見出し画像

猫と暮らす

「オイラ達は元野良だニャ。文句でもあんのかい?」

とでも言わんばかりの表情の写真だ。

悪い顔をしているが、家には二人の猫(個人的には“匹”よりもしっくりくるし彼らのことはこう呼んでいる)が住んでいる。もともとは千葉で生まれた野良猫5人兄弟のうちの二人が、あるご縁でやってきたのである。


猫たちと暮らしてはや2年ほど。最近は写真のフォルダが猫で溢れてきたし、ご飯の時間を気にして外出の時間を考えるようになった。あと、普段の様子が気になったり、猫用のおもちゃやグッズ、はたまたそういった情報には敏感になっている気がする。要するに、生活の中で猫のためにかける時間が大幅に増加した。なんだろうか、この感じ。一方的に依存してしまっているのだろうか?もしくは、赤ちゃんを育てたりあやしたりしているのと同じことなのだろうか?
彼らはもちろん私たちが理解しているような言語を話すことはない(もしかしたら話しているかもね)。が、どこか鳴き声で、行動で、仕草でコミュニケーションを図ってくれているのであれば、人間としてはとても嬉しい。
何を見ているのだろうか、何が聞こえているんだろうか、どんなことを考えているのだろうか。気になって仕方がない。

人間と同じく、猫もたくさんの表情を使い分ける。嬉しいとき、ちょっと不機嫌なとき、お腹が空いたとき、甘えたいとき、それぞれの表情が愛くるしい。そんな猫さまにお食事を献上し、寝床を設えて、遊んで差し上げる。この世界には毎日仕えている人間が一定数いるはずだ。私もその一人である。その反面、猫に助けられ、癒され、毎日を過ごすことができている。朝起きれば彼らの元へ挨拶をしに行き、日中も気が向いたら様子を伺いに行く。しかし彼らは私たち人間なんてそっちのけで高いところにいたり、狭いところやベッドの上でスヤスヤと眠っているのだ。そこに猫の返事はなくとも、反応はなくとも、なんだかほっと一安心している自分がいる。

生活を変え、考え方も変えたそんなうちの猫達について、日頃思うことをこれからつらつら書き残すことにする。
おそらく、親バカ的な文章(厳密には親ではないのだが。)になることは避けられないであろう。ペットがいたり何かを愛でたりしたことがある人にはこの親バカ的思考に共感してくださる人がいるのではないだろうか。

いつの日かパートナーがいて、子どもが生まれたりなんかしたら、こんな感じになるんだろうか。それが子育てってものなのだろうか。親になるということなのだろうか。
そんなところでも、猫なり動物が一緒にいてくれたらいいなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?