見出し画像

カンフーガールズ活動休止に寄せて

あとがきのようなもの

いつもならこの後書きはライブレポの最後段に据えているのですが、今回文章量が多くなりすぎたので分割することにしました。

まあこの方がレポだけを読みたい人と、書いてる人間の戯言も読みたい人を分けられるので良いのかもしれません。

あと少しだけお付き合いください。

この記事は以下のライブレポの編集後記として書いているので、是非こちらも併せて読んでみてください。


僕とカンフーガールズ

僕が一番はじめにカンフーガールズを知ったのは、2022年の1月頃にプロデュースチームのポリムが新グループ(後の功夫少女)の公開オーディションを開催しているのを知ったところからでした。

元々アンスリュームのオタクだった僕にとって、ポリムの動向がいち早く耳に入ったのはある意味必然だった。つまり、カンフーガールズに通うことが半ばこの時点で決まっていたと言ってもいいのかもしれない。

2022年5月14日のデビューライブもできることなら行きたかったのですが、仕事の都合で参加することが叶わず、はじめてカンフーのステージを観たのがデビューからちょうど1ヶ月後の6月14日、新宿WALLYでおこなわれた『PE.DA.LU』という対バンイベントでした。

この日のライブレポでも書いていますが、”中華”コンセプトっていう物珍しさと、中華っぽいニュアンスの中にちゃんと新しくてノれるサウンドが上手いことミックスされていて、なんだか懐かしいようで新しい。

そして、メンバーのビジュアルが総じて高い。

その後すぐ4日後の単独公演『赤壁閃電』にも足を運び、それからあっという間にカンフーガールズは僕の心の桃源郷になりました。

この頃はまだ現場で知り合いもいなかったし、入特を貰っても使わずに特典会に参加しないで直帰してました。単純に振りコピ楽しい!メンバー可愛い!ライブ面白いっていうだけで通っていました。

お友達紹介キャンペーンのこととか

2020年の6月から12月末まで行われていた「契を交わせ‼招待状企画」っていうキャンペーンがあったんですけど、要はお友達を連れて物販に行くとスタンプカードに押印してくれて、そのスタンプの数によって特典が受けられますよっていうやつ。

このシステムが凄く良かった。普段現場で自分から話しかけることの無い僕でも、目の前にぶら下がった人参欲しさに色んな人に声を掛けたり掛けられたりで自然とファンの輪が広がっていきました。

今でもよく憶えているのですが、2022年9月3日の『天衣無銭』で物販列に並んでいる時にたまたま僕の後ろに並んでいた方達に紹介キャンペーン目当てで声を掛けたのが個人的には大きな輪の広がりに入っていった契機になりました。懐かしい。

このキャンペーンの効果は今振り返ってみても大きかったなと思います。グループが走り出してすぐのタイミングでこのキャンペーンを打ったのも良かった。

これきっかけでフロアの中に話せる人や見知った人がどんどん増えて、現場の居心地が一気に良くなっていきました。

そうそう、くじ引きキャンペーンもなんか今振り返れば楽しかったです。1会計5,000円毎か入場特典とかでも1回引けたりそんな感じでしたよね。

コースターと缶バッジばっかりダブついてお目当てメンバーのアクキーが全然出ないとか、まあそれによって結構特典会のフロアで交換したりっていう交流も活発にやってましたね。

そういう意味でこれらの紹介キャンペーンやくじ引きって、フロアの潤滑剤としてとても良く機能していたとおもいます。

咲月 仁乃さん

僕は割りと手紙を書くことが好きで、こうしてネット上にテキストを書くのと同じくらい手書きで文章を認めるのも好きです。

けれど、ついぞ仁乃さんに手紙を書くタイミングが無かったのでこの場を借りて少しだけ僕が応援していた咲月 仁乃さんへメッセージを残そうと思います。

2022年6月以降も月に2~3回のペースで現場に通うようになり8月13日の、『TOKYO GIRLS GIRLS』の会場で初めて仁乃さんとチェキを撮ってお話しさせて頂きました。

その時ちょうど体調を崩していて声がガッサガサな仁乃さんが、「普段はこんなガッサガサじゃないんですよ」とガッサガサな声で言っていたのをよく憶えています。

仁乃さんとチェキを撮ったきっかけは、僕のライブレポを読んでくれていたから(チョロい)でした。それと後付ではあるんだけれども、彼女がアイドル1年生っていうところにとても可能性を感じていました。

初めてステージを観た6月当時、どちらかというとダンスや歌が得意なタイプではなかったですが、そのハードルを乗り越えようとひたむきに取り組んでいるアグレッシブな姿勢と謙虚さが同居している雰囲気がとても好きでしたし、この先アイドルとして成長していく様を近くで見ていたと思いました。

僕の理想とするアイドル像を端的に表すと、チームBの劇場公演曲に『シアターの女神』っていう名曲があるんですけれど、あれが僕のアイドルの理想像にとても近いと思っていて、出会った頃の仁乃さんはそれにバチっとハマったんですね。

