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忘却マシンを殺そう

もっといい人がいるよとか、元彼元カノを忘れられたからこそいい人に出会えたとか、忘却していくことは1つの技術であり、幸せに生きるための方法の一つではあると思うが、それをそれとしてその程度の言葉で片付けられる感性のチープさに嫌悪感がある。「めっちゃ病んだけど」いい人に出会えた、の鉤括弧の部分のみの言葉で表現されてしまうそのかつて自分の苦しみに対して、その程度の浅薄な言葉でしか表せない感性は全く信用できない。その程度の言葉でしか表せず、あとは忘却して、そしていまハッピー、みたいな自分の苦しみを言語化して捉え直して深く考えていくことへの至らなさというか、かつての「今」の感性を軽視しすぎているところが浅はかだと思う所以だ。今の苦しみ、絶望、虚しさを言葉にしてその感覚を少しでも遺そうとする試みが全くない人間に関して、それらの苦悩へとる対処法の稚拙さにわたしは驚くし、自分の今の感性になんのこだわりもないということはころころと自分でも理由もわからずひっくりかえるような価値のない感性を元に生きていることになる。そんな人間のアドバイスは究極的にはばかになれ、というアドバイスでしかないし、聞くだけ無駄に思える。かつての自分の感性を大事にしていないんだな、つまり今の気持ち、感情、感性もすごい速さで変動していくような信用ならないもので動いているんだなと思うから、本質的な深みはないし、心を許そうとはならない。自分の刹那的な感情や感性に誠実でない、手のひらがコロコロ返ってしまうようなくだらない人間が多いと思う。でもそれがきっと世の中の大多数を占めるのだろうから、救いがない。

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