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Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀 ~輝ける套路~

 雷鳴。
 大地を打つような、激しい豪雨が降りしきっていた。
 轟音を響かせ、閃く雷電は闇の帳をほんの一瞬、青白く照らし出す。
 鬱蒼と茂る森の中。非常に簡素に整備された村への道の中に、なにか蠢くものがあった。
 あまりにも弱々しく、その影は緩慢な速度でずるずると道を進んでいた。
 否。それは、地を這いつくばって進んでいた。
 死に体の蟲の如き、あまりにも無残な姿である。しかしながら、泥をかぶりながらも必死に先へ行こうとする様は、なにかとてつもない執念を感じさせた。
 血の轍を尾に引きながら、その影は絶え絶えの息の中、絞り出すように呟いた。

「……あと、少し……! あと……少し……!」

 男はそう言葉を吐き出した瞬間、口の端から血が零れ落ちた。
 今生きていられるのも不思議な程の重傷であった。
 ありとあらゆる部位に、切り裂かれ貫かれた傷がある。
 満足に立ち上がることすらできないのだろう。男はそれでも尚、生き汚く足掻いていた。
 
 そんな男の背後に、いつの間にか三つの影が立っていた。

 それまで人の気配など微塵も無かったのに、怪生の類の如く、霧のように現れ、無慈悲に、傷だらけの男を見下ろしていた。
 それらは男か女かすらわからない。
 漆黒の布を纏い、分厚い仮面を装着しているからだ。
 その仮面に何か細工でもあるのだろうか。
 クスクスと意地悪く漏れ出る笑い声も、妙に掠れて、本来の声色すら誤魔化されているようだった。
 病的なまでに徹底された身分の隠匿。それは、この者達が全うな任に就かぬ、まつろわぬものであることを物語っていた。

「まあ、醜い。死にかけの羽蟲もかくや、といった具合」
「むしろ、よくもここまで逃げ回れたものだ。蟲の生命力も、中々どうして侮れん」
「もういいでしょう? 追い詰めた獲物を愛でるのは、アンタたちの悪い癖だ。この雨だ、さっさと殺して、埋めて、帰って熱い風呂にでも入りましょうや」

 その言葉を契機に、三人は懐から各々の武器を取り出した。
 一人は、柄が紐で繋がれている、二振りの短刀を。
 一人はズシリと重い、棘のついた鉄の棍棒を。
 残る一人は……何処に仕舞っていたのか、身の丈を超えるほどの長い剣を。
 それぞれが手に取り、獣のように輝く眼光で、未だにズルズルと前進を続ける瀕死の男に駆け寄り、その凶刃を振り下ろさんとした――。

 その刹那。

 「なァ、アンタたち」

 突如、無骨な声が刺客達を貫いた。
 反射的に三人は一歩下がり、声の主と距離を取る。
 
 男は、見窄らしい格好をしていた。
 無造作に束ねた長髪はいかにも邪魔臭く見え、着流しと言えば聞こえのいい、飾り気の欠けた衣服は、長旅の苦労を滲ませるように、こびりついた汚れが目立った。
 朱い傘で顔が見えないが……腰に佩いた剣に手が掛けられている様子が伺える。
 と、その謎の旅人の足元まで這っていた、血だらけの男は、縋り付くように彼の足首を掴み、その名を呼んだ。

「……ああ、嘘みたいだ……。生きている内に、また会えるなんて……! ……殤(しょう)さん、殤不患(しょうふかん)さん……!」
「奏栄(そうえい)。無理に喋るな」

 殤不患、と呼ばれた男は、静かに屈み、傷だらけの男――奏栄の手に触れた。 
 その何気ない行為で、どれほどの安心が与えられたのだろうか。
 体から流れる血液を少しでも抑えようと、奏栄はその場で丸まり、目を閉じた。
 殤は、無慈悲に叩きつける雨風から守るために、彼の脇に傘を置いた。
 そして雨風を浴びることすらまるで厭わず、殤は真っ直ぐに三人に向き合った。

