グルジェフの生涯

ゲオルギー・イワノヴィッチ・グルジェフ。パスポートによると、1877年12月28日生まれとなっている。ただし、1872年、73年、86年生まれとの異説があり、さらに日付に関しても彼自身は1月13日、つまりロシア革命以前のロシア暦の1月1日生まれといっており、正確な生年月日は不明。アルメニア、トランス・コーカサス地方のアレキサンドロポール生まれ。父親はギリシア人、母親はアルメニア人。年少時は、トルコ領のカーズに移住。

彼は、中央アジア・近東・ヨーロッパ・チベット・モンゴルを約20年間遍歴し、各地でエゾテリックな教えを収集し、これらをもとに人類の精神を調和的に発展させ、より高い次元に導こうと考える。この時期のグルジェフについては、彼の著書『注目すべき人々との出会い』によって知ることができる。

中央アジアのタシュケントで、ワーク(仕事。グルジェフの教えを実践し、修練を積むことを指す。)の指導を始め、1913年、モスクワで小さなグループを結成する。P・D・ウスペンスキーの『奇蹟を求めて』は、モスクワ時代のグルジェフの教えをまとめた重要な著作である。

その後、エッセントゥキ、ティフリス、コンスタンティノープル、ベルリンを転々とし、自己の探求と、ムーブメンツ(運動)、宗教舞踊を軸とするワークの指導を行った。1922年、パリ郊外のブリオーレに「人間の調和的発展研究所」を開設、欧米から彼の支持者が集まり、共同生活を開始した。

1924年7月5日、パリからプリオーレへの帰路で自動車事故で遭い、5日間の昏睡状態となり、一命をとりとめたが、これを機会に「人間の調和的発展研究所」を閉鎖した。晩年はパリのアパートで、専ら著書により彼の教えを遺すことに専念した。第二次世界大戦が終結し、フランスがドイツの占領から解放されると、彼を慕う弟子たちが彼のアパートに殺到したという。

1949年10月29日、パリのアメリカン・ポスピタルで死去。フォンテーヌブロー・アヴォンの墓地に埋葬された。

[グルジェフの思想]

彼は魔術師・催眠術師と呼ばれる時期があったが、自身が銃撃戦で負傷したことを契機に、自己満足的な魔術的能力を放棄し、人間の内なる可能性を発現させるために生きようと決心した。

彼の三つの主要著作のうち、『ベルゼブブの孫への話』は、<機械>と化した人間にショックを与え、誤った既成概念を根底から叩き壊し、『注目すべき人々との出会い』は、新しい人格の創造のための土台を提供し、『生は<私が存在し>初めて真実となる』は、存在論に基ずく、新しい宇宙像と人生観を提示することに主眼が置かれている。

(1)グルジェフは、紀元前2500年、バビロニアで設立されたサルムング教団の教えを軸に、グルジェフ・ワークといわれる独自の修行法と聖体操を作り上げた。彼のシステムには、ギリシア正教・イスラム教・ゾロアスター教・ヒンドゥー教・土俗シャーマニズムなどの伝統が息づいている。

(2)グルジェフは、通常の人間は牢獄にいるようなもので、自由はなく、さまざまな規則にがんじからめになった自由意志を持たない<機械>であるとみなす。グルジェフは、自分が望んでいるように行動ししたり、思考したり、感情を抱いたりしているのではなく、すべて起こるにまかせているに過ぎないという。そして、分別のある人間ならば、<機械>であることを止め、牢獄から脱出することを考えると説く。この際、すでに牢獄を出た人間がいること、また牢獄を出ようとする人間が互いに協力すれば、それだけ脱出の可能性が高まるという。

(3)<機械>であることを止めるためには、自己を見つめることが必要である。グルジェフは、各人には複数の<私>が隠れているといい、自己同一性を幻想とみなす。そして、人間は、<食物工場>のビルディングのように、3Fに知性センター、2Fに感情センター、1Fに動作センター、本能センター、性センターがあるが、通常の人間はこれらのセンターの働きが非能率で、交互の調和が欠如しており、互いに他のセンターのエネルギーを盗用し、エネルギーを無駄に放出しているという。バランスを欠いた人間は、どこのセンターに重心があるかによって、人間第一番(運動・本能の人間)、人間第二番(感情の人間)、人間第三番(思考の人間)となるが、彼らには内的統一と意思が欠如しているという共通点がある。これらのセンターが適正に能力を発揮し、センター間で調和のとれた発展がなされたならば、3Fに象徴を言語とする高次の知性センター、2Fに神話を言語とする高次の感情センターをつくりだすことができる。

