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空想

経営者とエンジニアの属性をもつ私が、精神分析を独学で学ぶ中で難解だった言葉や概念を書いていきます。


空想、これは大変日常的な言葉だ。精神分析の専門用語は、日常語が使われることが多いので独学していても面食らうことが多いが、この「空想」も相当である。
英語では一般的な空想には「fantasy」、無意識的な空想には「phantasy」が使われており、一応言葉は分けられている。
さらっと、「無意識的な空想」と出してしまったが、意味は分かるのではないだろうか。無意識にしてしまう空想である。そして、精神分析で扱う場合はこちらの解釈が多い。

特に対象関係論においてはかなり重要な概念で、日常で使われている「空想」の100倍くらい含蓄を含んでいる。
自我心理学では、露わになった「空想」を防衛として扱っているが、対象関係論では一次過程(例えば赤ちゃんの心の働き)は空想に包まれていると考える。自我心理学の防衛機制とは違うレイヤーの概念で捉えている気がする。対象関係論で私が理解した「空想」を書いてみる。

赤ちゃんは本気で泣く。それは命や存在の危機を感じているからだ。
周りから見ると、泣いている赤ちゃんは微笑ましいくらいだ。見ている人は赤ちゃんの本気の不安が、幻で空想だと分かっているから、「よし、よし、どうしたの?」と笑いながら、ミルクをあげたり、おむつを替えたりして、不安を解消していく。赤ちゃんはそんな他人から対応を受けて「大丈夫かも」という幻想に浸って落ち着く。「死ぬかも」というのも空想であるし、「大丈夫かも」も空想だ。

ちょっと不幸な場合はどうなるか。
まわりにいる大人が、泣いている赤ちゃんの本気の不安を「本気」に受け取ってしまって、自分も不安になってオロオロしてしまう。これは、まさに投影同一化だ。赤ちゃんは他人の不安(自分が投影した)をみて、自分の不安を違った形で変換してまた受け取る。そしてそのループの中で、不安や恐怖は別の何かに変換され、いつかは落ち着きを取り戻していく。しかしこれは絡まった不幸の原因になる部分かもしれない。

こうして考えると、空想のイメージが変わってくる。一般的にはコンテンツというかイメージに近いと思うが、私は心の空間を埋めているエネルギーとか機能モジュールみたいに感じている。赤ちゃんの不安の「空想」は力をもって、周りの大人に投影され同一化までされる。

赤ちゃんは良い空想と悪い空想の行き来しかしていない。行き来の途中に現実(ミルクをもらう、おむつを替えてもらう)があるが、それさえも受動的で空想に近い。大人になると、この現実に対して能動的になれるだけで、メカニズムとしては変わっていない。
我々は、うまれてからこの基本システムからは逃れられず、空想から空想への遷移しかしていない。辛いことがあると瞬間で万能感がある空想(万能空想)に遷移しようとする。

空想中も現実に触れるので、不快になれば気が付くが、それがまた別の空想への遷移のきっかけにしかならないので、「空想の中にいること」は殆ど分からない。あとから思い出して、無意識を言葉にして現実化することで、空想から空想の道に変化を与えるしかない。私が、溺れたことを思い出して、泳げることになったように。

精神分析における空想の概念を理解すると、日々の生活が楽になった。
仕事の脱線も、空想から空想の遷移だと理解すると重要なサインに見えてくる。どんな万能空想に浸りたいと無意識が考えているのかを知ると、自分の絡まった不幸の仕組みが見えてくる。
Webサーフィンをしてしまうのも、漫画を読んでしまうのも、FANZAを見てしまうのも、その前後には全部意味があって、サボりたいとか、性欲とか、そんなざっくりした分析では、決まった遷移(空想と空想の行き来)から抜け出せないと思う。


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