『朗読者』感想(ネタバレ有り)
お正月休み、暇だったので古本屋でベルンハルト・シュリンクの『朗読者』を買って読んでいた。
久しぶりに外国文学を読んだ。古典では無く現代文学であったためとても読みやすかった。
以後この小説との出会いから、私の持った感想までつらつらと述べていくこととする。
2019年の末頃に、大学のドイツ語授業で『朗読者』の一節を和訳した。その時は全体を訳したわけではなかったので何の話なのかよく分からなかった。
その授業の中で映画「愛を読むひと」を半分ほど見た。その時も裁判を中心に見たので、全体像を掴まないままであったと思う。
そして、2021年ハッピーニューイヤー、一発目の小説に『朗読者』を選んだ。
大成功。よくやった自分。
ここからは本の内容についての感想を述べていく。ネタバレあります。
まず、前半は怒涛のおねショタ。
おねえさん(ハンナ)は36歳。ショタ(ミヒャエル)は15歳(おねえさんには17歳だと思われている)。
作者の性癖なのか???と思うほどよく出来たおねショタ。
おねえさんとにかくいい。強く、暖かく、優しいのだがどこか寂しさがあり、たまに怒るし突き放す。
私のお気に入りシーンは、ショタの入浴後、おねえさんがバスタオルを体いっぱいに広げて「おいで!」と言うシーン。
は?包まれたい。柔軟剤ボールドのCM?そしてバスタオル越しにハンナの裸が分かっちゃうのである!
エッチ!!!
前半はおねえさんとショタがセックスしまくりで官能小説家かと思った。でも全然グロい生々しい表現がある訳では無いので綺麗。
前半で朗読のシーンも多く登場するが、なぜハンナが文学を朗読して欲しいのかミヒャエルはよく分からないまま過ごしていく。
そして突然ハンナはいなくなる。
後半、ナチの過去の克服と絡めた少し重めの内容になる。このギャップがとっても新鮮だった。
裁判の表現についての感想は省くが、後半部分を読んで思ったことは「周りから見て愚かな行動をしている人は何か隠したいものがある人かもしれない」ということだ。
ハンナは文盲だったのだ。だからミヒャエルに朗読を頼んでいたのだ。
そしてハンナはそれを隠したかった。人生がダメになったとしても。
周りの人(ハンナと同じ収容所で一緒に働いていた人)は文字の読めないハンナに罪を擦り付ける。ハンナは実際の罪より重い罪状で起訴され、裁かれてしまう。
ミヒャエルはハンナが文盲であることを悟り、それを裁判官に伝えハンナの罪を軽くしようか悩むが、やめる。
合理的に考えたら文盲を明らかにし、押し付けられた罪を否定する方がいい。しかしハンナは罪を押し付けられたとしても、隠すことを選ぶ。これはとても奇妙な行動のように感じてしまう。
実生活においても、愚かなことをしている人がいたとしたら、その人はなにかを隠すために必死になっているのかもしれないと考えた。
ただ、そうすることはその人の正義であり、周りがあれこれ言うことではない。(『朗読者』において「正義」という言葉が特に後半よく使われていた)
何を隠しているのかも探るべきことでは無い。
分からないままでよい。
そう思えるような本だった。
おわり
ティソ
追記
『朗読者』について教授と話す機会があって、そこでやはりこの本を批判的に読まないといけないという結論に落ち着いた。
実際、本書はドイツ本国で色々と物議を醸している。
ハンナを文盲のハンディがあるキャラクターとして動かすことで、他人の罪を押し付けられて服役し、最後には自殺するという悲劇的なストーリーにし、ホロコーストでのドイツ人の罪を矮小化しかねない点。
ミヒャエルが親世代の罪について思い悩むことを描くことで、戦後世代のドイツ人への同情を誘っていると思われかねない点。などなど。
現在は、若い世代に「罪」はないが、「責任」はあるというのが一般的であるが、シュリンクはそれとは少し違う考えを持っているようである。
だが、ナチの過去を持つドイツで、世代がうつり変わっていくなか、若い世代は祖父母(あるいはもっと上)の世代の犯した過ちをどう背負っていくのか。この事を考える足がかりを作るという点では、『朗読者』はぴったりなのではないだろうか。
私はこの感想文で、あまりナチの過去の話には触れず、ハンナの生き方について考えてしまった。
そういう読み方は個人個人が楽しむ分にはなんにも問題ないが、人に勧めたりするときには気をつけなければならないと思った。
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