(4)グルジェフは、人間の意識状態を分類し、睡眠、通常の覚醒状態、自己意識、客観意識に分類する。高次の意識状態である客観意識に達することは、至難であり、この状態を維持することは、さらに難しい。グルジェフによると、通常の人間は、(a)注意力を外界に向け、内面状態への意識がないこと、(b)嘘(たとえば知識だけで理解にまで至っていないなど)、(c)無用のおしゃべりによって、低次の意識状態に繋ぎ止められ、覚醒に至らないという。

(5)グルジェフは、『ベルゼブブの孫への話』の中で、低次の意識状態から覚醒しない人間をSF仕立てで説明している。つまり現実を混乱して捉え、外的印象を楽しさや喜びの素になる情報になる特殊器官(クンダバッファー)を植えつけられていた記憶があり、現在はそれが除去されているにもかかわらず、それが植えつけられているかのように習慣づけられているのである、と。

(6)グルジェフは、後天的に獲得される<人格>の影に、その個人に固有の先天的な<本質>があるといい、この<本質>が各人の個体性に発現してゆくと考える。

(7)より高次の意識状態にチューニングを合わせるための手段として、過去のさまざまな宗教や伝統が行ってきた修行法を分類すると、(a)ファキールの道(体をねじる姿勢を維持したり、過酷な訓練に耐える修行)、(b)修行僧の道(宗教的な自己犠牲と信仰によって帰依する道)、(c)ヨーギの道(知の道)がある。人間第一番はファキールの道に引き寄せられやすく、人間第二番は修行僧の道に引き寄せられやすい。そして、人間第三番はヨーギの道に引き寄せられやすい。これらに対し、グルジェフは世間にありながら、世間に属しない第四の道があるといい、グルジェフ・ワークがそれであるという。グルジェフ・ワークは、現在の生活状況を変えることなく(家庭や職業から世捨て人になることなく)、目的を達成しようとする。また、第四の道は、<食物工場>の1Fから3Fすべてに働きかけるという特徴がある。第四の道では信仰はまったく不要であり、むしろ納得するまで何もしてはならない。

(8)グルジェフは、人間を(a)肉体、(b)アストラル体(ケスジャン体)、(c)メンタル体(スピリチュアル体)、(d)デヴァイン体(原因体)からなるとし、これらを調和的に発達させることが必要であると説く。

(9)グルジェフ・ワークは、受動的な<人間機械>にショックを与え、クンダバッファーの影響力を無効にし、エネルギーの漏出をセーブし、<本質>に対する<人格>の干渉を弱め、高次の諸体を調和的に発展させようとする。第一のワークは、自己観察と自己想起ということであり、「汝自身を知れ」ということである。第二のワークは、他者と自覚的に関係を持ち、ともに生きることである。第三のワークは、ワークの理念のためになされる無私の奉仕である。

(9)グルジェフは、ワークのためにリズム体操的なムーヴメンツと舞踏、さまざまなエクセサイズを導入する。グルジェフは、普通の人間は<機械>であり、その動作のすべてが自動的に起こり、無意識的なものである。グルジェフは、舞踏の最中に<ストップ>を入れる。すると行者は瞬時にその動きを停止させなければならない。この<ストップ>は、スーフィーに由来する行法であり、習慣によって新たに<機械>がつくられるのを阻止するためのショックである。また、グルジェフは、ワークとして肉体労働を行わせた。グルジェフによると、通常の仕事は<小蓄積器>からのエネルギーで十分だが、自己修練や内的成長のためには<大蓄積器>のエネルギーが必要で、これは疲労の極を越えるまで肉体労働を続けた果てに、あふれ出てくる生命のエネルギーのことである。(ただし、<ストップ>も、限界を超えた肉体労働も、生命に対する危険性を伴う行法であるため、注意が必要である。)

