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欲求がわかり、それを満たす。それが最強の自分になれる道


今朝の1番目の学び。
心理カウンセラーである菅波亮介さんのブログより。



生きるとは登山の如し〜〜「この瞬間の必要性」に応えるのみ


 富士山を登る時、いま足が痛いなら「ちょっと休みたい」が「この瞬間の要請に応えること」かもしれません。喉が渇いたなら「お茶を飲みたい」かもしれません。絶景が見えてきたら「しばし足を止めて眺めを楽しみたい」かもしれません。「登山」と一言でまとめてしまうと見えなくなりますが、実際の登山は「瞬間から瞬間へと自分の欲するものに1つずつ応え続ける過程」なのです。

 悩み苦しみに向き合う過程も登山とまったく同じですし、「生きる」ということそれ自体も「瞬間から瞬間へと自分の欲するものに1つずつ応え続ける過程」ではないでしょうか?



朝から清々しくなりました!
今日1日を、山と捉えてみませんか。
菅波さんがおっしゃるように、自分に生まれる感情、それによって生まれる欲求を満たすことを意識しながら山を越えてみませんか?

朝。
この時間、今日1日に何が起こるかなんて分かりません。分かるのは予定だけ。
1日が終わって振り返った時に、今日越えた山がどんな山だったのかが分かるのでしょうね。


私達はそれぞれ、本日どのような山に、挑むのでしょうか?!

楽な山でありますように。
今日は元気だから、少しハード目でもなんとかいけそう。

そんな私達の希望は果たして叶うのか?!

なんにせよ、今日過ごしていく過程で起こる私達の様々な感情、そしてそこから生まれる欲求を、自分がどれだけ自分に叶えてあげられたかが、自分を愛し幸せにすると同格になるのでしょうね。

それが積み重なって…
最強の自分がつくられていくのでしょうね!


なんかこう書いてみると簡単ではないですか?

簡単なんだけど…
じゃあ、自分は自分の感情をその時感じられているのでしょうか。
そんな事、考えてみたことありますか?


例えば私。
1日でやらねばならない事があれば、それをさっさと終わらせてさっぱりしたい人間です。いつやってもよいものならね。
早くそれから解放されてゆっくりしたいから、やらねばならない事を優先しちゃいます。
このやらねばならない事の代表格は、家事でしょうか。



過去の私は、その家事を終わらせるために

子供の欲求に応えることは後回し。
トイレに行きたい欲求も後回し。
でした。

私は分かっていたんです。
家事を早く終わらせるより早く、子供に応えてあげたい。トイレに行きたい。ってことに。
でも、何故か家事をする手を止めることが出来ませんでした。
それどころか子供の欲求やトイレに行きたい欲求が、家事をする事の邪魔と捉えてイラっとしていたんです。

おかしい。

何故、私はホントに叶えてあげたい欲求を押さえてまで家事を終わらせたいんだろう? 


でも、私はこの問いに長いこと見て見ぬふりをして取り組みませんでした。
この問いに向き合うことが怖かったんでしょうね。

時熟して私はこの問いに向き合うことが出来ました。
そして、子供の頃の私が親の機嫌をとるためにしたくもない家事を優先してやっていた事が、今の私に大きく影響していたことが分かりました。

まぁさらっと書いていますがここに辿り着くまでは結構心理的ダメージが大きかったです。


私の例を書かせていただきましたが…
そんな感じで、実は私達は自分の事を分かってなかったりするんです。

でも、分かれば後は簡単なんです。
感情に従えばよいのですから…。


毎日毎日、越える山は色々。
自分を満たし、ご機嫌にして、最強の自分へと向かって行きたいですね!



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