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現場レポ:写真がうまくなっちゃうワークショップ(前篇)

9月下旬から参加している「鈴木心の写真がうまくなっちゃうワークショップ」、略して「写うま」について、産みの苦しみ真っただ中からレポートしてみます。

「写うま」とは?

「いい写真」とは、どんな写真でしょうか? 私たちは、「伝わる写真」だと考えます。見た人の心が動き、コミュニケーションがはずんでいく写真。そのためには、撮る時点で見せたいものが明確である必要があります。

鈴木心の写真がうまくなっちゃうワークショップ 4期 申込みページより

写真家の鈴木心さんが、伝わる写真の極意を込めた著書『写真がうまくなっちゃう7のこと』をベースに、「いい写真=伝わる写真」を生み出す術や、そのための思考法を探る全6回のワークショップ。

僕が通っている3期オンラインクラスは、希望者にはオフラインでの参加も可能で、会社員、主婦、消防士さんなど全国からさまざまな人が参加しています。

全6回のカリキュラムについて

2週に1度のワークショップはこんなテーマで進行します。

① 基礎:カメラよりも前に、自分の眼を理解しよう!
② 絵づくり:絞りとシャッターで光の絵を描こう!
③ 写真を読む:一流の写真家から、一流の写真表現を学ぼう!
④ 実習:真似することで、自分らしさを知ろう!
⑤ 実践:自分らしい写真を撮ろう!
⑥ まとめ:写真集をつくろう!

鈴木心の写真がうまくなっちゃうワークショップ 4期 申込みページより

第1〜3回までは、Instagramにアップする課題提出が毎日あります。「水平・垂直・正対で、遠・中・近で撮る」「絞りを変えて連作を撮る」など“撮る”に関わることや、各々が好きな写真集から1枚を選び、その写真の撮られた時期・ピント位置・絞り・シャッタースピード・季節などの撮影データを読み取る、“見る”に関わることに取り組み、心さんから毎日生声のフィードバックをもらいます。

毎日って聞くと大変そうだけど、実際、大変です。大変で楽しい。これまでいかに無自覚に写真を撮ってきたかを痛感する。さらに課題ごとのハッシュタグで並ぶ投稿を見て、みんなの切り口に刺激を受けます(共通ハッシュタグ #写うま でも見られます)。

とはいえここまではカメラと眼と手を一体化させるためのウォーミングアップ。先日5回目を終え、次回が最終回。「伝わる写真」とは何なのか?その謎を解明すべく、我々はアマゾンの奥地へ向かった…。

自分らしいって何?

第5回のテーマは「実践:自分らしい写真を撮ろう!」。必要になってくる問いは、「自分らしいって何?」。

自分らしさについて考える方法は人それぞれ。これだけ写真と向き合っていれば自然と考えちゃうものです。そのときに指針となるのが、各自が自分で設定した「お手本となる写真家」の存在です。

第4回の時点で

自分が好きなものを好きに見せるためには? まずはそれを実現している写真家をお手本にしてみましょう

鈴木心の写真がうまくなっちゃうワークショップ 4期 申込みページより

というテーマを通っているので、そこで設定した写真家や写真集のトーン、世界観、視線を自分に憑依させて撮っていきます。ある人は荒木経惟に、ある人は市橋織江に、ある消防士はヴォルフガング・ティルマンスになりきって。

もちろん完全に憑依させることなんてできるわけがなくて、出てくる写真はちょっと違う。ぜんぜん違う。それが自分らしさ。その自分らしさを言語化させて自分を知る。無の状態で自分と対峙するのではなく、身体を使って撮った写真を読むことで自分自身を読み解こうとするので、しんどいけどどこか健康的です。

僕はアメリカのロード系写真家の代表格と目されるアレック・ソスと、彼の最新作『A Pound of Pictures』をセレクトしました。

1枚目が僕の模写で、2枚目がソスのオリジナル(の複写)。

花粉が散っていたので黄色のクレヨンで再現しました。被写体や構図を真似するだけでなく、光の注ぎ方も考慮に入れ、丁寧にやっていきます。

“アレック・ソス”を知る旅へ

第5回の案内にはこう書かれています。

「もし◯◯が△△を撮ったら?」
選んだ1冊の写真集を参考に、その写真家になりきって自分の環境で作品をつくってみましょう。 主題を正確に捉えることができれば、別のシチュエーションに置き換えられるようになります。模写からはみ出す部分が、あなたの自分らしさ。

「鈴木心の写真学校」より

第4回課題の「模倣」はある意味ゲーム的な要素もあって楽しかったです。ところがここからは、写真家を憑依させつつも自分の作品を作っていく行為。より内面的な作家の考察と、写真の読解、そして自分自身との連結に思いを巡らせます。


目下、僕はアレック・ソスの作品がどのような経緯を辿って1冊にまとめられたのかを調べています。海外の作家なので作品への言及はネットに落ちていますが、作者自身の生い立ちなどはなかなか見つけられないのが悩み。

Alec Soth(『BRUTUS』より)

個人的に調べたことはここに貼っていってます。

miroのボードにペタペタ

https://miro.com/app/board/uXjVPFDZ1n0=/?share_link_id=360031966404

1969年アメリカ・ミネソタ州ミネアポリス生まれのアレック・ソスは、同地を拠点に活動し、2004年『Sleeping by the Mississippi』を刊行。これまでに25冊以上の写真集を発表し、国際写真家集団マグナム・フォトの正会員も務める。

アレック・ソス プロフィールより


処女作『Sleeping by the Mississippi』や2冊目となる『Niagara』は、旅を通して出会う人々のポートレートが目を引きます。シンプルに、ロードムービーを想起させる展開。

そのあと、よりコンセプチュアルな作品が続き、最新作『A Pound of Pictures』では

「大陸を横断したエイブラハム・リンカーンの葬儀列車のルートを辿るものとして始まったが、本作もまたより広く詩的なものを求めて、地理性を手放している」

『Gathering Leaves Annotated』日本語版より

と本人は語っています。

つまりコンセプトありきでアメリカ横断を始めたが、途中でそのコンセプトを解放した状態で「写真」というメディアと人々との繋がり自体に目を向けた。そのきっかけとなったのが「バナキュラー写真」(作家性のない家族写真やアルバム等)だとも言っています。

匿名の誰かの写真を被写体としたり、それ自体を作品として自作と一緒に展示・構成しているのです。ソスは明らかに「目の前の被写体」と同時に「写真」そのものに目を向けている。

なるほど面白いな〜!と思いつつ、僕がソスを憑依させて「写真そのもの」をどう「そのもの」として捉えるかは、ちょっとずらして考えた方がいい。第三者の写真を混ぜて構成するには、まだソスほどの「自分の作品」を写真で作った経験がないので、「背骨がないのに換骨奪胎はできないんじゃないか」と思ったのでした。

でも、以前にも書きましたが、16歳から42歳の現在まで、やたら好き勝手に撮ってきた「自分のバナキュラー写真」は大量にあります。


長くなってきたので後篇へつづきます。

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