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無責任な意見に左右されていると自分の好きな仕事にはつけない話。

1.他人の意見に左右されていると好きなことができなくなる

自分がやりたいことを目指す時、必ずまわりで反対する人が出てくる。

例えば僕なら「デザイナーになる時」と「独立する時」に反対された。

「お前にデザイナーは無理。」「独立なんか不安定だからやめとけ。」必ず言われます。

自分に近い人ではなく、あんまり関係の無い人にもきつく言われます。僕の場合はパターンナーの人に言われたことが一番堪えました。

自分の目指す道の先にいるような人に「君には無理」と言われると「無理なんじゃ無いだろうか・・・」と考えて諦める人が多いです。

けどここで諦めると本当に無理になります。

2.墨子の話からの教訓

僕の好きな墨子の話で、オモシロイ話があります。

ある日、墨子は北の方にある斉の国に行こうとして、占い師に会った。占い師は「今日は天帝が北方で黒竜を殺される。先生は色が黒いから、北の方角へ行くのはよろしくありません」と言った。

 墨子はこの言葉に従わず、北方へ向かった。しかし、淄水にまではたどりつけたものの、目的地には行きつくことができずに帰ってきた。占い師は「私は北の方角へ行くのはよろしくないと言いましたね」と言った。

すると、墨子はこう反論した。「南方の者で北に行けなかった者には、色の黒い者もいれば白い者もいる。北方の者で南に行けなかった者には、色の黒い者もいれば白い者もいる。一体これはどういうわけか」

墨子(中国戦国時代の思想家)が目的地にたどりつけなかったのは、淄水(中国の河川)が氾濫していたためと推測される。結果だけ見れば、占い師の助言に従っておけば無駄足を踏まずに済んだ。

しかしそれはたまたまであって、川が氾濫していては、誰も淄水を通過することはできない。このような占い師の非論理性を墨子はなじったのだ。 自分の大事な進路を、占いのような無責任な意見に左右されてはいけないというのが、この話の教訓だ。

人生の大事な選択は専門家に助言を求めるべきだ。それでも、あくまでも助言である。何を選び、何を避けるかの最終決定者は、他ならぬ自分だ。選ぶことは責任を負うことだ。他人に自分の進路を決めてもらうのは、自分の人生に責任をとらないことを意味する。

(ものの見方が変わる 座右の寓話より引用)

この教訓からわかるように自分でものごとを決めるということは自分の選択に責任をもつことです。

責任をもつと自分が行動して失敗した時の尻拭いは自分でしないといけません。

失敗した責任を自分でもつようになると自分の好きな人生を歩めるようになります。

もちろん辛いこともたくさんありますが、それを乗り越える力を蓄えないといつまで経っても好きなことなどできません。

好きに生きるには優秀である必要があると言われますが、僕が思うのは好きなことをやる行動力さえあれば何とかなります。

その人の優秀さとは関係ありません。

それは歴史を見ていればよくわかります。

これといって優秀では無いのに歴史に名を残した人は多いです。

・三国志の劉備玄徳
・イエスキリスト
・ヒトラー

劉備はただの草履を編むおじさんでした。
イエスは大工でした。
ヒトラーは喋る以外の才能はありませんでした。

ただみんな自分がやりたいことをやっていただけです。

自分の行動は自分で決めて責任をもつと必ず目標は実現できます。

もしデザイナーになりたいと考えている人がいたら、まわりの意見や自分の才能に関係なく目指してください。

最後に僕はデザイン初心者がこれからデザイナーを目指すためのブログ「ただデザ」(ただで学べるデザインのブログ)を書いています。

興味があればぜひ見てみてください。




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