見出し画像

異世界の入り口

子どもの頃住んでいた大宮には氷川神社という大きな社があり、年の瀬12月10日に十日市が開催される。

子どもの頃家族で、夕方から夜にかけて出かけることが多かった。

日本一長い欅の参道は電飾で彩られそこだけ昼間のようだった。
たくさんの露天商が立ち並ぶ通りに、売り子の声や人々の笑い声に、時折子どもの泣く声も飛び交い、それはそれは賑やかだった。

十日市は熊手市とも呼ばれ、「縁起熊手」と呼ばれる、招き猫、だるま、鯛、小判、福の神、打ち出の小槌など、色とりどりの縁起物の装飾がされた熊手の店も多かった。

買い手がつくと高らかに「○万円」という声が響き渡り、参拝客の視線が集中した。
誇らしげに顔を赤らめた客が大枚払うのを見かけ、商売とは縁遠いサラリーマンの家の子である私は異世界を感じた。

ごく稀に松葉杖をついた前に空き箱を置いて立つ復員兵の格好をした人がいた。
壊れたようなアコーディオンやハーモニカで軍歌を奏でていた。
裏寂しげな音色に立ち止まって見ていると、あの人たちはお国から補償されているんだから、と母が袖を引っ張った。

✳︎

そのうちに、あれよあれよと大きな人のうねりに押し流された。
引き返すことも立ち止まることもできず、自分の思いとは裏腹に足が動いた。

目の前に粗末な掘立小屋の壁が現れ、大人が屈んで入るような木の扉があった。
扉は開いていて、どんどん中に押し込まれていった。
暗い小屋の中にも人が溢れていた。
相変わらず流れは止まらない。

右を向いても左を向いても、子どもの背では大人の頭が蠢くだけだ。
時折現れる隙間から明るい方を垣間見ると、薄暗い電灯に照らされた木のステージがあった。
中央で何か動くものがあるが、それがなんなのか確認できない。
気がつくと、頭上には割れるような拡声器からの濁声が降っているのだった。

おやの いんがが こに むくい…
よにも おそろしい へびしょうじょ…

繰り返されるそれをようやく繋ぎ合わせて、そう言っているのだと理解した。

ステージの上にいて蠢いているのは、蛇少女、ということらしかった。

蛇少女をひと目見ようと、周囲の大人たちが背伸びをする。
その間も一向に流れは止まらず、押し流されていく。
とうとうその姿を捉えることなく、掘立小屋の外に追い出された。

電飾に目が眩み、一瞬何も見えない。

人混みを避けて一本の欅の木の後ろに立っていると、両親が心配そうな面持ちで近寄ってきた。
いつのまにか離れてしまったようだった。

お母さん、へびしょうじょだって、そんな人いるの?

いないよ。

母の手をぎゅっと握りしめた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?