多重化するリアル~メタフィクションの方へ 『多重人格探偵サイコ』論

田島昭宇×大塚英志の『多重人格探偵サイコ』(角川コミックスエース)と、ひらりん×大塚英志の『多重人格探偵サイチョコ』(角川コミックスエース)が同時発売された。後者は、同じ原作者による前者のパロディ四コマ漫画である。これらはどちらも『少年エース』に連載されていた。
(『サイチョコ』の方が発行部数が少ないようである。注意されたし。)この二冊は、極めて類似したブックカバーデザインで発売され、しかもパロディ版には、「類似品にご注意ください」との注意書きまでなされている。
このシリーズには、小説版があり、角川スニーカー文庫で二巻まで刊行され、次に講談社ノベルスで再度新作を含め三巻が出され、続いて角川文庫より同じ三巻が出され、作者は同じ本で三回印税を手に入れたという。
また、三池崇史×大塚英志による映像版が存在し、この映像版では、笹山という刑事によって、コミックスの第一巻を悪書としてゴミに投げ捨てる部分が存在する。その際に、コミックスの第一巻は、田島昭宇×大江公彦『多重人格探偵サイコ』とクレジットされている。大江公彦とは、大塚英志の小説に登場する語り手である。大江の名前は、大江健三郎の大江である。(こ
のほかにも、大塚の作品には、平岡とか、江藤の名前が登場することが多いが、平岡とは三島由紀夫であり、江藤は江藤淳である。このように、大塚は、将来コミックスの読者が、これらの著作を手に取ったり、論壇誌に関心を持ったりする導入の糸口を、心のどこかに仕掛けておこうとする。)
そして、田島昭宇×大塚英志『多重人格探偵サイコ』第一巻(角川コミックスエース)には、表紙を田島昭宇×大江公彦『多重人格探偵サイコ』第一巻(角川コミックスエース)が実際に存在する。こうして、虚構が現実となり、その消費者たる読者=視聴者は、虚構の中に組み込まれてゆく。
大塚の悪意は続く。映像化された作品のノベライズが、許月珍×大塚英志『MPD-PSYCHO/FAKE』(角川スニーカー文庫)全三巻として刊行される。(これらは後に合本となり、大塚英志『MPD-PSYCHO/FAKE』(角川書店)として再刊行される。)しかし、許月珍が実在する証拠が読者に与えられることはない。読者は許月珍が「実在する/実在しない」の二項対立の中で宙吊りにされ、読者は決定不能性に置かれる。
さらには、大塚英志『多重人格探偵サイコ/REAL』(徳間デュアル文庫)というかたちで、映像版のシナリオまで、刊行される。ここで、サイコの様々なヴァージョンが紹介されたが、これらのストーリーは同一ではなく、互いに齟齬が生じるように作られている。これまた、悪意ある戦略のひとつだ。
このシリーズの背後に流れるのは、ルーシー・モノストーンの音楽であり、それをリミックスしたロリータ℃の音楽である。(ロリータ℃は、白倉由美プロデュースによりCD化され、さらには白倉由美『ロリータの温度』(角川書店)なる関連小説まで刊行されている。)ルーシー・モノストーンのCDも、かつて角川書店を通じて限定販売されたことがあり、それを入手しているが、にもかかわらず、その実在を証明する手段は何もない。なぜ、フラワー・チルドレンの時代に、全米に爆弾を仕掛けながら、ロックコンサートを続けたルーシーの客観的な実在を証明するものがないのか。ここで、ルーシー実在説を証明すべく、精神科医三木モトユキ・エリクソンの書いた
『ルーシー・モノストーンの真実』(角川書店)なるものが登場するのだが、この三木モトユキ・エリクソンの実在を証明するものもまた、存在しない。(エリクソンといえば、モラトリアムという用語を使い出した人物ではないか。)ちなみに、評論家の東浩紀は、許月珍も、三木モトユキ・エ
リクソンも実在せず、大塚が書いているのではないかと推測している。だが、否定する証拠もないのだ。
大塚はどこへ連れ出そうというのか。近く角川文庫より『サブカルチャー反戦論』が刊行される
が、ここで小説版『多重人格探偵サイコ』の語り手が、前面に出てきて、今日の情勢に疑問を呈し、反戦論を小説の中で展開する光景を眼にすることができるだろう。これは、通常の小説観念からすると破綻であるが、そこにこそ大塚の真骨頂があると私は思う。
おそらくは、『多重人格探偵サイコ』は、消費財であり、次世代に読みつがれるタイプの作品とは異なる。だが、同時代を生きるものに、鋭い刃物の切れ味をみせる作品であることは間違いがない。お前はどこにいるのか、と。(初出 薔薇十字制作室BBS)投稿日: 8月18日(月)21時45分12秒


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