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歴史初心者、平家フォーラムに行く

去る2022年10月10日、滋賀県野洲市にて開催された「平家フォーラム 〜I fを奏でる平家物語〜」に参加してきた。

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野洲市は平家ゆかりの地である。

平家物語に出てくる祇王(妓王)はこの野洲市出身だし、水不足に悩む故郷のために彼女が清盛に願って作って貰った用水路「祇王井川」も流れている。

それから平家物語「大臣殿被斬」において平家棟梁宗盛と長男清宗が斬られる「平家終焉の地」も野洲。



いやぁ面白かった。

私は一応オタク(主に漫画とアニメ)ではあるけれどオタク会話は苦手。

だけどオタクの熱意が篭った話は聞きたい、浴びたいものであった。

それを浴びてきた。

専門家なる方もオタク同様熱が篭ると早口になるもんなのですね。



元々2月に開催予定だったらしいが、感染症のアレの関係で一旦中止になって10月に延期となった。

2月開催だったら私は参加してない。

その頃はまだ平家及び歴史にハマってなかったからである。



そもそも歴史(の授業)は苦手だった。

小学6年生になる頃、社会科で歴史を学べるのがとても嬉しかったのに結局分からなかった。

高校の時、選択科目で世界史があった。日本史が苦手なら世界史ならば分かるかもと思ったけどそんなことはなかった。

分からんもんはわからん。



滋賀は琵琶湖しかないというイメージが蔓延している。

でも歴史が好きな人からしたらそういう歴史的魅力もちゃんとあるらしい。マジ?

そうそう、滋賀が作った動画で有名になったでしょ?「武将といえば三成〜♪」

あれが確かちゃんとした初めての歴史への興味。好意。

なんなら三成と吉継の茶会エピソードを知ってニッコリした。そこかよ。そこだろうよ。




さて2022年に入ってすぐ。

アニメ平家物語はテレビ放送もアマプラ見放題配信も始まったので視聴。これがもうめちゃくちゃよくてめちゃくちゃ泣いた。

そして何より楽しみにしている湯浅監督の、そしてキャラデザが松本大洋先生の大好きなクリエイターがタッグ組んでるアニメ映画「犬王」が5月に上映を控えている。

「犬王」は室町時代を舞台に、琵琶法師と能楽師が平家の物語を謳い舞う物語である。これがもうめちゃくちゃハマって5回くらい観た。(過去の鑑賞回数記録からすると最多ではないけれど)

この両作品の解像度を上げたくて平家物語の現代語訳版(古川日出男訳)を読んだ。

900ページくらいするこの本を1ヶ月半くらいかけて読んだ。めちゃくちゃ面白かった。

日本人、昔から地獄みてぇな話が大好きなのか?進撃の巨人とDEVILMAN crybabyとチェンソーマンを一気にぶつけられたみたいな感じ。しんじゃうやめて。

壇ノ浦の後(巻十二)の方がもっと地獄だった。何もそこまでしなくていいだろ!?やめて源氏、もうやめて。


でも日本語があまりにも綺麗なので読める読める。



そこから平家に関することを調べたり、ゆかりの地に訪れたりした。

「木曾最期」にまつわる墓も浜も行ったし、「大臣殿被斬」の平家終焉の地にも行った。

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そして本当に偶然に本公演の告知サイトに辿り着き、即予約した。




以上が経緯。





さて本題。

思ったより人が多かった。人気ジャンルじゃん平家物語!



【第一部 平曲 平家琵琶の調べ】


正調平家琵琶の弾き語りです。

つまりアレンジが施されてないやつ。昔ながらのやつ。

奏者は荒尾努氏。

ちなみにアニメ映画「犬王」では作中のキャラクターが奏でているのも使用音源も薩摩琵琶。

琵琶って種類もそれに伴う用途も豊富で構え方も違っててびっくりする。詳しくはググってね。

アニメ平家物語で主人公びわが弾いていたのだいぶ特殊なデザインなんだそうです。

半月ひとつしかないもんな。平安時代なら楽琵琶がある。平家琵琶(鎌倉以降)はまだない。薩摩琵琶はもっとない(室町以降)。作中で出る音は薩摩琵琶&楽琵琶だそうで?

