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京大を半年で中退して東大に秋入学した

自己紹介

こんにちは、K. 如才(Twitter: @tactfully28)です。私は修士課程1年の大学院生で、統計力学の研究をやろうとしています。今は東京大学の総合文化研究科というところに所属しているのですが、昨年の9月までは京都大学の理学研究科というところにいました。私の経歴をまとめると、次のようになります。

2015年3月 高校卒業
2015年4月 東京大学理科一類入学
2017年4月 東京大学教養学部統合自然科学科進学
2019年3月 東京大学卒業
2019年4月 京都大学理学研究科化学専攻修士課程入学
2019年9月 京都大学中退
2019年9月 東京大学総合文化研究科広域科学専攻修士課程入学

京都大学を中退したため、私はストレートの人と比べると0.5年遅れということになります。この奇妙な経歴は多くの人に不思議がられ、どうして退学したのかとよく尋ねられました。そこで、この記事では私がこのような経歴の持ち主になった経緯を説明しようと思います。

「生きている」ことの謎

私は本を読むのと、理屈をこねるのが好きな子供でした。身の回りの様々なことを不思議に思い、疑問に思ったことはよく調べたり尋ねたりしていました。何かを知ること、抱いた疑問について納得するまで考えることが好きだった私が、科学者になりたいと思うことはごく自然なことでした。
私がとりわけ不思議に感じていたのが、自分自身が生きているという事実でした。生き物が生きているということは、全く当たり前のことではありません。実際、生きていないものから生き物を作り出すことに成功した人はいないわけです。これは、「生きている」というのはどういう状態なのか人類は全然分かっていないということに他なりません。
生き物は、生きていないものと比べて見るからに異質です。我々は、呼吸したり、食事したり、排泄したりすることによって、生きているという状態を保つことができます。逆に、生きていないものは動きませんし、仲間を増やすこともしませんし、自分自身の状態を一定に保とうともしません。ただ朽ちていくだけです。どうして生命体にはそのような芸当ができるのでしょうか。生きているものと生きていないものを分けているのは、一体何なのでしょうか。
私は、自分が生きているというのはどういうことなのか、つまり、「生き物が生きる」という現象の背後にはどのようなメカニズムがあるのだろうか、という問題に強い興味を抱いたのでした。

物理学という体系

しかし、「生きているとはどういうことか?」という問題は、あまりに漠然としていて答えようがありません。私は、どのように考えていけば自分の納得できる答えに近づくことができるのだろうかと悩みました。そもそも、現象を理解するとはどういうことなのか、何が分かれば自分は満足するのかが分からないのです。
そうした私にとって、強力な武器になると思われたのが物理学でした。物理学というのは、様々な現象を統一的に記述できる普遍的な法則の体系を作ることで、この世界の数理的な構造を明らかにしようという学問です。

1つ例を挙げて説明しましょう。ニュートンが木から落ちるリンゴを見て、リンゴと地球はお互いに引き合っているのだと気付いたというエピソードはご存知でしょうか。この発見からまとめあげられた、「全てのものはお互いに引きつけあっている」とする法則が万有引力の法則です。このエピソード自体は知っていても、万有引力の法則の何がすごいのかはいまいちピンと来ていない、という方もいらっしゃるかもしれません。
ものが落ちる、というのは一見当たり前のことのように感じられます。万有引力なんて概念を持ち出さなくても「落ちるから落ちる」でいいではないか、というのが自然なものの見方でしょう。万有引力の法則の1つ革命的な点は、リンゴが地面に落ちるという現象も、月が地球のまわりを回るという現象も同じことなのだと示したことにあります。それまでは、リンゴは地上の法則に従って落ち、月は天空の法則に従って回るのだというように、これらは別々の現象として理解されていました。万有引力の法則が主張するのは、リンゴも月も地球という巨大な質量の塊に引きつけられているのだということ、そして、落ちるのも回るのも同じ法則から導くことのできる、同じ原理の現象なのだということです。これは驚くべき主張です。
これが「様々な現象を統一的に記述」するという言葉の意味です。こうして、万有引力の法則という、この世界に隠されていた数理的な構造が明らかになったわけでした。

ニュートンは天才だったためこうした数理的構造に気付くことができたわけですが、普通に生きていたらこんなこと見つけられるはずがありません。物理学を勉強することにより、私は自力では到底気づけなかったであろう世界の法則を知ることができたわけです。物理学との出会いは、私の世界の見え方を変えた出来事でした。
私は、物理学を学んでいくにつれて、こうした「世界の見方」が変わる快感に魅了されていきました。そして、生命現象を物理学の枠組みで理解したい、生命現象に潜む数理的な構造を探ることこそが生命現象を理解するということだ、と思うようになったのでした。

