見出し画像

『権狐』vs『ごんぎつね』

新美南吉作『ごんぎつね』について、興味深い記事を見つけました。

この不条理を描いた児童文学に実は原作(同作者による草稿)があるといいます。

『ごんぎつね』原本『権狐』

こちらを読ませていただき、私は長い間絵本の『ごんぎつね』に抱いていた、違和感の正体を知りました。
と言っても新美南吉作品を読んでいるのは、他はたった一冊『手ぶくろを買いに』だけです。

雪の季節に暖かなとても好きな絵本ですが、読み聞かせの持ち時間が15分から10分になり、読む機会がなくなりました。

『手ぶくろを買いに』は、人間と野生の狐の共生が描かれています。
本物のお金で手袋を買いに来た子狐に、店の人は黙ってお金を受け取り手袋を渡します。
もし、狐が偽のお金を差し出したら、母狐の言った通り、手袋を売ってくれないどころか、捕まえて牢屋に入れてしまうでしょう。

お互いに領分を分け合って、人間と野生動物が共存する夢、決して不可能ではない希望が語られていると思います。
にんげんは ほんとうは いいものかしら、と繰り返す母狐の呟きを読む時、胸に温かなものが満ちます。
信頼し合える社会は平和です。

それに対して絵本『ごんぎつね』に出てくる狐は、ちょっとハートが足りなく感じます。
人間味がない…といってしまうと、そりゃ狐なのだから、人間味などあるはずがないのですが、優しみや慈しみの垣間見えるところが見当たりません。
それではラストの、死しても花実は咲きますよ、に繋がらない、因果応報と言いたいのか、悲しいだけの後味の悪い話だと思っていました。

私の読む絵本の中のごんぎつねは、酷薄で興味本位でやさぐれた、打算的な鼻もちならぬ奴で、栗を持ってきてくれても見返りを要求されそうです。
まあ、これは少し言い過ぎですが、あの手袋を買いに人間社会のドアをノックした狐の物語とこの物語が、同じ作者によるものとは思えずにいました。
そうは言っても、私の持っている絵本にもあるごんぎつね版が広く読まれ感動を与え、教科書に掲載されて読み解かれてきたのですから、私に深い洞察が足りないのだろうと思います。

けれども、この添削される前の草稿からのオリジナルを読ませていただいて、四半世紀の胸のつかえがスーッと下がりました。

このオリジナル版を印刷して読み聞かせの時間に読もうと思います。
私の心にどんな変化が訪れるか、とても楽しみです。


※キタキツネの画像は キタキツネさんよりお借りしています。
ありがとうございます♪




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?