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イギリスの救貧法と COS(慈善組織協会)

エリザベス救貧法 ~世界初の公的扶助制度 ~

1601 年(慶長6年)にイギリスで制定されたエリザベス救貧法は、世界初の国家による生活困窮者を救済する公的扶助制度です。

貧民を労働能力の有無により有能貧民無能貧民児童に選別し、労働能力ありと判断された有能貧民には「ワークハウス」と呼ばれる労役所での就労を強制し、労働能力なしと判断された無能貧民は親族の扶養と「プアハウス」と呼ばれる救貧院での保護を行い、孤児等の児童に対しては奉公を強制しました。

新救貧法

しかし、1800 年代の産業革命による急速な社会変化と資本主義の発展とともに、イギリス国内には貧困者や失業者があふれ貧富の差は拡大し、人々の生活不安は増大していました。

エリザベス救貧法ではこの急拡大する国民の貧困状況に対応しきれなかったため、1834 年(天保5年)、貧困者の公的救済制度として新救貧法(改正救貧法)が制定されました。

貧困の原因は「自己責任」→救済の縮小化

この新救貧法は、「貧困の原因は個人にある」と説いたマルサスの『人口論』を思想的根拠に救貧の抑制を目指しました。

新救貧法では、救済の対象となる貧民の生活レベルは最低労働階級以下の処遇とする「劣等処遇の原則」と、労働能力のある貧民に労役場での激しい労働を課す「強制労役場制度の原則」としました。

また、救済方法の全国統一を図る「均一処遇の原則」によって救済の縮小化を徹底しました。

その厳しい基準により、救済を必要としながら救済の対象から外れてしまった多くの人々が存在しました。

このような救済の手が届かない者たちに対しては、個人や団体による個々の慈善活動が行われるようになりました。

しかし、多くの団体が競い合い、統一性もない無秩序な中での活動は社会を混乱に導きました。

COS(慈善組織協会)の設立

そこで、各慈善団体間の調整を図り組織化して、救済漏れや不正受給などを広く防ぐ目的のもと、1869 年(明治2年)ロンドンで COS(慈善組織協会)が設立されました。

COS によって公立や民間の慈善事業の管理が統一され、組織体制が整えられていきました。

この COS の活動はのちにソーシャルワークと呼ばれる活動の原点とされ、イギリスやアメリカで発展し、ソーシャル・ケースワークコミュニティ・オーガニゼーションの源流となっていきます。

それでもやはり貧困の原因は自己責任論→貧民の選別

COS の活動は、新救貧法の対象から外れた貧民の救済という役目は果たしたが、無制限の救済ではありませんでした。

COS は貧困の原因は個人にあり、社会構造に起因するものとしてはとらえず、救済の対象となる貧民を選別して救済を実施した。

救済の重複や不正受給を防ぐため被救済者の登録を行い、救済の対象となる貧民は「救済に値する貧民」のみとし、「救済に値しない貧民」とされた者は対象から外していました。

友愛訪問員 ~アウトリーチの源流~

COS ではボランティアの「友愛訪問員(イギリスでは「地区訪問員」)が個人宅を訪問していました。

COS の普及に伴い、無差別な施与と慈善活動の乱立を防止するために、友愛訪問員に対する「科学的」な体系的教育が実施され、より専門性の高い友愛訪問員が養成されていきました。この活動は「科学的慈善」と呼ばれました。

COSらの慈善活動の概要は、のちの日本の民生員制度の源流となる「済世顧問制度」や「方面委員制度」の制定にあたっても大きな影響を与えました。


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