ちなみに楽琵琶と平家琵琶は同じ構造だそうです。



で、平家物語のびわの弾き語りのイメージがあるのでてっきりジャラジャラ掻き鳴らすイメージだったのだが違った。

節のついた詩を長〜くのばしてゆっくり語る。その合間でべべべベンと鳴らす。

かなりゆっくりなテンポだ。

「掻き鳴らすと思ったでしょう?」と奏者の荒尾氏。

平曲は1曲だいたい20〜30分もあるそうで。思ったより長い。

「祇王」だと特に長くて2時間もあるとか。

マジか。眠くなるでしょ?

「(2時間もあるとなると)他の世界に行っちゃうお客さんも出てきますね」(会場笑)

部屋が暗くてゆっくりとしたテンポのお歌。正直………………眠気に耐えていた。

部屋が暗いと夜と勘違いしてしまうポンコツ体内時計。

は!?

そ、

そ、そんなことないし!起きてたもんね!

ギターのミュート?カッティング?みたいな……その、音をキュッて止める技法を琵琶でもするのはびっくりした。

「正調平家琵琶」ということは800年前から受け継がれし語りよね。もしかしてそんな昔から弦楽器でミュート?カッティング?をしてたの?

音楽全くわからんからよう分からんけど。知らんけど。

あと、「素声」という調子をつけない普通の喋り方で語る場面もある。これも意外。



それから「祇王」に出てくる今様「仏も昔は凡夫なり」を平安当時の音調で語ってくださった。アニメ平家物語の「遊びをせんとや」とも犬王の「仏は常にいませども」とも違う音調。(だったと思う)

現代人の耳に馴染みがあるような調べだった。




【第二部 受け継がれる平家の歴史】


まず、宗盛胴塚保存会副会長の安藤正雄氏のお話。


発足は2017年、胴塚の法要(供養?)をするためだったそうです。

草木が生い茂ってたその場所を綺麗に管理。

地域活性化の一環とし、のちに自治会認定の団体に。

それから毎年宗盛忌の法要をされてます。

YouTubeにその様子が公開されております。

昔は処刑されたその場所の池は今より大きくて、現存する蛙不鳴池と繋がっていた首洗い池は埋め立てられてしまっています。

その首洗い池の復元(かなり小さい)(水は張ってない)も去年なされました。

宗盛公への心運びのためでしょう。



一応昔から宗盛公法要は地元の人と、時期によってはご住職のみでしめやかに勤められていたと。

遠方から来られる平家のファンに「あまり賑やかにしないで今のまま守ってほしい」と懇願されることも。いろんな意見があるのは当然ですね。

私的にはその辺は保存会さんにお任せしますという気持ちです。



胴塚には一度訪れたことがありますが、桜の小さな木も植えられててびっくりした。初めて知った。神戸・清盛隊という演舞集団の方がこの保存会と縁をもって植えられたっぽい。

この場所は守られてる。雑草も刈られてる。

それでもなんだか静かで寂しいような場所。

忘れないようにすることがここに眠る親子を寂しくさせない第一なのだと思います。

無縁仏状態になるのが1番まずいと思う。

宗盛に「またここに来るといい」と言われた気分でそこを発った思い出。


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続いては、平安末期から鎌倉時代の政治史等の研究をしてらっしゃる大阪大学大学院人文学研究科教授の川合康氏のお話。


宗盛誕生から処刑までの期間の話を、平家物語の内容とは違う史実の話などを聞かせていただきました。

平家物語って極端に面白いところって史実に脚色されてたり捏造されてたりするよね。

殿下乗合事件とか。あれは史実でもよくわかんないやつらしい。玉葉にも「どうして」って書いてたはず。

歴史って「諸説あり」だけど、歴史について考えた人の数だけ説はあると思う。

そのうちの一説を聞かせてもらった。

なかなか難しかった。いただいた資料に聞いたことを必死に赤ボールペンで書き込んだ。



保元・平治の乱で源氏(の一部)は衰退するけどそこで平家だけの武士団になったわけではない。

清盛は他の源氏の有力な武士と平氏と共存、「源氏平氏」の伝統的武士社会の存続を目指していたと。その上で頼政を従三位に推薦したと。

(まぁその頼政も後に平家を裏切るんですが)