「――俺は、この奏栄と、アンタたちが、どんなイザコザを起こして、どんな因縁があるのかなんて、まるで知らねえし、口出しする気もねえ」
「……ほお?」
「なんだ、よくわかってるじゃない。私達も同意見よ。直ぐに立ち去りなさい」
「だがよ」
 
 怪しげな闇の住人と正対して、殤不患は、一切動じることもなく。

「俺は奏栄にちょっとした借りがある。こんな場に出くわしちまったからには、素知らぬ顔して通り過ぎることができねえのさ。……だから取引をしたい。どうかここは、大人しく退いてはくれないか?」

 そう言い切った。
 
「はぁ? 貴方、莫迦なの」

 一人の刺客が、怒りを滲ませた。
 当然の反応である。得体の知れない瘋癲《ふうてん》もどきが、命知らずな要求を突きつけてきたのだから。
 だが、もう一人の、棍棒を手にする者がそれを制止し、殤不患に対して、静かに問いかけた。

「取引、と言ったな。さて、貴殿の言う通り、我々が大人しく退いたとして、一体何を対価として差し出して頂けるのかな?」
「ああ。そうだな。申し訳ないが、見ての通り素寒貧でね。なにも差し出せるモノがねえ。だから、その時には、代わりに」

 殤不患は、ごく自然に。

「お前たちを見逃してやる。それでどうだ?」

 そんな、不敵な「条件」を言い放ったのだ。
 そんなものは対価でもなんでもない。この場の状況があまりにも理解できていない。
 向こうは、手練で、連携の取れた刺客が三人。
 対してこちら側には、殤不患と手負いのお荷物の二名しかいないのだ。
 殤だけであれば、逃げ出すことができただろう。だが、今の言葉はあまりにも頂けない。
 刺客の意識が、完全に戦闘へと切り替わってしまった。
 殤の取引を否定する言葉すら必要ない。
 彼らは得物を取り、構えた。彼らの刃の切っ先こそが、持ち合わせる唯一の答であった。
 それを見た殤不患は、慌てることもなく溜息を吐く。

「まぁ、そうなるわなぁ」

 少しだけ残念そうに、そう呟く。その一瞬の隙に付け込むように。
 
「キェェエ!」

 二振りの短刀を振り回しながら、刺客の一人が突撃してきた。
 目にも留まらぬ素早き連撃が、殤の急所を尽く正確に貫かんとする。
 殤もその刃を座して待つわけではない。腰の剣を鞘のまま引き抜き、嵐のように迫りくる凶刃を辛うじて防いだ。
 だが、それは周到に用意されていた罠だった。

「お莫迦さん……! 私の「鴻(おおとり)」は、執念深くってよ!」

 刃と鞘がぶつかったその時、刺客は左手の剣を離した。
 そのまま右の手首を捻り、左の剣を彼方へ飛ばすと、殤の鞘に紐を絡ませた。
 するとどうだろうか。鞘を支点として、彼方へ飛んでいった筈の剣が大きく弧を描き、殤不患の死角……背後の首元へと迫ったのであった。
 間一髪で屈み、それを避ける殤。この間合はまずいと距離を取ろうとするが……もう、すでに、敵の術中に嵌っていたのだった。
 何かに固定されて動けない。なんと、右手が、剣の鞘と共に、例の紐に雁字搦めにされていたのだ。
 そして、避けたと思われた短剣が、深々と地面に突き刺さり、一層、殤不患をこの場に釘付けにする。

「掛かったわ、やっちゃって頂戴!」
「応、任された」
「了解、直ぐ殺ろう」

 そして、左右から残る二人が迫り来る。
 人を効率よく潰すための鈍器と、人体を真っ二つに切断することなど容易いであろう、異形の長剣が。

 満足に動くことができない。
 だからと言って無理にこの紐を引き抜こうと気を逸らせば、それはあまりにも大きな隙となる。
 正しく必殺の計であった。初見でこんなものを食らわされれば、即座に対応できる者など、広き江湖といえど数えるほどしかいないだろう。
 
