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『私の研究は(なんとなく)重要です』

今でもよく覚えているのですが、慶応大学の理工学部一年目だった時のこと。

選択科目で旋盤を使って金属を加工するという実習課題がありました。旋盤が何なのかよくわからないまま言われた通りに作業をし、「金属が簡単に加工できる、すごい!!」と思いながら、課題を行ったあと誰よりも早く一番にレポートをその場で書いて提出しました。

レポートなので考察・結論的な部分があったのですが、
「旋盤の技術はすごいなと思いました。この技術を活かして世界に日本の製品を普及できると良いと思います。(記憶にある原文ママ)」

と書いて出したら、先生が頭を抱えて『お前は小学生か!』と言ったあと、諦めたような表情で『まあいい、これで一番最初に出そうとした根性は認める。課題自体はできてるしこれでいい』と言って合格させてくれました。そして『これからレポート出す人は〜〜』と他の受講生に何か注意喚起しているのを背にして僕は雀荘に行きました。

その一回しか会っていない先生ですが、今でもあの時の『お前は小学生か!』の一言と諦観ともいうべき表情は忘れられません。あれ以上の諦めの表情というものを見た事がないかもしれない。

この実習で何を学び、何が凄くて、何がどう生かされるのか、全くわからない、レポートですらない、「ふわっとした」感想の極北なわけです。何か得ていたかもしれませんが、それを文章で形にしなければ伝わりません。

でも、この『私の研究は(なんとなく)すごいです!』という表現・ニュアンスはメンティーの論文でよく見かけます。前振りが長い?

いくつか原因があると思うのですが、
・Knowledge gapが明確でないこと
・英語表現に慣れていないこと
・データベースありきの研究であること

あたりでしょうか。

初学者が思っている以上に、研究経験のある先生が考えるknowledge gapの明確さは異なります。過去の研究をちゃんと把握し、ビジョンを描いて「このピースとこのピースの間が足りていない」という部分をとにかく明確にします。ピースのエッジが明確だからこそ、論文のメッセージと、その後の展開までがクリアにつながります

論文を書いていて「何が目的かよく分からない」「もっと明確に」と指摘された人は多いと思いますが、まさにこの部分です。

僕がいつも言っているので耳にタコな人もいるかもしれませんが、これはデータベース研究が流行したが故の弊害でもあると思っています。「とりあえずデータがあるから何か論文を書いてみよう」からスタートしてしまうと、研究になりそうなテーマを色々探してから過去の研究との差分を探してしまうわけです。あるいは主な研究がすでに行われているため、枝葉の部分に突っ込みすぎて『結局何が言いたいの?』や『それ意味ある?』となってしまいがちです。

医者であっても『考えて、調べる』を繰り返すという基本的なところが苦手な人がすごく多いなと思います。実は僕も苦手。

じゃあ具体的に何がダメなの?と思われる方も多いと思うので、実例を少しもじったものを例示します。ちなみに、NEJMとかLancetとかに出るくらいの研究結果ならフワッとしてても、既に大規模RCTなどであろう結果が物語っているからそれで良いかもしれません。

注意点として、これらの文に至るまでの結果と論理構成が非常に大事で、これらの文章を用いるのがダメというわけではないので、そこはご理解ください。これらがあるから論文がrejectされるとかも、ほとんどないと思います。査読の時に重視しているのは方法と結果、そのインパクトであり、それから比べたら瑣末な話であり、reviseで直せば良いので。ただ多くの場合、そこに至るまでのロジックに問題があるから、これらの表現が悪目立ちするというのが正しいでしょうか。

例1. Comprehensive data such ours remain lacking

Comprehensive dataって何でしょうか?疫学的な話?記述研究?過去の研究でわかっていない"comprehensiveness"がどれだけあるの?この研究はそんなにcomprehensiveなの?と思わず突っ込みたくなる一文です。

例2. This is the first study that〜

これはよく論争になるのですが、僕個人の意見としては「どちらでも良い」です。本当にfirstなのかどうかと、firstである事に価値のある内容なのかどうか、です。内容を見て『これは凄い』と思う研究ならこの文章の価値は揺るぎません。ただ、『成人では見てきたけど、高齢者に絞ったのは初めて』など、既存の研究がapplicable/generalizable/transportableではないの?など思ってしまうようなケースでのfirst study〜は、それがfirstである事に価値があるのかなと思ってしまいます。

例3. Our findings should facilitate further study on *** disease

これは僕もよく使うフレーズですが、研究は過去の研究の上に成り立つので、すごい当たり前の事を言っているだけです。しかも**diseaseという部分が大抵の場合「大雑把」なんですよね。心不全とか、敗血症とか。。そんな大雑把な病名を持ってきても全然specificじゃないですよね。"Our findings"が非常に明快な結論であるならこれでも良いでしょう。

例4. We believe that our research adds to the existing knowledge on earlier evidence

留学中に"believe"を使うなとしこたま怒られたので、believeと書かれると『それってあなたの感想ですよね???』って誰かの顔が思い浮かんできます。最近は主語を自分にする方が良いという意見が多く、最後の主張にbelieveを使うのは良いのかもしれませんが、そこまでの論理構成がしっかりしていれば、です。そうでなければ『この研究は何かの役に立ちます』という極北の感想にしかなりません。

例5. Our study using the large, multicenter data extends these prior studies by demonstrating the robust association between A and B.

これも僕がよく使うフレーズなんですが、留学中の大ボスであったCarlos(ハーバードの疫学・救急医学教授)に「お前はいつも同じ表現を使って似たようなことを言っているが、これを使っておけば良いと思っているだろ」的な事を指摘されてドキッとした記憶があります。ここで「large, multicenter」という点を強調しているなら、ここの前の論理構成で過去にはsmall, single center studyでの研究しかなく、そのことによるlimitationが本研究で解消されるというストーリーが必要です。そして"robust"が一体どうrobustなのか。常に対比を意識して記載することが重要です。

例6. We developed practical scoring system (もしくはour model has high predictive ability). This novel score needs further external validation.

 まあその通りなんですが…。世の中の予測モデルはほぼ全てこれで、そもそも論文中でどれほどその良さが示されているのかという話。正直、「ハイハイ」って思っちゃいます。Practicalって書いてあるほどpracticalではないケースの多さたるや。

大事なのは結果とプレゼンテーション、ストーリーなのでこれらの文章単体で何がというわけではないのですが、やっぱりよく出てきます。そこまでのbodyが弱いので、結論だけが浮いてしまっていたり。

それと、ChatGPTを使ったケースだと非常に目立ちます。GPTは人間に忖度して中身のない事を薄く伸ばして、それらしく書くのが得意なため、「この辺の文章がうまく書けないなー」とGPTに任せたであろう文章は、気になることが多い。

多施設データを使ったとか、オシャレな研究手法を使ったとか、そうではなくて、それを使ったことで具体的に何がどうなって、どういう価値を生み、どう次の研究につながるのか?です。

結局はクリニカルクエスチョン・リサーチクエスチョンをいかに磨き上げれるか、そのnoveltyと重要性をいかに見出せるか、過去の研究との差分をクリアにできるかどうか、になるという当たり前のところに落ち着くので、多くの先生が「研究はクリニカルクエスチョンとリサーチクエスチョンが大事」と口を酸っぱくして言っているのだと思います。


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