実際に彼女がステージ上で頑張っている姿は当時の僕にとって日々のモチベーションになっていたことに間違いはないし、あの頃の僕はどうやったらもっと仁乃さんが色んな人に見つかって人気が出るのかなあって、そんな事を考えながら深夜の都内をよく散歩していました。

それとちょっとしたことですけれど、字が綺麗で日常的に使う漢字をちゃんと手書きで書けるっていう点はこの界隈に居るとまあ珍しい方なので、チェキに常用漢字が並んでいる光景は応援している身として誇らしかったです。

noteを書き始めたのも嬉しかったことの1つです。

同じプラットフォームでテキストを書くんだなっていう嬉しさと、どんな事を書いてくれるんだろうっていう期待感。アイドルさんが書くテキストを読むことが好きな僕にとってとにかく嬉しかったです。

結局卒業までに2記事しか書いてくれませんでしたが(何度か催促したんですけどね!)、今後彼女が筆を執る機会があったら読んでみたいです。


最後に、彼女は発声がとても綺麗でライブの影アナを務めたり、グループの2nd衣装のデザイン制作を全うしたりと、とにかく多彩でアイドルという枠に嵌め込んでしまうのが勿体無いぐらい才能に溢れるアイドルさんでした。

これまで彼女には沢山の楽しい思い出を貰えました。既に書いたとおり、とても才能豊かでポテンシャルの高い人なので、この先も興味を惹くものにどんどん挑戦していって活躍のフィールドをどんどん拡げていって欲しいなって、そんなエールを彼女に送りたいです。

1年4ヶ月間、本当にお疲れ様でした。

一番楽しかった頃

個人的に一番楽しかった時期は2022年のハロウィン前後ぐらいから2023年の1stワンマンライブの頃だったような気がします。

毎月の単独公演や遠征もあり、グループの勢いもあって新曲も順調に増えていって、いつもワクワクしながら現場に通っていました。

この当時モチベーションがとにかく高くて、グループのWikiページを一人でせっせこせっせこ編集して公開したのもこの頃だったと思います。

そんなWikiページですが、ラストライブの前日から再度手を入れ始めました。まあ風呂敷を広げたのは僕自身なので、せめてグループの活動が再開された未来を見越して、その時に綺麗にWikiの編集を次代の方達に引き継げるようにという想いからです。

とにかく楽しかった。ハロウィンもクリスマスも正月もワンマンも節分もバレンタインも…。そんな順風満帆な推しごと生活が急転しました。

2023年の2月末にメンバーが1人脱退してしまったのを契機にモチベーションがガクッと下がってしまったのをよく憶えています。

兵頭 妃華さんのこと

彼女はなんといってもあの歌声とルックスの良さが魅力的でした。前述している一番最初にカンフーのライブを観た6月14日のライブ直後に携帯にメモったものが出てきたのでそのまま引用します。

デビューしてまだ1ヶ月!!
オレンジの娘が死ぬほど可愛くてビビった!
久し振りにマジで可愛い子を見た気がする。

2022年6月14日TUE『PE.DA.LU』@新宿WALLY のメモより抜粋 

こんな逸材がグループから抜けてしまった損失はあまりにも大きすぎた…。人気やルックスは然ることながら、ボーカルの主軸でしたから。

そして脱退間近の時期に行われた『妃華生誕』でのソロステージで歌った「ヒカリへ」と「if」は、今だに鼓膜の何処かに残っているんじゃないかっていうぐらい心が洗われた素晴らしいステージだったなって、今こうして振り返ってみて改めて感じるところです。

この際だから言ってしまうけれど、僕はやっぱり7色のカンフーが好きでした。

原理主義といえばそうなんだろうけど、やっぱり出会って好きになった時点のグループ構成が一番なのはそれはそうな訳で。だから6人体制になってから好きになった人にとっては6人が最高なのと一緒で、僕はやっぱり妃華さんが居た功夫少女が一番好きでした。

実家の居間のような

それでもカンフーのライブに通い続けられたのはひとえに現場の居心地の良さだったとおもいます。暖かくてどんな人でも受け入れてくれる懐の深さみたいなものをずっと感じていました。

ライブ中だけでなく特典会に参加していると大なり小なり嫌な思いをしたことって誰でもあると思うのですが、僕はカンフーの特典会で嫌な思いをした事が本当に無かったです。少なくとも僕の周りにいた人たちはみんな暖かく優しく接してくれました。


そんな暖かな人たちと交流をしていくに連れて、様々な企画やイベントの度に影に日向になり話し合いや下準備をしている姿を間近で見させてもらう機会が増えてきました。

僕自身が惚れてしまうんじゃないかっていうぐらい、推しのハレの日を成功させたい!グループを盛り上げていきたい!現場を楽しくしたい!という直向きでまっすぐな愛情を推しへと傾ける姿を見させてもらいました。

