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NYCでタコスと出会う

ぼくが最初にタコスの美味さに魅了されたのは、もう15年以上も前。

当時沖縄にしょっちゅう遊び行っていたぼくは、現地で食べるタコスやタコライスにすっかりハマってしまった。特にビーチ(つまり浜)で食べるタコスは感動ものだった。その後ひょんなことから沖縄に住むことになって、沖縄のタコスの名店として知られる宜野湾のメキシコと出会い、どっぷりタコスLOVEな生活を送っていたのである。

沖縄のタコスが本場メキシコのタコスとは全く別物という事を知ったのはつい最近の話。

時は流れ、東京に戻り妻と暮らすようになってから時間的に海外旅行に行く余裕が出来てきた。金銭的には全く余裕は無かったが、何とか捻出して旅行に行くうち、タイ料理に夫婦でどっぷりハマった。GWにタイに行って、夏休みもタイに行く。年末にもタイに行こうか迷う。(年末はせっかくだし紅白を観ようということで行かなかったが、結局紅白は観なかった)しかも、現地ではほぼ食事しかせず、妻はいまだにワットポーもワットアルンにも行ってない。あの辛味、酸味、香りにハマると抜け出せない。日本に帰ってからも、本格的なタイ料理を出す店を探し続けた。

そんな折、結婚5年目にして二人の念願だったNYCに遅い新婚旅行をすることにした。青春時代にJAY-Zを聴いて育った夫とBeyonceが大好き過ぎてカラオケでデスチャを熱唱する妻。美術やエンターテイメントが大好きな我々夫婦にとってNYCは必ず行かねばならない場であった。

NYCは広い。そしてエンターテイメントに溢れている。

お金がないため中国系のキャリアを駆使し、GWのクソ高いところで来たNYC。英語が全くと言っていいほど話せないぼくらだが、何とか地下鉄のウイークリーパスを購入し、乗り間違えの洗礼を何度も受けながら、色々なところに行った。タクシーに行先をうまく説明できないぼくら夫婦は、地下鉄やバスを使い、それ以外のところは昼も夜も歩き続けた。

NYCはとにかく物価が高い。同じものなら日本で買ったほうが格段に安い。新婚旅行なのでホテルは中の上くらいのところにしたが、ちょっと良さそうな飲食店にはなかなか入れない。チップも相場がわからないので、今思えばかなり多めに払っていたと思う。気に入らない店員にでも10%、普段は20%くらい渡していたんじゃないかと思う。そういうのを考える煩わしさもあり、食事はもっぱらデリかフードトラックだった。

ある時、セントラルステーションで食事を取ることにした。

ぼくは無類の牡蠣好きである。死ぬ時は牡蠣に当たって死にたいと思っているほどである。

そして、セントラルステーションには、有名なオイスターバーがある。

いつかNYCに行ったなら。

ブルックリンネッツの試合を観たい。ピータールーガーでステーキを食べたい。ハーレムで生のゴスペルに触れたい。そしてセントラルステーションのオイスターバーに行きたいと思っていたぼくは迷わずオイスターバーを探し、ほどなく見つけることが出来た。妻は旅行先では牡蠣など当たる可能性が高い食材は好まないタイプだが、ぼくの夢と知ってついてきてくれた。

見た目以上に重厚さを感じるドアである。

このドアを開ければ、ぼくの夢が一つかなうのだ。

ブルックリンネッツの試合は、GWはプレーシーズンではないため見られない。ピータールーガーは予約でいっぱいみたいな事を言われて断られた。ゴスペルは何か別の予定を入れるという凡ミスにより見送り。何一つ実現できていないNYC旅行だった。オイスターバーの夢を叶えられるチャンスが目の前にあることが嬉しかった。

が、その夢を叶えることにぼくは違和感を覚えた。というか、ヒヨった。

本当にこれが求めていたものだろうか。から始まり、お金が結構かかるんじゃなかろうか、ワインはボトルで入れさせられるかも、牡蠣の種類とか聞かれたら答えられないしどうしよう、当たったらやだな、今そんなにお腹すいてない気がしてきた、牡蠣って気分じゃないかも、などなど。最終的には日本でも旨い牡蠣は食えるし、何ならその方が安心安全。という結論にたどり着いた。

