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大学3校をほぼ同時に自己推薦入試で受験した話

ひょんなことで愛用していた法政大学のシャーペンを壊しました。使えなくないと言えば使えなくはない状態ですが、なんとなく寿命がきたような、このシャーペンの生涯の一つの節目を迎えたか、という気持ちもしています。

私は受験生当時、3つの大学を同時に自己推薦で受験していました。今でこそ慶應という大学で学生をしているわけですが、受験生当時、この法政大学のシャーペンはすごく支えになったものなのです。

※この記事は、大学受験の際に、自分が漠然とした大学という概念をなんとなく実体化しながら悪戦苦闘した受験時代の記憶を掘り起こしながら、つらつらと文字に起こしただけの駄文で、間違ってもAO、自己推薦入試の普及を後押しするものでもないし、なんなら一般入試と比較をするようなものでもない、珍しい体験をしたという話でもない。ただ地方の受験生が何もわからない中、3つの大学を自己推薦で受けたというだけの話です。

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高校三年生の春、いい加減周囲もおおよその自分の進学する学校を決め、各々受験に向けて準備をする中、自分は愚直に大阪大学を希望し続けていました。単純に「大阪にある」「知ってる」の2つの単純なコンテキストで2年間第一志望に書き続けていた大学は、私にD判定を突き返し続けており、正直合格の可能性はゼロに近かったです。

そんな中、AO入試、自己推薦入試の存在を知ります。地元島根県で地方創生を志し生徒会活動、地元での課外活動、大学の教員と一緒に研究活動もどきのようなものに精力的に勤しんでいた私は、高校の教員からすれば外面こそいいものの勉強はちゃんとしない、非常に厄介な学生だったことだろうと思います。

とは言え、これまで大して価値を感じていなかった学校の勉強と、これまで自分が本当に愛情を持って取り組み続けた島根の地方創生、地域への想いでもって大学に入学できるのであれば、それはどんなに嬉しいことだろうかと思い、AO、自己推薦入試で入学できる大学を調べ始めました。そんな中、父がたまたまネットで探してきて見つけたのが慶應義塾大学の総合政策学部でした。

早速オープンキャンパスに行きます。案の定とても魅力的な大学で、大学というものを高校の延長ぐらいに考えていた自分にとってはすごく刺激的な先輩たちに出会い、こんな環境に飛び込んでみたいと目を輝かせ、勢いもそのままAO第1期の志望理由書を出したのです。(今思い返すとこの大学大変にスケジュール設定がいやらしく、オープンキャンパスの2日後がAOの志望理由書の出願期間だったのです。)

さて、当然のことですが自信はありました。当時島根では県庁に出入りし、NPO法人に出入りし、企業に出入りし、大学に出入りし、1人官民学連携のようなことをし、島根の地方創生を牽引していた有名人のみなさんの中でも顔が知られている存在と自負していたので、当然活動力では他県の高校生にも劣らないと思っていました。

結果、ものの見事に落ちます。2次試験にすら進めず書類で落とされました。教員は「ほらみたことか」という顔をしますし、家族はお通夜モードですし、晩飯の味はしません。かなりプライドは打ち砕かれ、自分のやってきたことはすごく無意味だったような気がして虚無感に襲われました。

落ち込む時間もないままに、AO第2期の出願をするかの選択を迫られます。(慶應総合政策学部は夏と冬の2回AO入試を受験することができたのです。)

もちろん受けたいと思いました。しかし2期の出願は9月、合格発表は12月です。世間一般の高校生たちはセンター試験に向けて最後の追い込みをする期間で、ここをAO入試の準備にかけるということは、事実上センター試験を捨てることになります。当時夏のAOに向けた準備ですでに模試の偏差値は脅威の40代を叩き出していたため、地方と言えど国公立を一般入試で受験するには絶望的でした。

教員からは、「今から勉強を頑張ればまだ地元の国公立大学には間に合う」とコメントをもらい、なんとなくAOを諦めて一般試験の準備をすることを勧められます。

別に教員も意地悪で言っている訳ではないのはわかっています。AOなどという合格判定のあやふやな入試よりは定量的に合格ラインが見えている一般入試の方が安全なのは間違いないですし、母校は慶應大学のAO入試実績は少なく、教員サイドも指導がまともにできるかわからないという環境を考えれば、生徒の進学先を適切に指導するという目的の上では当然一般入試を勧めるでしょう。

ただ、自分はあくまでもAO入試に拘っていました。別に変に格好をつける理由もないので言って仕舞えば、「だって慶應だよ?」みたいな感情もありましたし、一般入試で狙えないような大学でも、自分ならAO入試で狙うことができるという自信がありました。なんなら、とりあえず地元の大学に行くという選択肢をとるぐらいなら、本当に行きたいと思えるような大学を受験して本懐を遂げる方が良いなとも思っていました。(最悪落ちたら放浪の旅にでも出ようか、と言っていた時期もあります。)

なんとなく進学するんだろうな、という気持ちで大学を選ぶというラインから、この大学、こういう環境で学びたいと思い始め、具体的な大学生活のビジョンを描き始めたのはこの時だったのでしょう。

