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高野山の旅〜プロローグ〜

高野山一人旅に行きました。

"歴史上で好きな人物は誰か"
と聞かれたら、迷わず
"空海です"
と答えます。
そんなに聞かれることもありませんが。

初めて、空海に興味を持ったのは高校時代。
一冊の本を読んでからでした。

立花隆 「青春漂流」。

この本の中で、空海について触れられており、かなり興味を惹かれました。
そして多くの文献を漁りました。
ただ、学生時代はそこまでです。

お金や時間にほんの少しだけ余裕がある今。
少し自分というものが嫌いになっている今。
"空海に、会いたい"と思いました。
そして、高野山へ行ったのです。

〜プロローグ終わり〜

立花隆の本から空海の話、引用させていただきます。
ちょっと長いけれど、読んで貰えたらこれ幸い。

四国の讃岐出身の空海は、18歳のときに京に出て大学に入った。
大学というのは、貴族階級の子弟の教育機関で、古代のエリート教育機関である。
しかし空海は、せっかく大学に入ったのに、ほどなくしてドロップアウトしてしまう。
そして、乞食同然の私度僧(自分勝手に頭を丸めて坊主になること)となって、四国の山奥に入り山岳修行者となる。
これ以後、31歳の年に遣唐使船に乗り込むまで、空海がどこで何をしていたのかは明らかではない。
「謎の空白時代」といわれる。
山野をめぐり、寺院をめぐり、修行に修行をつづけたと推定されるだけである。
それがいかなる修行であったかは明らかでない。
〜中略〜
遣唐使船に乗り込んだ空海は一介の無名の留学僧にすぎなかった。彼に注目する者は誰もいなかった。
しかし、唐の地に入るや、空海はたちまち頭角をあらわす。
十年余にわたる彼の修行時代の蓄積が一挙に吐き出されて、唐人から最高の知識人として遇されるにいたるのである。
密教の権威、恵果阿闍梨をして、門弟の中国人僧すべてをさしおいて、外国人たる空海に、密教の全てを伝授しようと決意させるほど、空海に対する評価は高かった。
「謎の空白時代」に、彼がどこで何を修行していたかは明らかでない。
しかし、その修行がもたらしたものは、歴史にはっきりと刻印されている。
唐に滞在したわずか一年余の間に、空海は名もなき留学僧から、密教の全てを伝えられた当代随一の高僧となる。
それは、留学の成果というよりは、「謎の空白時代」の修行の成果が、留学を契機に花開いたものというべきであろう。
〜中略〜
空海はむろんその航海(遣唐使船)が危険なものであることを承知していた。
生きて日本に帰れるという保障は何もなかった。唐へ留学したからといって、どうなるというあてがあるわけでもなかった。
志を得ぬまま異郷の地に死ぬ可能性もまた大だった。
〜中略〜
それでも空海は船出した。
「謎の空白時代」は、彼に、自分に対する自信を与えていた。
自分に対する自信があったから、空海は自分に賭けた。
自分の人生を自分に賭けたのである。
未知の大海の中で自分が切り開いていくであろう状況に賭けたのである。
自分の人生を自分以外の何ものかに賭けてしまう人がどれほど多いことか。
自分以外の誰か頼りになれる人、頼りになれる組織、あるいは、自分自身で切り開いていくのではない状況の展開などなど。
他者の側に自分の人生を賭ける人が、世の大半である。
しかし、空海にしろ、この連載に登場した若者たちにせよ、自分の人生をそうしたものに賭けようとはしなかった。
彼らは、他者の側にではなく、自分の側に自分の人生を賭けたのである。
〜以下略〜
立花隆 「青春漂流」より

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