(10)グルジェフの宇宙論においては、創造的中心からの段階的流出という基本概念が存在する。絶対的初源から、創造の光が流出し、全宇宙が形作られる。このとき<三の法則>が働く。絶対的初源から生み出された全宇宙は三つの法則に支配されており、全宇宙から派生した銀河系は六つの法則に支配されている。さらに銀河系から派生した太陽は12の法則の支配下にある。このように、支配する法則の数が順次、倍になり、最後の月では96の法則の支配下にあるとされる。<三の法則>は、すべての現象には能動的・受動的・中和的の三原理が働くというものである。グルジェフは、諸現象の継起に関して、もうひとつの原理<七の法則>が成り立つという。ドレミを例にとると、ドとレとミは等しいインターヴァルであるが、ミとファの間は半音である。また、ソとラとシはインターヴァルが全音であるが、シとドの間は半音である。絶対的初源からの創造の光においても、絶対的初源と全宇宙、全惑星と地球の間で不連続が生じるという。<七の法則>は<ショックの法則>であり、ミとファの間に第一のショック、シとドの間に第二のショックが与えられないと、次の過程が進行しないようになっているという。<三の法則>と<七の法則>を統合し、図表にまとめたものがエニアグラムである。

彼の思想は、P・D・ウスペンスキー、J・G・ベネット、ジャンヌ・ド・ザルツマンらの弟子たちはもとより、建築家のフランク・ロイド、作家のキャサリン・マンスフィールド、画家のジュージア・オキーフ、音楽のキース・ジャレット、ロバート・フィリップらに影響を与え、今日のトランスパーソナル心理学のバックボーンのひとつにもなっている。

[主要著作]

『ベルゼバブの孫への話~人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判』浅井雅志訳/平河出版社

『注目すべき人々との出会い』棚橋一晃監修/星川淳(スワミ・プレム・プラブッダ)訳/めるくまーる社

『生は<私が存在し>て初めて真実となる』浅井雅志訳/平河出版社

『グルジェフ・弟子たちに語る』前田樹子訳/めるくまーる社

[主要参考文献]

P・D・ウスペンスキー『奇蹟を求めて グルジェフの神秘宇宙論』浅井雅志訳/平河出版社

P・D・ウスペンスキー『人間に可能な進化の心理学』前田樹子訳/めるくまーる社

補足

P・D・ウスペンスキーの『奇蹟を求めて』には、次のようなグルジェフの言葉が記録されている。

「地球上に生きるすべてのもの、人間、動物、植物は月の食料なのだ。月は地球上で生き、成長するものを食べて生きている巨大な生き物である。」(邦訳P142参照)

この奇怪な考え方は、何を指し示すのか。

グルジェフのシステムでは、拘束する法則の数が少ないほど<絶対>に近く、拘束する法則の数が多いほど<月>に近いということになっている。

<絶対>-全宇宙-全太陽-太陽界-惑星界-地球-月の順で、<絶対>の側に近づくと自由になり、月の側に近づくと「機械」に近くなる。

「月の食料」とは、『この調子でやってゆくと、君は「機械」のままで終わってしまうよ。』というグルジェフのメッセージなのだ。

世のグルジェフィアンはどうなのか知らないが、グルジェフはSF的なたとえ話で、解法まで含めた実存哲学を表現した人だと、私は考える。(他の実存主義者は、問題を立てたが、解法を示していない。)これをSF的なたとえ話としないとすると、グルジェフ教となってしまう!

コリン・ウィルソンは、グルジェフの「機械」という概念を、「ロボット」という言葉で捉えなおそうとした。

例えば、PCのキーボードを打つ。最初、慣れないうちは、どこが「あ」なのか、探しながら打つから、時間がかかる。これは意識的な行為だ。そのうち、慣れると、どこか「あ」なのか考えなくても、打てるようになり、動作が速くなる。これは「ロボット」の働きだ。「ロボット」は、オートマティツクにやってのける。

しかしながら、「ロボット」には欠点があって、決められた通りのことしかできない。「ロボット」は、人間の心と体にこわばりを与える。ライヒの「性格の鎧」だ。そうなると、人間的な喜怒哀楽がなくなり、情熱とは無縁になる。生命の躍動とも無縁になる。そして、突発事態に対処できなくなる。

グルジェフは、月の食料というメタファーを使って、人間に「機械」であることを止めよというメッセージを発したのだ。

初出 Coliwiki 2005-01-03、 但し、現在確認すると、投稿原稿は何者かに消されている。

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