菊地成孔, 大谷能生『東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編』

東京大学教養学部で行われたジャズ講義録の上巻。
ここでは、「余りにロマンチックで思考停止的で自己完結的で非越境的」(P8)な従来の一般的なジャズ史に風穴を開け、偽史との批判を覚悟で、一般的な議論の対象となるような、他ジャンルとの関連性をも視野に収めた開かれたジャズ通史を打ちたてようとする。
おおまかに言えば、ここで語られる通史とは、
【1】十二音平均律
【2】バークリー・メソッド
【3】MIDI
が象徴するような時代区分である。
まず、【1】十二音平均律は、1722年発表のバッハの『平均律クラヴィーア曲集(第一巻)』を先駆とするドから上のドまでを等しい幅で数学的に十二等分して音階をつくり、それを基準として音楽をつくるような考え方を指す。この十二音平均律の登場により、それまでに使われていた不均等な幅の調律が廃れ(抑圧され)、一般的に応用の効く十二音平均律の方が優勢になっていった。このことは、音楽の「ポップ」化に直結していた。
続いて、【2】バークリー・メソッド。こちらは20世紀、ボストンのバークリー音楽院で教え始めた商業音楽の制作法を指す。ポビュラー音楽をつくったり、演奏したりするための、コード・シンボルによって和声を記号化して把握し、展開する、クラッシック音楽の作曲技法をシンプルに、簡潔にした方法論を指す。
最後に、【3】MIDI。ここまで来ると、音楽の記号化がさらに進み、音色や発声の状態までも数字で置き換えてデジタル処理するようになる。
つまり、菊地成孔+大谷能生は、この三段階説によって、音楽の歴史は抽象化・記号化の方法に向かっており、それとともにポップ化、一般的流通可能形態化が加速していると看做す。
しかし、本書の魅力は、見通しのいいジャズ史のパースペクティヴを開くということだけにとどまらない。
東京大学教養学部という、一応で、この国の最高学府とされている場所で、ビル・エヴァンスだの、チャーリー・パーカーだの、ジョン・コルトレーンだの、アルバート・アイラーだの、マイルス・デイビィスだのを大音響で流しながら、DJ風の饒舌な口調で、記号論にも通じるようなシャープな議論を展開するというすがすがしさにあるのだ。
菊地成孔+大谷能生は、バークリー・メソッドによる音楽を主流と位置づけながらも、それに対する対抗運動にも興味を示す。ジョージ・ラッセルのリディアン・クロマティック・コンセプト(LCC)、オーネット・コールマンのハーモロディック理論。商業的に成功した主流音楽に対抗する芸術的方向性という突破口。そこにも、自由への逃走線がある。
また、マイルス・デイビィスの「コーダル/モーダル」の探求、そして音楽における「電化」が、バークリー・メソッドを過去のものとして終焉させる過程。こうしたエピソードの集積が、本書で語られるジャズ史を、よりダイナミックで、躍動的なものにしている。
何より、これを読むと、なにか音楽を聴きたくなるのがいい。
とりあえず、倉橋由美子の小説に出て来たことのあるオーネット・コールマンから始めようか。

初出 mixiレビュー 2009年04月12日 02:23

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