欺瞞でもいい、かと。
やっぱり帰省は複雑な思いになった。
実家に着いてみると、母の顔に擦り傷の生々しい跡があった。
何でも数日前、美容院に行こうと歩いていて転んだらしい。
骨折など大きな怪我でなくてよかったが、すっかり足腰が弱くなったようだ。
母が席を外しているとき、姉が小声で言った。
「すっかり物忘れがひどくなって、少し痴呆が始まってるんじゃないかと思う。」
衝撃を受けた。
世間でよく言われる話だか、まさか自分の母がそのような状況になると思っていなかった。
いや、現実はそんなに甘くないとわかっているはずなのに、そこから目を背けてきたのだ。
母が、姉や私を忘れるはずなんて決してないと信じていた…。
現在のところ、私たちをしっかり認識してはいる。
ただ、ついさっき話したことを繰り返し話し出すことがある。
ご飯を食べて、お風呂に入ってきて、「あれ?ご飯の準備してないの?」と言われたときは、少し狼狽してしまった。
私は年に数回帰るだけだから、姉の心情は計り知れないものだろう。
毎日のことだから疲れるだろうな、と他人事みたいに考える自分の無責任さに閉口する。
「いつ帰るんだっけ?」「2日だよ。」
このやり取りも何回かあった。
「帰るの3日だよね?」「違うよ2日だよ。」
「もう帰っちゃうのか。もっといてくれたらいいのに…。」
父が亡くなって20年近く、母と姉は2人で過ごしてきた。
だからその2人の関係性には、おいそれと私が入れないものがあると思っている。
私は別の所で働き、実家に戻ることはおそらくない。
そんな立場の私に、母は姉の言動を告げ口するし、姉は姉で母の強情ぶりを嘆くのだ。
しかし、2人が決まって言うことは、
「お姉ちゃん、よくやってくれるんだよ。」
「お母さん、もっと楽にしたらいいのに。」
仲介してる奴が1番馬鹿みる状況に、苦笑いするしかない。
笑ったのが、寒がりの母がズボンの下に5枚履いていると聞いた時だ。
それが転倒の原因ではないか、という話になって暖かい下着を上下、Amazonで注文した。
母はとても喜んでいた。
姉が少し歩かないといけないね、というので高齢者が押して歩けるカートも注文した。
カートは13日くらいに届くよ、と母に言ったら、それで散歩に行くと楽しみにしているようだ。
「荷物がさっき届いたけど、他にも届くはずだよね?」
「13日に来るよ。」
「何が届くんだっけ?」
この会話も3回くらいした。
神棚に少しばかりのお金を置いてきた。
直接渡しても受け取らないだろうから、家に着いた連絡の際に、姉に知らせるつもりだった。
2人は私にそこまでやらせたことを、ものすごく悔やむに違いない。
でも、そのお金さえ使えない時が来たら…。
使いたくても使えない時は、いつか来る…。
だったら、今、自分が何かを我慢しても、母に使ってほしい。
その行動も赦しを得たいと思う私の欺瞞なのかもしれないが…。それでもいい。
帰省は複雑な思いになる。
でも、一番大切な場所であることは間違いない。
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