける、香ばしい匂いが広がっていく。


「…お待たせしました。特製ハンバーグです。冷めないうちにどうぞ!」

「は…はい。」


女性がハンバーグにフォークを突き立てる。

そしてゆっくりと口に運んで…


「美味しい…ですか?」

そう聞くと、

女性は大きく、うんうんと頷いた。


「やっぱり、この店の特製ハンバーグが一番おいしいです…!」

…やったよ、店長。


「いつもと同じやり方で作りましたから…愛情を込めて。」

これでいいんだ。

普通の料理でいい。

普通に美味しくて、
みんなが笑顔になってくれれば、それだけで…


心に温かいものを感じたその瞬間、

「んっ…?」

チクリとも、ズキンともつかない、
奇妙な感覚が胸を刺した。



「…はい。『感染』を確認しました。やはり幼い頃からの反復曝露の影響かと…えぇ、私は引き続きこの店で感染者を監視します。それでは」



(END)

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