祖父のお墓を掃除し続けた10日間の話 -「続けること」「続けたことでわかったこと」のお話-

この話は、職業訓練校在学中に『スピーチ』の課題で、私が主観のみのスピーチ(経験に基づく話)をした原稿が本棚から昨夜不意に出てきたことをきっかけに、まとめ直したものです。

私が大切にしている言葉。 “続けること”

さかのぼること12年前。
当時の私は、長らく熱中していたダンスをこれから先、自分はどうしていきたいかに迷っていた。そうなると仕事も生活も、すべてが空虚に感じ、モヤモヤと得体の知れぬ自我に占領され身動きがとれなくなっていった。
私はそこから脱却するヒントを必死に探していた。

なんとなくうまくいかない日々。
それって、自分自身の心の迷いのせいではないのか?って自問自答していた。

心を整えたい。心の掃除をしたい。自我から解放されたい。

その想いが爆発したのは、私が誰よりも好きだった祖父の命日10日前、3月の終わりのことだった。

よし!祖父の命日まで毎朝、祖父のお墓掃除をしようじゃないか。

思い立った私は、実家の近くの山中にある祖父のお墓にその日から毎朝通ったのだった。雨の日も、風の日も。霧で視界が遮られる日も。
お墓周りを掃いて、苔むしたお墓を磨き、水は下山したところにある神社からもらって何度も何度も往復した。鹿は出るし、手はひび割れ、結構辛かった。苦しかった。でも、必死に頑張った。

お墓掃除1日目 「これをして、何になるんだろう?」

自分で勝手に決めて実際に始めたものの、自分の中でそれを始めた理由がいまいちわからなかった。

先祖に褒められて、良い未来を授けてもらいたいから?
ただ、祖父が好きだから、祖父にすがりたいのだろうか?
それとも、ただの修行?願掛け?

いや、多分私は手近に実行できる “継続する” という行為がしたいんだろうな。って気がついた。
毎日続けること、というのは、それだけでも大変なことだ。
努力や頑張り、モチベーションが必要になるから。
だけど “継続するという行為は本当に尊いこと” だと私は知っていた。

継続することで見えてくるその先が知りたかったのだ。

ところで、継続は苦難なのか?

私は継続というものは苦であるとともに喜びだと思っている。
私が学生時代に和菓子職人として頑張っていた祖父が胃がんを患い入院した(実際に祖父が亡くなるより10年くらい前のこと)。
その入院先は、祖父の家から車で4、50分ほど先の、私がその頃住んでいた自宅近くの病院だった。
私は、毎日祖父のお見舞いに行った。行くたびに心から喜んでくれて、病室を出て、眺めの良い通路でいつも2人横並びに座った。

話すことなんてなかったし、話す必要もなかった。
私はただその日一日、学校であった色んな出来事(悩み事、嫌だったこと)のことを考えながら祖父と並んで佇んだ。そうしたら不思議と、嫌なことなんて大したことない。祖父がいる限り 私は大丈夫だ。と、なんとなく元気が出て帰宅することができた。

だから、祖父が無事退院した日=お見舞い生活が終わる日というのは、喜ばしい反面、とても淋しかった。
これからもずっと祖父と近くにいたいのに。

続けたいこと、続けられないこと


お墓掃除2日目

お墓の掃き掃除をして、実家の庭から積んできた花をたむけて手を合わせながら、自分のこの心臓が生まれてこの方、一度も止まらないでいることを考えた。

続いていること

だけど、いつかは止まる。そうしたら私も生きてはいられなくなるんだな。
「この世にいること、いられなくなること」

続くこと、いつかは続けられないこと

続けることって、やっぱりとても尊いことなのかもしれない。


お墓掃除最終日に与えてもらった言葉

10日ほどではあったが、続けたお墓掃除。
親には心配されるし、頭おかしいんじゃないの?って思われてたかも知れない。だけど、必死に続けたお墓掃除の最終日に、なんとなく光がさしたように私に降りてきた言葉があった。

それは “” だった。

神様やご先祖を大切にしたり、そういう「信じる存在」に尽くして得られるものは、煩悩に左右されるような「すぐ手に入る幸運」とか「棚からぼた餅」とかではなく “心” なんだってわかった。

心は言葉を動かす。
言葉は私の魂や力となって、
言動、生活、人生をも動かす。

だって、どんなに恵まれた人でも、悲観して文句ばっか言ってる人ななんの光も見えてこないでしょ。
日々自分なりに精進して、大切に時間を過ごし、ご先祖に感謝していると
尊さ感謝という心を授けられる。
それは、私たちの魂の源、生きる源流となり、私たちの背中を押してくれる。

私の空虚だった心は、この日、この言葉をもらってやっと満たされた。
心底安心して、地に足がついた想いがした。
その日を境に、私の人生は大転換期を迎えることになるのだか、その話はまた今度。

余談ではあるが、私は与えてもらった “心” を大切に、より豊かに育むため心に決めたことがあるので覚書きしておく。

・1日1日を大切に、丁寧に過ごすこと
・感謝をすること
・美味しくごはんをいただくこと

なんてことない3項目だけど、そのひとつひとつの “感謝=心” は全てとても尊く、私や私の家族、まわりの大切な人たちみんなの喜びとなっていくことと信じている。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?