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父の好きな歌

父はカラオケが好きでした。

私が高校生だった昭和50年(1975年ごろ)、スナックやサパークラブなどでお客は一曲百円でカラオケ(歌声のない音源)をリクエストして歌うというスタイルが大流行しました。

一曲百円なんて、今思えばずいぶん割高ですよね。

「木綿のハンカチーフ」が歌えない??

ある時父に、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」をマスターしたいからレコードを貸してほしいと言われました。
どうもどこかの店でどなたか歌っているのを聴いて、自分も歌ってみたくなったようでした。

「木綿のハンカチーフ」は、当時大ヒットしていた言わずとしれた名曲中の名曲です。

しかし昭和9年生まれの父には耳慣れないメロディ、身体に合わないテンポ、捉えきれないリズムなのは一目瞭然(一聴瞭然??)で、レコードに合わせて歌っているつもりのそれは惨憺たるものでした。

父は仕事を終えてまっすぐ帰宅した夜に練習を積み重ねたようでした。
私は部活で遅くなったり友人らと遊ぶのに忙しく、聴く機会がありませんでした。

しばらくして、かなり歌えるようになったのでいよいよ店で歌いたいから聴いてくれと言われました。

・・・

まず出だしで出遅れ、以降リカバリできないままズレまくり、歌になっていないのでした。

努力家の父はその後も練習を積み、とうとう持ち歌にしたようでした。
何年、何十年と歌い続けていたようです。
父とよく飲みに出かけていたおじさん(父の弟)が、

兄貴は木綿のハンカチーフが歌えんだよ。

と、しきりに感心しながら私に言ったことがあったので。

けれども、父の木綿のハンカチーフ完成版を聴かせてもらうことがないまま、父は亡くなりました。


股旅もの映画 晴れ姿 伊豆の佐太郎


木綿のハンカチーフのカセットはなぜかありませんでしたが、父はその後家庭用カラオケ機器を買いました。
私も休みの日などに一緒にカラオケを楽しむことがありました。

父の好きだった「伊豆の佐太郎」

私もこの歌が好きです。
映画を知りませんし、実際に高田浩吉さんが歌っていらっしゃるのを観た記憶がありません。

父の歌う「伊豆の佐太郎」で知り、覚えて歌いました。
とても美しい情景の浮かぶ詩です。
ことばから心情を感じとれます。

故郷見たさに 戻ってくれば
春の伊豆路は 月おぼろ
墨絵ぼかしの 天城を越えて
何処へ帰るか 何処へ帰るか
夫婦雁

瞼閉じれば 堅気になれと
泣いてすがった 洗い髪
幼馴染も あの黒潮も
一度流れりゃ 一度流れりゃ
帰りゃせぬ

逢っていこうか 逢わずに行こうか
伊豆の佐太郎 忍び笠
どうせ明日は また流れ旅
履いたわらじに 履いたわらじに
散る椿

Uta-Net

股旅もの映画は子どもの頃にテレビで放送されたのを視た記憶があります。
股旅もの、なんてことばを知っているのも、昭和一桁生まれの親を持つ、私の世代が最後かもしれません。

亡くなる前の年の秋実家に泊まった夜、いつもより遅くまで父と話し込みました。
父の子ども時代や母との結婚前のことを聞きました。
映画が好きで、京成電車に乗り有楽町までよく映画を観に出かけたなんて、初耳でした。

1953年の映画「晴れ姿 伊豆の佐太郎」も、その中の一本だったのかもしれません。


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