京都大学の受験

私は、統合自然科学科という学科に進学し、物理学を専門に学ぶことにしました。そうして物理学を勉強して分かったことは、自分が想像していた以上に人類は生命現象のことを何も理解できていないということでした。人類は、生命に関する普遍的な基本法則も、それどころか原始的な生命体にだけ限定的に成り立つような法則も、まだ何も手に入れていませんでした。
私の関心に世界で最も近い研究をしている研究室は、実は統合自然科学科の中にありました。そこでは、生命現象を模した数理モデルを設定して、そのモデルを解析することで生命現象の普遍法則を発見しようという研究が行われていました。そこでの研究が興味深いことは確かでした。ですが、私にはそうした研究が自分にできる気がしませんでした。うまい数理モデルを設定するというのは、並外れた直観と洞察力を要する大変な作業です。私は、自分がどこまでも凡人に過ぎないことを理解していました。そこで、もう少し自分にも取り組めそうなテーマで研究ができる研究室を他に探すことにしました。
そうして目をつけたのが、京都大学理学研究科化学専攻の研究室でした。そこは、シミュレーションによってタンパク質のはたらきを理論的に調べている研究室でした。ここならば、物理学の知識を活かしつつ、人類全体の生命現象への理解を前進させることに少しだけでも貢献できるのではないかと思われたのでした。2018年の夏、私は京都大学の大学院入試を受け、そしてそれに合格しました。

卒業研究

2019年の秋からは卒業研究に取り組みました。私は統計力学の理論を扱っている研究室に配属されていました。
ここで、統計力学について少し説明しておきましょう。統計力学は物理の一分野で、おおよそ、たくさんの粒子が集まってできたモノの性質を研究していると思ってもらえれば構いません。
統計力学の代表的な未解決問題に、沸騰や凍結のメカニズムの問題があります。水を冷やすと凍るというのは、これまた当たり前のことのように思えます。ですが、「モノは分子という粒からできている」という前提に立つと、当たり前に思えていた景色は一変します。水も氷も、同じH2Oという粒が集まってできています。温度を変えても、H2Oという粒自体の性質が変わってしまうわけではありません。温度が変わった時に変わるのは、H2Oの集まり方です。液体状態では(それなりに)動くことのできたH2Oが、凍ると自由に動けなくなるのです。しかも、この変化はじわじわと起こるのではありません。0度を境に、急に水から氷へと移り変わるのです。水と氷は見るからに全然違うものです。同じH2Oという分子から、ただ温度が変わっただけで全く別のものが出来上がる、これは極めて不思議なことです。
このように、H2Oという分子の性質がいくら分かったところで、H2Oの集まりである水の性質は、「凍る」という単純なものでさえ全く何も分からないのです。であれば、集団に特有の性質は、粒子1粒1粒の性質から一体どのようにして立ち上がってくるのでしょうか。H2O分子1つの性質がわかったとき、そこから1リットルの水が何度で凍るのかといった性質を導き出すことはできるのでしょうか。こういった問題を研究するのが統計力学です。

さて、院試の結果を受けて私は研究室の先生と話し合い、卒業研究では液体の構造を統計力学的に研究することにしました。タンパク質は水という液体の中ではたらくため、液体の構造に関する理論はタンパク質のシミュレーションにおいても重要なのです。私は卒業研究を仕上げ、東京大学を卒業しました。

焦燥

東京大学を卒業した後、私は京都大学理学研究科化学専攻に進学しました。まずは先生に借りた量子化学の教科書や、自分の研究のベースとなる論文を読み進めていくことにしました。私は理論化学であれば物理学の延長線上でなんとかなるだろうと思っていました。ですが、化学は実際勉強してみると物理とは大いにノリが違っていました。化学は物理と比べると幾分定性的な側面のある学問です。私は、生命に潜む数理的な構造を知りたいというモチベーションを化学の人たちと共有することができませんでした(注1)。また、化学を学ぶことにも思っていたより難儀しました。普段の授業や研究室のゼミは何を言っているか理解できず、ほとんど何も得られない退屈な時間に感じられました。

(注1)専門的な話になりますが、私の研究対象はあるイオンポンプタンパク質でした。私の興味は、分子シミュレーションを通じてイオンポンプの情報熱機関としての効率を見積もるための理論的枠組みを作ることにあったのですが、ラボ全体の興味はむしろイオンポンプの分子進化の方にありました。