 そう、例えば。

「――あらよっと」
「……!? きゃ、きゃあ!」

 この殤不患のような、英傑でない限りは。

 殤は内息に気を込めた。丹田から、凄まじい量の気功が発散され、手に絡まる紐を伝わり、暴力的なまでの気の爆発が起きたのだ。
 耐えきれず、眼前の刺客はその場から吹き飛ばされる。
 すかさず手元の紐を手繰り「鴻」と呼ばれた剣を振り回す。
 気の爆発により、地面に刺さっていた剣も抜け、殤が操るがままに、刃の翼をはためかせていた。
 その剣は、吹き飛ばされた刺客を逆に絡め取る。そして、その者自体も大きく振り回して、迫り来る二名に思い切りぶつけた。

 もんどりうつ三人の刺客達。人間一人が勢いよく飛んできたのだ。それなりの手応えがあってもよかったのだが……殤不患は、流石に冷静に見て取っていた。

 振り回した「鴻」の紐が切断されている。
 あの長剣の刺客が、いつの間にかこれを切り、勢いを殺していたのだろう。
 殤不患は用済みとなった「鴻」を放り捨てた。

「貴様ッ!」

 その長剣の刺客が怒声を放ちながら駆けてくる。
 殤不患はそこで初めて、鞘から剣を抜き払った。
 長剣から放たれる、間断なき連続の突き、からの切り上げ、突然の切り下ろし。
 雷撃のように鋭く、容赦のない斬撃の技芸が次々と襲い来る。
 殤の剣がなんとか応戦し、剣戟の響きが森に木霊する。
 
「命を取るまでもないと思っていたが、もう容赦しない! 妙なことに首を突っ込み、挙げ句、奇術なぞで我らを愚弄しやがって……!」
「へえ、奇術。あんたにはあれが、手品の類に見えるのかい」
「そうだろう! 小癪な真似で足掻こうなど、無駄なことを!」
「なら、これはどうだい」

 なんということだろうか。
 長剣の連撃を弾いた殤は――その場で目を閉じたのだ。
 しかも、腕をだらりと垂らし、まるで全身から脱力しているかのような棒立ちだ。
 長剣の攻撃範囲を理解していないのではないかと思うくらいの、無謀な挑発でもあった。
 長剣の刺客はより激高した。この男には無残な死に様こそ相応しいと、自身が持つ技でも、取っておきの残忍な方法で切り刻むことにした。
 それは、神速の斬撃。
 同時に四連撃、上下から、猛獣の牙の如く、得物を引き裂く絶技である。

「【咬牙号烈(こうがごうれつ)】!」

 果てしない鍛錬の末、手にした奥義。幾多の強敵を屠ってきたであろう、殺しの奥義が、今放たれたのである。
 だが、それに対して殤不患は。まるで動じることも無く。
 風に吹かれる野草のように、自然体で佇んでいた。

 ――初太刀は虚仮威し。避ける必要がない。
 ――二太刀目は当てる斬撃ではなく動きを制限するもの。半身を逸らせて対応できる。
 ――三太刀目は本命。だが一、二の斬撃が空振った為、距離の詰めが甘い、一歩下がることで、剣の切っ先が皮一枚届かない距離まで退くことができる。
 ――四太刀目は後詰の剣。だが、全てが虚しく避けられた今は、蛇足の一撃。反撃を伺う殤不患にとって、願ってもない好機へと変わり果てる。

 これらの判断は一瞬。しかも、剣筋を見るまでもない、あまりに自明の摂理であった。
 四太刀目を浴びせるため、不用意に近付いた刺客の剣をひらりと避け、図らず懐へ飛び込む形となった殤不患は、全身から再び気功を発揮させた。

