たくさんの価値観が転がる。

”パラサイトどうだった?”

”暗くてつまらなかったよ。”

いつもならオフィスで投げられる会話なんて気にしないのに。


パラサイトを観ました。

シリアスなテーマを扱っているけれど終始コメディタッチで展開されるので、社会派の映画でありつつ、娯楽映画としても楽しめるバランスの良い作品だなあ、とか、まあ、いろいろ思ったのですけれど、それはちょっと置いといて。

アカデミー賞やら何やら受賞して話題になって、普段映画館にあまり足を運ばない層にまで、届いた作品になったんだと思うのです。

同じ職場で働いている人たちの会話が、耳に残って仕方がない。普段は映画をあまり観ない同僚の、ただの世間話のひとつ。そんなことはわかっているのに。

冒頭の会話を偶然耳にして、パラサイトという映画を、暗いからつまらなかった、という感想で片付けてしまう人たちと、日常の大半を共有しているのだなあ、と思ったら、なんだかその空間にわたしが含まれていることに耐えられなくなってしまった。いつもならそんなこと、気になんて留めないのに。

作品に感想を持つことは自由だと思っているし、わたしだって、つまらないなあ、と感じる映画はたくさんある。でも、そこではなくて、自分の気持ちの持ちようで。

パラサイトを、『暗い』のたった二文字で形容してしまう人もいるんだなあ、って。そして、暗いことはつまらないと感じる人もいるんだなあ、みたいな発見が自分の中であって。

ただただ、カルチャーショックだったのだ。

わたしの周りはいつだって、映画を観たら、それを肴にいくらでもお話をすしてしまうし、つまらなくても、つまらなかった理由をつらつらと長ったらしく述べあって。そういう人たちばかりだから、だから、びっくりしてしまったのだ。

それと同時に、色々と考えてしまった。私は、居たいと思える環境を選ぶ努力を、そういえば積極的に自分からしていなかったのかもしれないなあ、と。

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