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瀬戸内寂聴と黒田杏子


瀬戸内寂聴氏には何度かお会いしたことがある。といっても、数十人が参加した句会で、遠くにご尊顔を拝したのみであるが。

私の俳句の師は黒田杏子先生で、その先生が瀬戸内寂聴氏とお友達だったのである。というか黒田先生が寂聴さんを文学文芸の先達として、また寂聴さんも黒田先生の俳句の腕を認めていた。そんな関係で、嵯峨野の寂庵で月例句会が開催されていて、畏れをしらん私はひょこひょこ京都へ出掛けていた。

まもなくして私は俳句をやめたので、嵯峨野へも行くことはなくなった。

実は、もともと寂聴さんの小説、なんだかちょっと違うなあ、と思っていた。読みもせず、世間の評判をなんとなく受容し、それで知っていると勘違していた。そう思い込んでいた。従って、本ももっていなかった。

それが一冊だけあったのだ。『わがふるさと徳島』という随筆集である。


徳島のシンボル「眉山」(「ひょうたん島周遊船」から撮影)


五年前、徳島に行った。その日、なぜその気になったかは記憶があいまいだが、「徳島県立文学書道館」に足が向いた。そこには「瀬戸内寂聴記念室」があるらしい。行ってみると、たまたま特別展をやっていた。寂聴さんが徳島出身だと知ったのはこの時である。

せっかく来たのだからと、記念に上記の文庫本を買ったのだった。
寂聴さんにも自分にも申し訳ないことに、以来五年、パラパラとはめくったかもしれないが、一ページと続けて読まずにきた。

それが今、ふとしたきっかけ(割愛)があり、積読本の中から『わがふるさと徳島』を手にした。もう一度ぱらぱらページをめくる。随筆集なので、一編は短い。読みやすそう。

その本の最後の章は「吉野川」であった。奈良県にも吉野川があることに加え、元来「川」への関心が強く、また徳島の吉野川にも多少縁(仕事で)がないこともなかったので、まず終章「吉野川」を読み始めた。

「瀬戸内寂聴『わがふるさと徳島』ことのは文庫」


いっきに読み終えた。短いとはいいながらも、小一時間はかけたかと思う。

読後の一言。スゴい!!

何がどうスゴいかは、今は、うまく言えない。昔、司馬遼太郎『街道をゆく』を耽読していたが、その時に似た読後感をもった。ともに歴史、地理、文化、民俗、…さまざまなジャンルのテーマについて、その筆は縦横無尽である。否、ジャンル分けなどない。著者独壇場の、一つのワールドである。さらに付け加えれば、寂聴さんの文章は、より高く文学の香り(つまりの人間の生きざま)がする。

そんなこんなで、瀬戸内寂聴氏はスゴい、ということを認識した。今更、畏れ多いことだが。

このことをすぐにnoteに書きたかったという次第。

「瀬戸内寂聴は若き日、三谷晴美のペンネームで少女小説を書いていました」


五年前の写真を見つけましたので、以下に掲げて終わります。


徳島県立文学書道館へは徒歩/徳島駅から約15分
徳島県立文学書道館は、文学館と書道美術館が複合された施設です
たまたま特別展「寂聴の少女小説」が開催されていた
瀬戸内寂聴記念室
三谷晴美→瀬戸内晴美→瀬戸内寂聴
少女小説もお書きになってたんか
この時、ゲットした物


瀬戸内寂聴  2021年11月9日(99歳没)

黒田 杏子  2023年3月13日(83歳没) 


瀬戸内寂聴氏の小説も、黒田杏子先生の句集も、くりかえし読もうと思います。

※見出し画像は、旧徳島城表御殿庭園の青石の橋です。


ひなの日に
2024.3.3 

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