「【拙劍無式・八方氣至(せっけんむしき・はっぽうきし)】」

 たまらず態勢を崩し、たたらを踏む刺客。その絶好の隙を拾わぬ殤不患ではない。
 手の剣を取り回し、其の者の首筋へ振り下ろさんとした。

 だが、刃が敵の首を刎ねる寸前。
 横から飛び出てきた棍棒にその太刀は阻まれた。
 鈍い金属の音が、辺りに深く響く。

 ぴくり、と眉を動かす殤不患。
 その使い手である棍棒の刺客は、感情を伺わせぬ声を発した。 

「もう十分だ。退くぞ」
「な……! こ、こんなところでおめおめ戻れる訳が……!」
「もう目的は果たしたと言ったのだ。無駄な切り合いで、お前達を失うわけにはいかんのだよ」

 その言葉に、殤不患は思わず振り向いた。
 朱色の傘の下の奏栄は、変わらずそこで丸まっている。
 そこのまでの道は、殤が見事に防いでいた。あの三人が奏栄まで忍び寄れる道理などない。
 だが、彼は、奏栄の足に刺さっているものを見逃さなかった。
 とても小さな、棘が刺さっていた。
 それは丁度、殤の剣を止めた棍棒に付いている棘と同じような代物であった。

「まさかテメエ!」
「それでは……殤不患。また出会わないことを願っている」

 刺客は、棍棒の根本をぐいと回した。すると中の機構がすぐさま作動し、破裂音と共に棒の棘が辺り一面に飛散した。
 直ぐ様その場を飛び、素早く剣を振り回し、棘を防ぐ殤不患。
 幾本かの棘を受けきれず、衣服の袖に突き刺さる。
 すると、なんということだろうか。棘が刺さった繊維が、ぶすぶすと音を立てて溶け出しているではないか。

「……嫌な考えばっかり、的中するもんだ」

 見やると、この棘の破裂に紛れ、三人の刺客達は姿を煙のように消している。
 殤不患は剣を鞘に収め、奏栄の元へと走り込んだ。

 彼の顔色は紫色に近くなっており……棘の毒が全身に回っているようであった。
 そう、殤不患が長剣と切り結んでいる間に、棍棒使いがひっそりと棘を飛ばしていたのだった。
 奏栄は苦しそうに咳き込み、黒々とした血を吐き出す。

「……ハハ、やっぱ、殤さんは、凄いや」
「喋るな奏栄! すぐに村の医者に診せる! もうちょっとの辛抱だ」
「……いや、いい。俺はここまで、だ。これでも……侠客の端くれ……。己の限界くらい、悟れるさ」

 奏栄は、血だらけの体を、なんとか動かして、殤不患の腕を掴んだ。

「俺はただ……俺の信じる剣の道を……見極めたかった……それだけなんだ……」
「奏栄……」
「なぁ、殤さん……悔しいよ……俺は、何もできなかった……。あいつは……奴は……! 誰にも気付かれること無く……でもこの世界で一番……!」

 そして、かつてなく、喉から血が溢れる。己の鮮血で溺れ死ぬのではないかと思うくらい、その声は血に濡れていて。
 奏栄は、最後の命の火を燃やし尽くしながら。

「奴は……大量の剣士を殺している……!」

 そんな告発をして、短い生涯に幕を閉じた。

 どれほど経ったであろうか。
 雨の下、一人の剣士は、傍らの亡骸の顔に触れ、そっと瞼を下ろした。

「……つくづく俺は、至らねえ」

 それは、江湖の世界では日常茶飯事の別れ。
 その辺りにいくらでも転がっている、珍しくもない悲劇である。
 だが、この無頼漢は、いつまで経っても、胸を締め付けるこの悔恨に、慣れることがなかった。

 男は立ち上がり、雨の中、静かにその場を去る。
 朱色の傘はそのままに。
 二度と返せなくなった借りの代わりだとでも言うように、かつて侠客だった者へ手向けられていた。 
 傘の先から、ぽたりと冷たい雫が垂れる。

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