本当に頭が下がるし、あそこまで愛情を注ぎ続ける姿は尊敬以外の何物でもありませんでした。

皆がみんな個人の利益だけを優先していたらこんなに素敵な現場にはなっていなかったとも思うし、それが出来たのはやっぱりメンバーに対して愛情や尊敬の念がちゃんとあったり、オタク同士配慮や理解がある程度備わっている現場だったからなのかなって感じています。

そしてそれをまとめ上げてくれていた方達の信念と人徳の為せるところだった、というのは誰もが首を縦に振るところではないでしょうか。

こんなに楽しかった現場が無くなってしまったていうのが残念で仕方ないし、できることなら1stワンマンをやった新宿ReNYのあの夜からやり直したい!って思うぐらいあの頃は毎日楽しくて楽しくて、カンフーの現場だけあれば他は行かなくても全然いいやっていうぐらい楽しかった。

ここに集まってくる人たちはライブ中も特典会のときも本当にみんな楽しそうで、特に特典会で和気あいあいと推しメンや仲の良い人同士で歓談している光景をぼーっと眺めるのが好きでした。大好きでした。

あの空間の賑やかな風景を切り取って額縁に入れて飾っておきたいぐらい好きな空間でした。書いてて涙が出てきそうだよまったく。

だからこそその空間が奪われてしまうことが残念でならなかったし、正確には悔しいという表現の方が合っているかもしれません。

カンフーに通う前はほぼほぼ一人で現場に行ってライブ見て、黙々とチェキ撮ってさっさと帰るのがルーティーンだった僕にとって、この愛しきカンフー現場はまるで居心地の良いお茶の間みたいな現場でした。

勝手にnoteで好き放題書いてるアニメアイコンで変な名前だし、得体のしれない僕みたいなのを暖かく輪の中に入れてくれて本当に感謝していますし、8月から突然ぷっつりと現場に来なくなった僕をラストの日も今までと変わらず迎えてくれて、一緒に最後の瞬間までみんなと共有させてもらったこの日のことはきっと忘れないでしょう。

心残りといえば、仕事の関係で5月の『次陣・一年周天』と『仁乃生誕』に参加できなかったことぐらいで他は僕個人としてはやり切ったなという感じです。

ラストライブから数日経って

正直なところ凄く空虚な感じがずっと続いています。ライブが終わったあと、皆で飲みに行ってワイワイ楽しい時間が過ぎて朝日を背に帰宅してからというものずっと喪失感や虚脱感が頭をもたげている様な日が続いています。

”アイドルを応援する”とか”推し”とか、半ばライフスタイルに組み込まれているというか、最早ルーティーン化しているじゃないですか。そういうサイクルそのものを客観的に一度見つめ直す良いタイミングなんじゃないかなと。

ラストライブの日の翌日も翌々日も別グループの現場に足を運んではみたんですが、楽しいには楽しいんだけれどどこか物足りなさや寂しさを感じています。

今までよりは大幅に現場数を減らしてその時間を別の趣味や勉強に充ててみて、それでこの界隈に戻らなくてもいいやっていう気持ちになったらその時がもしかしたら潮時なのかもしれない。

あれから数日たった今でもTL上ではカンフーの話題が流れてくるし、この最後の記事を書き上げている間は毎日カンフーの事を考えているけれど、それもこの記事を書き上げてしまえば次第に思い出す時間も減っていってしまうんだろうな。そう思うととても寂しい。

ライブレポを書くこと

僕にとって現場に行ってライブを観て特典会に参加して、帰宅してレポを書くところまでがワンセットでした。

noteでカンフーのライブレポなどをせっせこせっせこ書いてきて、なんとダントツで一番記事を書いたアイドルグループがカンフーガールズでした。

当記事も含めて全部で35記事書きました。今後このカンフーガールズカテゴリで記事を新たにすることは無いとは思いますが、この35記事という記録が破られることも無いかもしれません。

この35記事という数字が示すように、僕も皆さんと同様にグループに彼女たちに愛情を傾けてきたみたいです。

そして、もともと個人的な忘備録として始めたこのライブレポートですが、メンバーはもちろんのこと少なくない数のファンの皆さんがこうして毎回ライブレポを読みにいらして頂き、SNS上でのレスポンスや感想を伝えてくれたことはとても励みになっていました。ありがとうございました。

記憶の中からはどんどん鮮明さは薄れていってしまうかもしれませんが、テキストは何年何十年経っても1文字も変わらずそこに残り続けているので、ふと思い出した時に読み返しに来てくれるととても嬉しいです。

最後になりますが、カンフーガールズメンバーの皆さん、思い出深いシーンの数々を僕と共有してくれたヲタクの皆さん、記事を読んでいただいた皆さん、そしてこれまでカンフーガールズの運営に携わってこられたスタッフの方々、ならびにこの現場を通して今日まで僕に関係したすべての人に感謝を申し上げます。

カンフーは僕の心のなかにも部屋の中にも大きなものを残していきました

これにて僕の功夫物語は終わりです。
皆さん本当に本当にありがとうございました。

終劇


万が一サポートして頂けるような神がいらっしゃいましたら、取材費としてありがたく使わせていただきます。