鹿ヶ谷の陰謀は「無かった」説を推している川合氏。

鹿ヶ谷事件なかった説を説く人はマイナーだそうです(本人談)。


1177年4月(平家物語では御輿振の時期?)、延暦寺大衆強訴に端を発し、西光と成親の進言を受けた後白河が延暦寺武力攻撃を決意→後白河が重盛と宗盛に出陣を命じる→2人「父に聞きますね」 後白河「ええ…」→福原から入京して来た清盛「こっちが『ええ…』だわ!待ってくだされ後白河院」

(以上の史料は「顕広王記」とのことです)

(以下史料「玉葉」)

清盛「うーん……はいはい攻撃に合意しますよォ……(しぶしぶ)」

清盛「……と!!合意したと見せかけて西光と成親を捕らえたり!延暦寺攻撃を阻止!」



う〜ん平家物語と全然違うぞ。



こんな感じで色々お話を聞かせていただきました。


平家優勢の時は頼朝が和平を求めて宗盛が拒否、

源氏優勢になった時(重衡が一の谷で捕らえられた時)は宗盛が和平を求めて頼朝が拒否、とか。



宗盛は福原に遷した都を再び平安へ戻すよう清盛に激しく主張、口論に至るほどの強い意志がある人で、ちゃんと清盛から信頼されてる息子だった。

だから壇ノ浦で自害しなかったのも一門の行く末を見届ける責任感のためだった、と川合氏。

息子を思うお父さんってだけでなく、平家一門の棟梁の責任があるからなのですね。



近年宗盛を再評価する動きが出て来たと聞いた記憶があるけど、まさにそのお話を聞けた。

ありがとうございました!




【第三部 IFの平家物語】


「もし〇〇だったら?」というテーマにのって、平家琵琶奏者の荒尾氏、胴塚保存会副会長の安藤氏、大阪大学大学院教授の川合氏のご三方によってされたパネルディスカッションです。面白い予感しかしません。



そのうちの一部をご紹介。

自分の書き殴りメモからの書き起こしにつき色々変だと思います。

あってるかなこれ




Q.平家が源氏に勝つにはどうすればよかった?

荒尾氏「富士川にて坂東平氏が1日も早く入ってくれたらよかった。あと、梶原が頼朝を助けていなければ……。」

川合氏「平治の乱で頼朝は池家(の家人?)に発見されていなければ。北陸道(倶利伽羅峠)で負けていなければ。後白河院への対応を冷静にしていれば。元々平家の方が官軍だったから勝てたかも。」

安藤氏「なんで頼朝と義経を早く〇さなかったのか……」(会場笑)

川合氏「清盛も甘い。頼朝どころか希義も助けるなんて。それは清盛自身に自信があったからなのでしょうけど。」

荒尾氏「怨霊思想、つまり前世の因縁を気にしていたのでしょうか。身分が高くなって余計に気にした。経ヶ島施工の際、人柱を立てることを止めてお経を書いた石を代わりに埋めさせたのもそういうことかと。」


Q.そもそも源氏が居なかった場合の平家はどれくらい続いた?終わりはどんな?

安藤氏「鎌倉殿も足利も源氏なので平家は長く続いていたのでは。敵でも関係なしに取り入れていく姿勢なら続いていたかも。戦国時代ももっと先になったかも。でも海外から何者か来たら分からない……?」

川合氏「清盛も重盛も貴族社会の中で高めて来たから、その辺から頑張っていけば続く。他の伊勢平氏が力をつけて来て平氏vs平氏はあったかも。」

荒尾氏「おごり昂らず他の武家と仲良くしていけば……でも『出た杭は打たれる』!?」



ご三方、ありがとうございました!

川合氏は源平に関するご本も出版されています。

「『源頼朝』という本を出してるけど彼を好きになれない」と仰っていて笑いました。

「利用するだけ利用して捨てる」からと。

平家物語を読んだイメージでも嫌というかなんか恐ろしい人ですね彼。



フォーラム終了後、荒尾氏の平曲CDを買わせていただきました。

サインもいただいた……!


平家琵琶もまじまじと拝見させて戴きました。

撥面がざらざらデコボコ!多分鮫の肌です。

他の琵琶には見られない丸い浮き彫みたいな膨らんだパーツがあった。

「月」という部分らしいけどなんだろう。聞いておけばよかった……。




たくさんお話を聞けましたしとても楽しかったです!

主催してくださった野洲市に感謝!

協賛、当日登壇してくださった皆様ありがとうございました!

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平家物語はいいぞ!!!!!!!

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