ヴィーガンって環境に良いのかなぁ?
SDGsなんて言葉が、やたらともてはやされる世の中ですが、個人的には「どうなのかなぁ」とか思ってしまうわけなんですが、同様にヴィーガン的なものに対しても、似たような見方をしてしまうんですよねぇ……。
SDGsとヴィーガン
正直、SDGsって言葉の意味をそこまで深く知らないし、なんなら「世界をより良くしていきましょうよ!みなさん一緒に頑張りましょう!」くらいのざっくりすぎる理解度しかないんだな、これが。
まあ、知りたきゃ検索すればウンザリするほど情報が出てくる。
ビバ!インターネット社会。
まあ、それはそれとして、最近時々「ヴィーガンこそがSDGsに適した生き方だ!」みたいな意見を聞くことがあって、何だかなぁって思うわけですよ。
大規模な畜産によって賄われる精肉を頼らず、より良い社会を作ることができるはず。
そう考えてる人ってそれなりに多いと思うんだけど、ちょっと待ってほしい。
恐らくはそれ、単なるイメージだけって話かもしれませんよ?
実はそんなに理想的でもなさげ
確かに大規模な工業畜産は環境負荷も大きく、あまり持続的な産業ではないというのは同意できますが、農業にしても規模が大きくなれば環境負荷は高くなるわけで、まず水の問題が出てきます。
畜産でも問題になることですが、大規模な地下水の利用によって枯渇する地下水の話や、排水による土壌の汚染が問題にされているようなのですが、これらは畜産でなくても起こりうることで、農業の大規模化によっても起きるでしょうし、化学肥料の過度な使用による土壌汚染も水質に影響するらしいとのことで、となると畜産由来の肥料のことも考えなくてはならなくなる。
ここて、エシカルな生活の実現は、若干遠くなってしまうでしょう。
また、農業の大規模化によって農地をガンガン増やしていくことで、野山の農地化をしていくと、当然自然環境にも影響が出てくるでしょう。
これらは、宅地造成によって奪われた里山の生態系と同様に、そこに住むさまざまな生き物の生活の場を奪うことになります。
畜産を廃して、カロリーベースで食料のことを考えていくとなると、恐らく農地をかなり増やさなければならなくなりますから、こちらの問題も深刻になってきます。
仮に農作物の自給を諦めて、海外からの供給に頼る選択をするとなると、生命線を他の国々に握られている、まさに今の日本の食糧事情と同じになってしまいますから、持続的かと言われると、かなり疑問も出てからでしょう。
フードマイレージ的にも、違和感を感じる人はいることでしょう。
最後に、現在の農業というのは、さまざまな野生動物の犠牲によって成り立っているのを、忘れてはいけないと思うのです。
農家の皆さんにとって生きる糧を得るための田畑も、野生動物からすれば貴重な餌場ですから、農家の皆さんと野生動物の戦いが、ここでは日夜起こっています。
僕ら消費者は、その戦いから守られた作物を日々消費しているわけで、その下には犠牲になった野生動物の死骸が累々と積み重なっていることに気が付かないでいます。
果たして、この生活はエシカルなのか?
持続的といえるのか?
正直、僕にはそう思えないのです。
結局は自己満足なのかも
エシカルでエコロジカルな生活万歳!
ヴィーガンな人たちは自分たちの考えた最高のライフスタイルを謳歌して、その素晴らしさを喧伝することでしょう。
または、他人のテーブルの上に文句を言って、なんだかんだと指図してくるかもしれん。
でも、実のところ彼らの生活もまた、あまり持続的とも言えないし、エシカルなものでもないと思うんですよ。
書いてて思ったのですが、この話はEVのそれに似ているかもしれません。
環境にやさしい乗り物として売り出されたEVも、実のところ製造段階での環境負荷が高いことや、天候の影響で使い物にならない時があったり、バッテリーによる車重の増大で内燃機関の自動車よりも、路面に大きなダメージを与えるなど、さまざまな問題が見えてきました。
オシャレでワンランク上の生活をするために、SNSやメディアで語られるイメージを鵜呑みにして、それらを受け入れるというのは、本当に環境にとって良いことなのか?
一度立ち止まって考えてもいいのではないかなと、僕は思いました。
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