私は博士課程に進学するつもりでした。そして、経歴にハクを付けるためにも、学費を捻出するためにも、学振特別研究員に採用されたいと考えていました。学振というのは優秀な大学院生に給料を出す制度のことです。学振特別研究員に採用されることは優秀さの証明であり、学振は研究者への登竜門ともされています。
この狭き門を通り抜けるためには、早期に研究成果を出す必要がありました。ですから、私は早く研究成果を出したい一心で化学の勉強に取り組みました。ですが、いくら頑張ってみても、化学のことはなんだかよく分かりませんでした。何時間も居残ってみても、ゼミで出された課題を解くことができませんでした。
私は焦りに駆られ、勉強時間を増やすことでどうにか解決を試みようとしました。ですが、それはうまくいきませんでした。私はひたすらに空回りを繰り返していました。焦れば焦るほど、私の頭の回転は鈍くなり、やがていくら読んでも本の内容が全く頭に入ってこないようになってしまいました。体調もどんどん悪くなり、全身に気だるい重さがまとわりついて、家を出るのも億劫になりました。精神的にもすっかり参ってしまって、しまいには大学に行くだけで耳鳴りや吐き気がしてしまうほどでした。

路線変更

私は計画の見直しを迫られました。自分に休みが必要なのは明白で、このまま突っ走っていくのはどう考えても無理でした。私は、東大のハイレベルな授業についていくべく、東大に入ってからというもの自分に出せる全力を出して勉強してきていました。今回自分がダウンしてしまった背景には、年単位で蓄積された疲労があったのです。私には、これは一週間やそこら休んだところでどうにかなるものでもないという直感が働きました。さらに、noteでは詳細に触れませんが、勉学のこと以外にも精神的に落ち込むような出来事がありました。私には、それこそ半年程度の休みが必要だったのでした。

ですが、それほど休んだなら研究を早期に完成させて学振に応募しつつ博士課程に進学するという当初の計画は完膚なきまでに崩れ去ってしまいます。私は、どのみちモチベーションも共有できないし、ここで博士課程に進学するのは無理だという考えに至りました。そうすると修士課程を2年間で卒業して就職するという道が第一の選択肢になるわけですが、化学については勉強しなければならない事項が大量に積み残されている以上、修士課程の大部分が休養と就活と勉強に費やされることになってしまいます。それではほとんど研究できません。そんな卒業に自分が満足するとは思えませんでした。
今の自分にとって、勉強からスムーズに研究に移行できるようなテーマとは、卒業研究で取り組んだ液体の構造の話に他なりませんでした。それは直接生命現象に関わるテーマではありませんが、卒業研究に取り組んでみた結果、これはこれで取り組みがいのある面白いテーマだと思えるようになっていました(注2)。このテーマならば、たとえ博士課程に行かないにしても、ある程度自分の知的好奇心を満たせるはずだと考えました。私は、「タンパク質のシミュレーション」の代わりに「液体の構造」を研究テーマにしようと思い立ち、古巣・東大の先生に相談してみることにしました。

(注2)ただし、全く関係がないわけでもありません。人体のおよそ60%は水分だと言われています。液体が我々の体を作っているという事実は、生命システムがやわらかな可塑性を実現する上で本質的な意味を持っているはずだと思っています。液体の構造を研究するということは、液体の液体らしさの根源を探るということでもあります。私は、それはきっと生命を知るための一つの糸口になっているだろうと信じています。

先生は快く相談に応じてくれました。そして具体的なテーマや研究の進め方などを話し合った結果、私は大学を移ることを決意しました。どうせ休みを取るのであれば、いっそ大学を変えてしまった方がいいだろうとの判断でした。私は、京都で無理に研究を続けるより、卒業を遅らせてでも東大に戻ってきた方が落ち着いて研究ができそうだと考えました。
そのとき先生が勧めてくれたのが秋入学という選択肢でした。総合文化研究科には、7月に試験を受けて9月に入学できる制度があるのです。その場合卒業は2021年の9月ということになります。私はこの制度を使うことにしました。
それからは、しばらく特に大学にも行かず京都でのんびりと過ごしていました。試験を受けたらすんなりと合格できたため、京大を退学して東大へ秋入学しました。親は驚いていましたが、寛大なことに反対することもなく、引っ越しや入学のための資金を出してくれました。

現在

こうして、今は東大の院生として液体の構造の研究をしています。半分卒業研究の続きのようなテーマです。入学した当初は博士課程進学に消極的でしたが、最近は博士課程進学を第一の進路として考えるようになってきました。
京大をやめたのは正解だったと思います。決して悪い大学でも悪い研究室でもなかったのですが、歯車が噛み合わず京都生活はあまりうまく行きませんでした。

京大に行ったことで得られたものも多くあります。そもそも私は京都の街に強い憧れを抱いていたため、京都に住めたこと自体が最高の体験のように感じられました。また、私の今のメインのテーマは液体の構造の話なのですが、京都でタンパク質の研究をしようとして培われた問題意識を活かしてイオンポンプの機構の理論的研究にも取り組もうと考えています。京大での経験も、うまく今後に活かしていければいいなと思います。

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今回は学問の話を主軸に話しましたが、この一連の出来事の背景には私の死生観・人生観や恋愛事情なども絡んでいます。こうした一段と深い内容に興味のある方は、私のblogの
「続・私の院試体験」
などの記事も読んでみて下さい。よければ感想等お待ちしております。

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