【随筆】天岩戸開きは意識の始まりかもしれない!〜神々の沈黙を読んで
ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙: 意識の誕生と文明の興亡」を読んだ。
この説の大要は、約3000年前までは人は二分身と言われる、神々の声を直接聞き、その命令に従って行動をなす人々のみで構成されていたが、言語の獲得及びその比喩の効果により意識を獲得した結果、神々の声が聞こえなくなった。
以来、人々は意識による自己対話を重ね、科学的な発展をしてきたが、心の底では命令者たる神の声を求めると言うような内容であった、と理解している。
著者は、世界中の神話や遺跡の意匠の分析と解説を例示し(その数や膨大!)一程度の説得性がある。ただ、どこまでいっても科学的な説明はつくものではないため、一説でしかないとは思う。
空白の玉座のレリーフが示すもの
私が特に説得力があると思ったのは、太古においては、神の玉座に神はいたが(レリーフには描かれていたが)、ある時から空白の玉座の時代が訪れると言う事例だ。【トゥクルティ・ニヌルタ1世による空白の王座】
このレリーフでは、跪いた人物(一連の動作をアニメーション的に記したものか)が空の玉座に宗教的な行為をしている。
多くは玉座には神々や王が描かれるのだが、このレリーフには誰もいない。しかしながら、跪き、なにからしらの宗教的な行為をしている。これは、神々の声が聞こえなくなった時代の人々が、神々の声を神託という形で聞こうとしているのではないだろうか。
日本神話で神々の沈黙を考える
日本神話においてはどうであろうか、古事記は非常に複雑な構造を持っているため、簡単に比較はできないが、神々の不在と言えば、造化三神は冒頭にのみ登場し、そのまま身を隠してしまう。また、別天津神やイザナギ・イザナミ以外の神世七代は、その後は全くと言ってよいほど存在感がない。国土を作ったイザナギ・イザナミもアマテラス、ツクヨミ、スサノオを生んだあと、登場しなくなる。
私が「不在」を最も意識したのは、アマテラスが、天岩戸隠れをするところだ。天岩戸にアマテラスが隠れたことにより神の声が聞こえなくなり、世界が混乱したとある。よくこれを日蝕の表現とする説があるが、日蝕は一時的な物であり世界が混乱するほどのものではないと思う。
これは、まさに神々の沈黙を象徴した話ではないだろうか。
さらに、この時にオモイノカネ(思金神)がアマテラスを引き出す算段をしている。これは人が意識を持ったと言う象徴ではないだろうか。オモイノカネは更に、神意を聞くための占いを始めている。神々の声が聞こえなくなったということだ。
アマテラスが顔をのぞかせた時に「鏡」が使われているが、鏡ということは分身ということであり、一度神としてのアマテラスは消え、代替(偶像やアイコン)としてのニューアマテラスが生まれたことを指しているのではないかと思った。
古事記では、この直後にこの騒動の元凶たるスサノオが、オオゲツヒメを殺し、そこから食物が生まれたと言う描写が描かれている。
物語の文脈を無視して、突如として挿入されるこのエピソード。
これはまさに縄文の時代において神々の声が聞こえていたが、稲作等の農耕栽培が広がった後に複雑な社会変化に対応するため、意識が芽生え、神々の声が聞こえなくなった。
人々はアマテラスの声(神の声)を間接的にしか聞くことができなくなったということを示しているのではないだろうか。
古代史や宗教観を見つめなおすきっかけに
高天原を追放されたスサノオは、その性格を大きく変え、いよいよ人間の世界に降りていく。今に続く「意識の時代」の始まりを予感させる。
古事記は特に神々のエピソードが非調和的に記述され、その非論理的なところが、様々な解釈、気づきを生んでいる。
他の史実との突き合わせ、当時の中国の資料との整合、また考古学資料との整合など、まだまだ研究の余地がある書であるようだ。
ジュリアン・ジェインズの神々の沈黙は、図書館で借りて一通り読んだのだが、あまりにも面白いので、手元に置いておきたくなり、先日注文した。
古代史観や宗教観を一変させる書であり、衝撃の書物であったので、これからもひも解いてみたいと思っているし、その説を敷衍した古事記などの読み解きも楽しみたいと思っている。
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