見出し画像

Lightroomで自分の色をさがす旅

最近、色について考えている。というか、混乱している。

カメラの次にLightroomというツールを手に入れてから、RAW現像の可能性にドハマりして。学生時代に出会いたかったよと思うほど惚れ込んでしまった。

しかしやればやるほど終わりがなくて、どこまでもいろんな色を試せるから、どの色が自分の表現したい色なのか分からなくなってしまった。

例えばこれ。

画像1

16年前のiMacを押し入れから引っ張り出して、玄関で中のデータを吸い出す妻。

この段階ですでにLightroomによって補正がかけられている訳だけれども、そこからさらにいじると、こうなった。

画像2

暗部が落ち込んで、モニタの明かりが強調される。VSCOというプラグインを使ってフィルムの質感。ちょっと怖い。

さらにトリミングして周辺減光してあげると・・・

画像3

国家機密を覗いてしまった女。

ビデオカメラを買ったばかりの学生がプリセットのエフェクトで遊んでいるような感じで、まだ道具に振り回されている現状です。

画像4

これは2017年のGWに行った青森県恐山での1枚。当時はまだJPEGでしか撮ってなくて、Photoshopで色補正していた。霊場という場がもつ異世界の雰囲気にのまれたのか、明らかにやり過ぎな空。

無理やり補正してみた。

画像5

奇をてらった印象は収まったが、逆に風車の毒々しさがより強まった。

何でもできるとどこをFinishとすべきか分からなくなってくる、という話。

もっと気軽に自分の定着させたい光と色のイメージを持てばいいだけなんだけど、膨大な枚数で統一感を持たせたいと思ったときに気軽ではいられない。


昔、仕事で写真家の上田義彦さんの撮影現場に立ち会わせていただいたことがある。

4×5という大判カメラで富士山を見つめる上田さん。その横でじっと黙って見守る僕らスタッフの目にも同じ風景が広がっているのに、上がってくる写真の光と色に息をのんだ。僕はそこで作家を見た。

好きな写真家の写真を並べてじっくり見てみよう。色をいじるだけでは突破できないこのモヤモヤを、自分の中だけで解決しようとしたら小さく収まってしまう。

今僕が向き合うべきはモニタではなく、写真集たちなのだ。

Lightroomさんよ、待っててくんろ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?