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言い訳

するな、とよく母に怒られたものだった。

理屈が気になる子どもで、起きた物事にはそれが事件であれ、良きことであれ、なにかカラクリ(仕組みとかタイミングとか)があるはずだと、小さな脳みそをスライムみたいにポヨンポヨンさせていたのだ。

その、わけわかんねえスライム様のものをどうにか言葉にしようとすると、

だってね、

に集約されてしまう。
すると

言い訳するな!

と口を封じられるわけである。

稀に作戦を変更して、何がどうしてこうなった、を並べたてると

屁理屈を言うんじゃない!

と怒られる。


子どもの頃大好きだった萩尾望都先生の『11月のギムナジウム』に、

俳優か詐欺師か弁護士になれるよ

というネームがあった。
その屁理屈っぽさから、あんたは口から生まれてきた、と母に言われていた私は(本当は逆子で足から生まれた)このセリフを気に入ってしまって

わたし、弁護士になる!

と宣言した。

俳優はビジュアル的に無理だし、詐欺師は悪い奴だから、選択肢は弁護士しか無かったのだ。

しかし中学に入り、最初の中間テストの結果を省みて、人にはみて良い夢といけない夢があると悟ったのであった。

母に限らず、言い訳を嫌う向きはけっこう多いように思う。

私はどちらかと言うと、言い訳を聞きたい方だ。
例えば遅れてきたなら理由があるはずで、潔く黙っていられると気になってしまう。
日頃几帳面な人だと、時間に遅れることもあるのだなあと親しみさえ感じる。

遅れてきたのをそこで責めてもなんの利も無いと思う。
だってもう遅れてるのだから、調整して間に合わせるだけだ。

また「だって」と言ってしまった!

取り返しのつかない間違いでなければ怒ったり責めたりは、無駄を通り越して害だと考えている。

改善した方が良いことは、後で伝えれば良いと思う。
その場で怒ったり責めたりするのは、感情をコントロールできないのだなあと思う。
自分の正しさ人にはそれぞれ事情があるを微塵も疑わないのはすごい勇気だとも思う。

謝りたくないから迷惑をかけないように気を配るのだと言う人もいる。
謝らざるを得ないシーンで逆ギレするのはいかがなものか。
物を壊して、ここに置いてあるのが悪いと言うアレである。

ほら、言い訳してるじゃないか(笑)

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