え??入らないの!?と戸惑う妻に、「フードコートで良くない?時間もそんなにないし」的な事を告げて、目の奥に涙をためながら、ぼくは己の弱さやズルさを背負い、戒めとしてNYCでの夢の実現を諦め、踵を返してフードコートに向かった。

そんなフードコートでぼくは運命と出会う。

席だけを確保し、ぼくらは別々に食べ物を物色し始めた。カレーっぽいものや、サンドウィッチ、チャイニーズなどある中でぼくはサラダを選んだ。ステーキの乗ったサラダだ。

13ドルほどだったが、食べきれない量の野菜と少しばかりのステーキが乗ったプレートを渡された。妻はタコスを買ってきた。

妻の買ってきたタコスは、これまでぼくが沖縄で散々見て食べてきたものと全く違っていた。小ぶりだし(宜野湾メキシコのタコスも小ぶりだが)、いわゆるタコミートではないチキン(ポロ、ポジョ)が乗っているし、サワークリームのようなものがかかっている。野菜もレタスだけでなく、玉ねぎや何か得体のしれない葉も乗っている。

ぼくら夫婦はこういう時大体、ちょっとづつシェアして食べる。

ぼくの特盛サラダをすごいねと笑顔で頬張る妻。美味しいけど肉が硬いという評価を頂いた。

ぼくも妻のタコスをかじらせてもらったのだが、その時衝撃が走った。


な、なんじゃこりゃ!!!げ激うまやんけ!!!!


この世の物とは思えない旨さ。あれほどハマったタイ料理を、同じベクトルでさらに抜いてきた感じ。そして、よりヘルシーに。そのバランス感といったら!

得体のしれない葉はパクチーだった。ぼくはパクチーってアジア圏でばかり使うものだと思っていたが、コリアンダーという洋名があるし、あとから知ったのだがメキシコではシエントロやシラントロという名前で呼ばれ、メキシコ料理には欠かせないということだった。

酸味はライム。ライムのさわやかな香りと酸味にパクチーの香りが混ざり、クミンなどの香辛料の癖とチリソースの控えめな辛さ、そして、コーンのトルティージャの香ばしさ全てが合わさって出来たパーフェクトワールドがそこに広がっていた。

妻の許しを得て、そのまま一つタコスを平らげたぼくは、その日から事あるごとにタコスを欲するようになるのであった。

そして、日本でもタコスが美味しいところがいくつかあることを知り、たまに食べに行っている。日本にも美味しいタコス屋さんが沢山あることを知ったが、あのNYCの衝撃を越える事はないかもしれない。ちなみに、だいぶ美化されている可能性も否めない。

そんなこんなでタコスにハマったぼくは、軽い気持ちで脱サラしてタコス屋でもやれたら良いなと思っていたのだが、タコスの要であるトルティージャ(トルティーヤ)作りで早くも半べそをかく事になる。

その話はまた今度。


※このブログは、脱サラしてタコス屋開業を目指す40代のサラリーマンの奮闘記である。

なお、タコス屋開業の目途は全くたっていない。3年くらいでやれたらいいな程度に思っている。今のままサラリーマンでもまあいいかとも思っている。ちなみに飲食の経験は20年ほどまえにバイトで半年やっただけである。その時は、先輩が怖すぎて(怒ってフォークを10本くらい投げつけられるという恐怖体験2度目で顔にフォークが飛んできたため)逃げるように辞めた。その時に教わった料理の事は活きていて、一人暮らしはほぼ自炊だったし居酒屋のキッチン半年で覚えた腕前は変わっていない(大して進歩もしていないが)。タコス屋というまだ市場としてはニッチな業態ゆえ、どのような需要があるのかもよくわからない。ひょっとすると現在の規模で既に飽和状態の可能性もあるが、あの感動を伝播できるならぜひやりたい。僕のつくるタコスが激うまだと一人でも言ってくれれば嬉しい。NYCでの夢はことごとく潰えたが、ぼくはNYCで夢の芽を掴んできたのだと信じたい。

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