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眠れぬ夜の昔話 其の四

※トップ絵は、こちらの記事を書いたときに描いてもらった絵の別バージョン。
五里霧中すぎるなぁ、この感じは。

トップ絵について

秋葉原に住みたかった

愛知から横浜や川崎に転居して、新聞奨学生とかいう、やりがい搾取的なスキームに乗っかって、夜中から早朝にかけて朝刊を配達し、午前中は専門学校に通い、午後早い時間には新聞店に戻って夕刊を配達して、夕方から夜にかけて拡張(新聞屋さんの営業みたいなもん)や集金に費やし、帰ってから学校の課題をして、そこから倒れるように寝て……、みたいな生活を二年ほどしていた。

正直しんどい生活だけれど、そのしんどい生活の合間には、東京という大都会を活動圏にできた喜びを謳歌していた。

学校のあった恵比寿、乗り換えの時に時間潰してた渋谷、高卒で就職して、すでに上京していた友人とよく映画を観に行った新宿、そして秋葉原。

僕がブラブラしていた頃の秋葉原は、まだまだ電気街的なフレーバーが色濃く残っていて、僕はよくSofmapのソフト館とMac館(あと中古のMacとか扱ってたとこ。名前忘れた)、秋葉館、じゃんぱら、あと細い路地の奥とかにあったジャンク屋なんかに日曜に足を運んでいた気がする。

夕刊のない日曜とか朝刊がない休刊日には、ワクワクしながら定期を使って渋谷まで出て、山手線に乗りながらキオスクで買った缶ビールを飲んで「今日は何が見つかるかなー」と少し酔って思考がぼやけた頭で考えてた。

学校に通い始めた頃、僕が持ってたのはMacのLCⅢというヤツで、なけなしの金でメモリを増設しても(当時は8MBのSIMMでも、自分にとっては目が飛び出るほどの値段でした)、レポートを書くのでも結構大変で、DTPにはとてもじゃないけど使えるものではなかった。

「あー、新しいMacが欲しいなぁー。PowerMacが欲しい!!」

そんなことを思いつつ、通いなれた秋葉原を歩いていると、来るたびに覗いているSofmapのMac館の入り口あたりに山積みにされてる箱が目に入ったんです。

箱にはPowerMac6300と書かれていて、値段は十万を切っていたので、考える前に「これください」と店員に言ってる自分がいた。

6300はPowerMacの中では最弱レベルのブツではあったんですけど、それでも腐ってもPowerMacでしたから、これまで苦労していた作業もサクサクとできて、それはもうありがたいハードでありました。

その後、学校を出て、潰れた制作会社と、夜勤バイトの時期を経て、某運送屋の社員になった頃に手に入れたカードで、iMacのタンジェリンと安めのスキャナーとA3が出力できるキヤノンのプリンターを衝動買いして、借金人生に足を踏み出してしまった。

MOドライブは高価だったので、zipドライブとかいう一時流行った安価なメディア(それでも確か120MBの容量があったので重宝した)を壊れるまで使ってた。

あと、確か秋葉館でPFUのハッピーハッキングキーボードが売られてて、買うかどうかかなり迷って(多分半日くらい)、結局買って帰って「何じゃこりゃーっ!」ってなったのも、本当にいい思い出。

今はもう、一番安いキーボードしか買えないけど、高いだけあって本当にいいキーボードだったなあ。

それからかなり時間が経って、今の奥様と初めてあってデートをしたのも秋葉原だった。

その頃にはもう、どちらかというとメイド喫茶とかが目立ってる、電気街とは違う街の顔をしていた秋葉原。

歩いてても、あんまり懐かしさを感じることはできなかったけれど、それでもところどころに僕が歩き回った頃の秋葉原の気配を感じられて「あー、ここに住みたかったなぁ」って思った。

今なら、少し足を伸ばせば気軽に行ける距離なんだけれど、引っ越して四年近く経つのに一度も秋葉原には行けてない。

もし今の僕が秋葉原を歩いたら、どこかでその頃の僕に「お前は何をやっているんだっ!」と怒鳴られそうな気がしてならない……。

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