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自分とは?

私は、自分とは?、と疑問を自分に投げかけるのが結構好きです。

でも、まだこの問いに対しての答が出ていません。
毎回途中で考える事をやめてしまいます。

飽きてしまうのか、分からなくて嫌になるのか。
そもそも思ってるだけで考える行為ではないのか。

でも、最近、何となくここかな?
って自分の中で答が出かかってきたように思います。



私は、自分は1つではない、と認識しています。
そもそも「自分」という字。
自ら分かれる、と表現されています。
面白いですよね!


まず、体、肉体。
そして精神。
もうここで2つに分かれました。
しかも、肉体は私にとって入れ物的なイメージ。私だけのオリジナルな、ミラクルな入れ物。

精神の方の自分。

今、この文を書くに辺り思考している自分。精神担当の自分。
これが自分の中心的存在を担ってくれています。

でも、この自分に意見してくれたりする別の自分もいます。
意見が別れたり、喧嘩したり
仲裁してくれる自分もいたりして。
精神担当の自分は一体いくつ(いや何人?)
いるんだろう。

ところでこの、自分の精神担当の中心的存在な自分。

仕事で、家庭で、生きている上で、何かが起こったとき。

どうしようか考えて
幾つかの行動の選択肢が浮かび
その中から自分が行う行動を選択し
行動に移すまで。

それをリーダーのように他の自分の意見も取り入れて、とる行動を決定する中心的存在な自分。

私は今までこの自分が核である自分、と思っていました。

でもある時、この中心的存在の自分が、自分にウソをついていたり、気付かないふりしたり、そもそもの考え方にクセがあったり、間違えていたりしていることに気がついたのです。


中心的自分自身が自分にショックを受けました。
自分にとっていい選択しかしてこなかったつもりだったのに!
その私がこんな自分だったとは!

ここいら辺から
このリーダー格の中心的存在な自分が本当の自分、つまり核的な存在ではないのではないかと疑い始めたのでした。


じゃあ、本当の自分はどこにいる?
私の核的な自分は、どこ?



私が最近何となくみつけたこれかな~って思う結論から言いますと


「幼い子供の自分」
です。
もう時を超越です。
でも、間違いなく今も私の中にいるんじゃないかな、って思っています。

幼い子供の私。
自分を満たす事を中心に生きる私。
だから人に優しさしか持っていない私。


今まで自分に嘘ついていたリーダー格な自分も、それに意見する自分も、味方してくれる自分も、もっともっといるであろう色んな自分全てが!
この核的な幼い子供の私を守るように存在しているのではないかと
今何となくそう考えているんです。



だから今私は
迷った時とか選択しなければならない場面に当たったとき
幼い私はどうしたいかな、って考えます。

子供の思考はストレート!
好きなものは好き!
嫌なものはイヤ!
楽しいの大好き!
パパママ大好き!全ての人は私にとっていい人!
そして間違いなく、自分大好き!!!

この思いをベースにして、大切にして物事選択していくと
人生が上手くいくというか上がっていくというか
そんな気がするんです。


只今実践中!
私の人生がいい事だらけになったら
この考え方は間違いない!

っていうか
今も既に頭の中は毎日ハッピーです。
この間も、
あなたの今置かれている状況はかなりヘビーだと思うけど、よくもまあそんなに明るく元気だね
と言われました。

そうなのかー!そんなにヘビーかー!と凹みました。
凹んだのは一瞬でしたが…。


こんなことを考えたのは、
昨日、哲学を学ぶ勉強会に参加したからです。

その勉強会で、京セラ創始者である稲盛和夫さんの捉えている人間の心の構造の図が出てきました。

それを見て、私の捉える自分と重なりました。

私が、私の核と捉える幼い子供の私。
稲盛さんは心の構造の中心を、「真我」と表現されています。

「真我」とは。
優しい心。利他の心。

私の核の幼い子供の私も優しい心。
利他は分からないけど人にも優しい。

同じ。
嬉しくなりました。


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