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メンティーの論文をチェックする時に思うこと

メンティーという単語にいまだに慣れませんが、適当な日本語訳もないので(若手?後輩?)。

メンティーから論文が送られてくるとコメントや編集を入れて返します。ただ、受け取った側がどう思うか、そこからどれだけ学ぶか?というのは結構悩みの種です。

メンティーからすると一生懸命書いた論文にかなりの赤入れがされて、時には自分が書いたところが「We found that」くらいしかない…といった場合すらあるわけで。僕自身も指導医に直してもらった時、結構「うっ」となった記憶があります。本当の初学者だと、元の文章に手を入れるより書き直した方が早い(というか元文を改良しようがない)ケースの方が多いのでこういう事態はよくあります。

こちらとしては手直ししたところが分かるように修正履歴を残し、コメントを入れているつもりですが、直された側は案外ちゃんと読んでない気がします。正確には、読んでいるけど流しているというのが正しいのかもしれません。自分がそうだったので、そういう人は多いだろうなと。読んでるんですけど、あまりに修正箇所が多くて一言一句確認できない、あるいはなぜ直されたか分からないけど、それ以上聞きにくいのでそのままになるケースもあるでしょう。

その結果、「また同じミスをしている」となるわけです。

昔の(自分の)論文の校正されたレスポンスレター(ここからさらに修正が入りました)

臨床研究論文マニュアルでも書きましたが、送られてきた論文を見ればその人のレベル感(偉そうに言って申し訳ないです)やモチベーションがめちゃくちゃ伝わります。

先日僕が客員講師をしている横浜市立大学大学院ヘルスデータサイエンス専攻のゼミでは、実際の論文に赤入れをして「この文章はこういう印象を受ける」「なぜこう書き直したのか」を説明しました。対話しながら赤入れをすることでお互いの認識のすり合わせや、「こう書かれていると、少なくとも自分はこう受け止める」「こういうミスはやってはいけない」などがより実感できて良いのではないかと思っています。

これは、AIでは汲み取れない作者の意図や意志の部分であり、「なぜこの表現なのか」を考える良い機会になると信じています。

ちなみに日本で一番臨床研究論文を書いている一人であろう東大臨床疫学経済学講座の康永教授も、教室に来て各生徒の隣に座り、一緒に論文を指導していました。オンラインが当たり前になった現在でも、side by sideに勝る指導はないんじゃないかなと思います。

たまに、こちらが返した論文をちゃんと読んで質問し、次には明らかにレベルアップしてくる人もいるんですが、こういう人は放っておいても伸びていくタイプの人です。


ところで、論文書いたり修正するときにChatGPTを使うのが当たり前になりましたが、文章校正にはどんどん使っていいと思いますし(コーディングと文章校正におけるChatGPTは神様です)、下手にオリジナルの文章を書くよりこなれた文章が出来上がります。

僕の場合は自分である程度書いてから「論文用に校正して」と投げています。英語なら「revise the following manuscript」みたいな感じで。前者の場合は文字通り日本語でそのままプロンプトを入れていますが、それで割と十分な感じはあります。プロンプティング以上に元の文章の良し悪しの方が大きいのでしょう。ただそれでも信頼している校正の先生に出すと「イマイチな文章で申し訳ない」「似たようなミスをして申し訳ない」となります。それはChatGPTが悪いのではなく、伝えるニュアンスや表現にまで拘りきれてなかった(どこか校正に投げていた)からです。

ChatGPTを使っていて自分のwriting skillが上がったとはあまり思いませんが、使い方と学ぶ姿勢次第なんでしょうか。それとももうAIに任せる時代になるのか。振り返ると、経験豊富な指導者に赤入れされている間は幸運だったという気がします。

最近はメンティーもChatGPTを使って論文を書いてきていますが、結局色々手を入れているので、完全にお任せになるのはまだ先?な気はします。とりあえず、せめて最後にChatGPTで文章校正し、それを再度ChatGPTかDeepLに入れて日本語でも意味が通るかどうかの確認は必要かなと思います。

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