とはいえ、第1期に落ちているという事実は直視しなければいけません。2期も落ちたらもう他に選択肢がない、といった状況は極力避けるべきです。慶應大学ほどではないとは言え、近い学習環境が得られそうな大学を探し、併願をしようと考えます。すくなくとも島根を愛するのであれば一度島根の外を知りたい、可能であれば東京を知りたいと思い、自分が最終的に選んだのが法政大学キャリアデザイン学部、早稲田大学社会科学部の2つでした。

こんな経緯でもって、3つの大学をほぼ同時に自己推薦入試で受験することになったのです。

さて、3校同時受験を決意したはいいものの、教員にはそのことを話さなければいけません。当然難色を示されます。当時通っていた塾の講師からは「東京の大学は地方の学生なんかをAOでは取らない」と言われ、かなりの反対をくらいます。

担任、校長、進路指導室など、様々な教員と面談を重ね、最後の最後には保護者面談にまで発展する話になりますが、最終的に自分の意思を伝え続けた結果、「とりあえずやってみたら」というテイストで許可が下ります。この許可が下りて以降は教員も「やるならやるでちゃんとやりましょう」ということで志望理由書、小論文対策、面接対策等、その他相談事に乗ってくださったりと、あらゆる尽力をしてくださいました。AO入試に大して独学で取り組み続けていた私としてはかなりありがたい助力だったと思います。

さて、スケジュール的には1次法政、1次早稲田、1次慶應、2次法政、2次早稲田、2次慶應となっており、合格発表のタイミングなども考えればかなり複雑なスケジュール構成になりました。大体時期は9月中旬から12月上旬までで、3ヶ月間は気が抜けない状況が続きます。

全ての志望理由書を出し切り、ようやく最初の法政大学の結果がでます。結果1次合格で、2次の小論&面接に進めるということでした。

その時の安堵感はなんとも言えないものがありました。自分の志望理由書が一回認められたという事実が単純に嬉しかったという気持ちもあります。

小論文対策、面接対策を行い夜行バスで東京に行きました。前日には到着し、当日迷わないようにと一度市ヶ谷キャンパスに行ったのです。

大学そのものは休みだったようで、学生の出入りもまばらだったのですが一部図書館などの施設が空いていたので暇を潰しがてら探検をしたりしました。その時に事務室のようなところに立ち寄ったのです。

「自分は受験生で、明日の試験の下見にきた」という話をするとすごく気さくに話を聞いてくださりました。おそらく入試と直接的に関わりの薄い部署だったのでしょう。資料や大学のことなどをすごく詳しく紹介してくださり、さながら学校説明のような状態でした。

「本来であればオープンキャンパスにきた人にしかあげてないんだけど…」と言ってもらったのが件のシャープペンシルです。事務の人に応援してもらったのがすごく嬉しく、入試当日にもそのシャーペンを持参し小論文試験を受けました。

単なるシャーペンなのですが、両親も教員も、友人も周りにいないアウェイな環境で、なんなら自分をこれから判定する立場の大学の人間が、自分を応援してくれたということがすごく嬉しく、感動したことを覚えています。

結局、法政大学は無事2次試験も合格し、早稲田は書類で落とされるも、最後の慶應で1次2次と無事突破し、法政と慶應で最終的に慶應を選び、今にいたるということになります。

特にこの記事の中に主張はないのです。ですが強いていうのことがあるとすれば、キャリアプラン、人生計画というものが少なくとも自分にとってはすごく当てにならないものだと今となっては思うということです。

「大阪に行きたい」だけの漠然とした理由から大学を志望していたものが、わずか4ヶ月で明確にここで学びたいと意思を持ってそこにいくための努力をするようになったということだけを見ても、如何に自分の考えが変わるのが早いのかがわかります。そして自分はなんなら今は地方創生がサブの目的となり、もっぱら取り組んでいるのはITの世界のことです。別にこれも一貫しない訳ではありません。自分が何かできるようになれば、それを使って地域に貢献することができるという風に立ち位置を変えただけです。しかしこれもわずか1年で意思決定をしたことで、高校生の間自分は間違ってもエンジニアなどになるとは思ってもいなかったのです。

自分も含め、大学生は「キャリアプランを聞かせて欲しい」と言われることがあります。自分は明確に「わかりません」と答えています。だって実際わからないんですもの。高校生の時に思い描いた大学がわずか4ヶ月で変わり、自分が取り組むことすら2年で変わり、こんな状況で10年後などとても想像できまいと。

キャリアに対しての漠然とした「何か」が実態を帯びた何かに変わり、それを明確な目標として努力をするという経験を、大学入試を通じて自分は得たのだと思っています。たとえ第一志望に受からなかったにせ、この経験そのものは自分のその後の人生を大きく左右していますし、「ものすごくこれがやりたい」という衝動的な欲求が生まれた時に、それを信じて邁進すれば大抵なことはどうにでもできそうだという自信にもつながってるのです。

おそらく今後の人生においても、すごく大変な選択をすることがあると思いますし、それは大学どころではない、自分の生活の根幹に関わる意思決定になるのかもしれません。ですが自分の人生、なんとなくどうにかなるような気がしていますし、そのぐらいの気概の方が余裕を持って過ごせるのでは、という風に思うのです。

とりあえず接着剤買いに行きます。

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