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アニメ BANANA FISH 感想

アニメのBANANA FISHを見た。私は多方面においてキモイので、最終話を見たあと「イ〜〜〜〜ッ‼️‼️😭」となりながら、noteに感想を綴った。これはそれを世の中に出せる形に整えたものである。
このnoteを読もうとしている人で、まだBANANAFISHを見たこと、読んだこと(原作は漫画)ない人は早く見に行ってください。アマプラでもネトフリでも見れます。


以下、ネタバレを含むので注意です。




まずこのアニメの基本情報を少し。あらすじなどはWikipediaを見てください。
原作「BANANA FISH」は吉田明生作の漫画である。吉田先生のことを最初は「アキオ」と読んでいて、男性が書いているのかなと思っていたら、「アキミ」が正解で女性漫画家だった。さらに、登場人物が9割男性なのに、原作が掲載されたのが『別冊少女コミック』と少女漫画誌なのでとても驚いた。

この作品は1985~1994年に掲載されていた。舞台はアメリカ。この年代だと、ベトナムからアメリカ軍が撤退して10年経つくらいなので、作品の中でベトナム戦争のことが出てきたのも頷ける。この年代に描かれたにしては、内容は現代的だと思える部分も多い。同性愛、ドラック、孤児、性犯罪…など、現代社会でやっとこさ差別などの問題としてとりあげられはじめた問題が、80年代後半に既に題材として扱われていたというのが驚きだった。

このような作品自体の情報をおさえたうえで、以下私の気持ち悪い感想を述べていく。


まず、アッシュと英二の関係性について。
いつも姫ポジで、アッシュに助けてもらったと思ったらすぐ怪我したり拐われたりする英二に初めはイライラしていた。ピーチ姫じゃん!と思っていた。アッシュにばっかり負担を、、、と思っていたが、アニメが終わりに近づくにつれて、英二がただの姫ポジではないことが分かった。むしろほんとうの姫ポジはアッシュと言ってもいい。アッシュは英二がいないと、死んでしまう。これは比喩ではなく、ほんとうに死んでしまうのである。英二は他人から殺されそうにはなるが、自分から死のうとはしないし、極論アッシュがいなくてもちゃんと生きていける。英二の周りには頼りになる大人もちゃんといるからである。アッシュは違う。アッシュの周りは敵だらけだし、誰もアッシュを守ろうと思わない。表面上、アッシュは最強だし、孤高の存在だからである。だけど、英二はそんなアッシュの隠された弱さに気づき、守るべき存在として扱う。どちらかが守られるだけ、守るだけの関係性は立場に上下が発生し、友達とは言えない。そういう意味で、アッシュと英二は友達だった。どちらもが守り守られて、立場が対等だった。アッシュは肉体的、物理的に英二を守るし、英二は精神的にアッシュを守る。この関係性が嫌味なく、わざとらしくなく描かれていて良かった。
アッシュと英二の関係性を、ユエルンとシンも持てたら良いなとも思った。


次に、アッシュの存在感について。
アッシュの性格設定、キャラクターデザインともに素晴らしい。こんなに強く、美しく、そして儚さも孕んでいるキャラクターが今までいただろうか。(多分いるけど私が知らん) アッシュの身に起こった全てのことが、アッシュの存在を稀有なものにしている。アッシュのセリフで印象に残ったのが、「好きで才能を持って生まれたんじゃない」というもの。散々言っている通り、アッシュは最高なので皆から妬まれたり羨まれたり憧れたり期待されたりする。その全ては重圧となり、アッシュにのしかかる。その重さはアッシュの心をぺちゃんこにしそうになり、そこでアッシュの独特の儚さが生まれる。アッシュは死なない限り、何かしらの形で誰かに求め続けられてしまう。そこで、求めずむしろ愛を与えるのが英二なのである。凄い(語彙力無)


そして、性犯罪の描写について。
アッシュは幼い頃レイプされ、故郷を飛び出してNYにいた所をゴルツィネに拾われる。そしてそこでもゴルツィネの歪んだ寵愛を受け、性的に搾取される。ゴルツィネのアッシュへの執着はすさまじい。それは愛だと言いきれないし、愛ではないとも言いきれない。複雑な歪んだ感情を表現するのが上手いな〜と思った。
新聞記者マックスが、性の対象になることの恐怖を語るシーンがあるが、性の対象になる機会はやっぱり男性と女性で差があることを感じた。性の対象になることの恐怖は、実際に体験しないとわからないことなので、経験したことがない人はその恐怖が理解できないし、軽視する傾向がある。性の対象になることの恐怖を味わったことが無い人は、それを幸運だと自覚した方がいいなと思った。


アメリカ文学の影響について。
BANANAFISHにはヘミングウェイやサリンジャーの作品のタイトルなどがでてくる。それによりBANANAFISHは豊かな含みを持っている。アニメ24話のタイトルは「ライ麦畑でつかまえて」である。私はアメリカ文学を無意識的に避けてここまで生きてきてしまったが、そのツケがここできた。ヘミングウェイやサリンジャーを読んでいたら、もっと作品の解像度があがったんだろう。悔しい。ので、この前『ライ麦畑でつかまえて』と『海流のなかの島々』を買って、セコセコ読んでいる。読み終わったらまた感想を書こうと思う。


結末について。
皆が鬱エンドだと言っていた意味がわかった。実際、最終話を見てる途中は、「鬱エンドじゃないじゃん〜全然大丈夫じゃん〜今は一緒にいられないだけだよね、、(ニヨニヨ☺️)」と思ってたら、永遠に会えなくなってしまっていた。何??怖い!(cv ランジャタイ伊藤)
でも、まとめ方としてはあれが最適解なのではないかと思う。私たちが主観でアニメを見ているから最後が鬱エンドになってしまうだけで、アッシュ達にとっては別に鬱エンドじゃないのかもしれない。あと、ああやって終わらせないと、アッシュの儚さを十分に表現することは出来なかったのではないかと思う。


蛇足だが、私はブランカが推しキャラである。余裕のある最強(さいつよ)の男=至高。ロン毛だし。


気持ち悪い感想文はこれくらいにしておこう。
いいアニメに出会えて良かった。友達に会う度、BANANAFISHを布教している。



おわり


ティソ

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