見出し画像

こんな静かな夜

小学生の頃、祖父と行ったイタリアが忘れられない。
高校生の頃、祖母と行った庭園が忘れられない。
大人になって、あの人と歩いた砂浜が忘れられない。
もう二度と体験できないこともあるけれど、
まだチャンスがあるかもしれないことならば、
かけてみる価値はあるのだろうか。
できることはあるのだろうか。
失う前に気付けるのだろうか。
しみじみ思い出した詩をなんとなく載せます。

「こんな静かな夜」
長田弘
先刻まではいた。今はいない。
ひとの一生はただそれだけだと思う。   
ここにいた。もうここにはいない。   
死とはもうここにはいないということである。   あなたが誰だったか、わたしたちは   
思いだそうともせず、あなたのことを   
いつか忘れてゆくだろう。ほんとうだ。   
悲しみは、忘れることができる。   
あなたが誰だったにせよ、あなたが   
生きたのは、ぎこちない人生だった。   
わたしたちと同じだ。どう笑えばいいか、   
どう怒ればいいか、あなたはわからなかった。   胸を突く不確かさ、あいまいさのほかに、   
いったい確実なものなど、あるのだろうか?   
いつのときもあなたを苦しめていたのは、   
何かが欠けているという意識だった。   
わたしたちが社会とよんでいるものが、   
もし、価値の存在しない深淵にすぎないなら、   みずから慎むくらいしか、
わたしたちはできない。
わたしたちは何をすべきか、でなく   
何をなすべきでないか、考えるべきだ。   
冷たい焼酎を手に、ビル・エヴァンスの   「Conversations With Myself」を 聴いている。   秋、静かな夜が過ぎてゆく。
あなたは、ここにいた。
もうここにはいない。

#エッセイ
#コラム
#詩

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?