眠れぬ夜の昔話 其の十五
風俗雑誌の編集部(終)
……終わりというのは、突然やってくるらしい。
僕が一年ほど振り回されてきた、この雑誌の編集者という仕事も、唐突に終わりを迎えることになった。
きっかけというのは、オーナーの一声だった。
「儂が作りたいのは全国誌なのに、どうして関東の情報が載らんのか!」みたいなことを言っていたらしい。
漏れ伝わってきた話なので、本当のところはよくわからないんだけれど、結局は飽きたのだろう。
そりゃあそうだ。
いくら全国に流通したとしても、こんな雑誌を誰が手に取るというのだろうか?
何百冊、何千冊印刷したとしても、系列のソープランドやら仲のいい無料案内所やら、あとは営業さんが書店やバイパス沿いのコンビニにお願いして置かせてもらったり、僕らが知人に配ったり、もしくは通勤する電車に忘れたつまりで置いてきたり……、で、何とか三分の一くらいはさばくことができたけれど、あとはダイレクトで古紙回収業者に持ち込んだりしてた。
あれだけ頑張って作った雑誌も、ほとんど誰の目にも留まらずに再生紙に変わっていくことを考えると、実際ちょっと辛かった。
ただ、「もっといい雑誌を作ろう」と努力していたのも事実だ。
僕が入った頃は、言い方は悪いかもしれないけど「ごっこ遊び」のレベルでしかなかったけれど、やっと色んな人が集まってきて、どんどん内容も新しくなっていい本になっていた。
だから、本当に残念だった。
その話を聞いて、僕は編集部にいるのが辛くなって、外回りを理由にそこから逃げ出した。
行くところなんてあるはずもない。
仕方がないので、自宅近くの行きつけのレンタルビデオ屋の18禁コーナーで暇を潰していたら、大分で一緒に土下座したカメラマンに見つかってしまった。
立ち話もなんなので、近所の王将でビールを飲みつつ餃子を突きながら、ダラダラと馬鹿話をした。
彼も関西で活動していた最中に、関係していた雑誌が廃刊になって、こちらに戻ってきて一年ほど経った頃らしく、しばらくは同棲してる女に食わせてもらうとか、そんな話をしていた。
彼との「お疲れさま」の呑みが終わったあと、歩きながら考えた。
僕は……、どうすればいいのだろうか?
もうこんな、馬鹿馬鹿しくて面白い仕事にはありつけないだろう。
辛かったこともあったし、肉体的にも精神的にもしんどい仕事だったし、世の中的には「無くてもよい仕事」でしかない。
でも、本当に楽しかったんだ。
だから、もっといい雑誌にしたかったんだ。
なのに、なんでこのタイミングで……。
そう思うと、何だかとても切なかった。
翌日、編集部に顔を出したら、突然偉い人に呼ばれてクビを宣告された。
理由はよくわからないが、昨日急にいなくなったことがオーナーの癇に障ったのではないかとのことだった。
とりあえず、明日からは来るなとのことで、仕方なく机とMacの中の整理をし、後輩に仕事の引き継ぎをして、編集部から外に出た。
昼前だったので、駅前の商店街にあったラーメン屋で餃子を突きながらビールを飲んで暇を潰した。
途中の本屋で買った求人誌をめくりながら、デザインやらDTPやらの求人を探していたら不意な色々込み上げてきて、ビールを飲みながら涙を流して餃子を齧った。
その餃子は、多分、今まで食べた餃子の中で、一番苦くて不味かった。
「焦げてんじゃん、これ」
店員に文句を言うのも面倒だし、勿体無いから、焦げた餃子はそのままビールで流し込んだ。
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あとで後輩から聞いた話では、その号の編集作業が終わったら、編集部も解散したとのことで、僕は半月ほど早く追い出されたわけだ。
それくらいなら最後まで置いといてくれてもよかったのになぁと思ったんだけど、更に納得いかないのは退社理由が自己都合にされていたことだ。
でも、まあ、文句言いたくても、言う相手もいなくなってしまったし、オーナーに言ったところで訳のわからない罵声を浴びせられるだけだからなぁ……。
そんなこんなで、グダグダになってしまったけど、僕はまた、新しい仕事を探さなければならなくなって、一宮のハローワークに行くことにした。
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