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地方行政と地元ボランティアを加えた強力チームで挑む、親子3世代で参加できる野外フェスを目指して〜4年ぶり開催の「朝霧JAM」が見つめる新たなる地平〜

この記事は宣伝会議が主催する「第45回 編集・ライター養成講座」の卒業制作として提出したものである。(2022年12月提出)
6000文字程度という制限以外、執筆内容や取材対象など、自由度の高い課題であった。
私は、生まれ故郷の静岡県富士宮市で毎年開催されている「朝霧JAM」について執筆した。20年以上、毎年楽しく参加してきたこの大好きなイベントが、今後もずっと継続してほしい、そのために何か少しでも「書く」ことで恩返しができないか、そんな思いからこのテーマに決めた。参加して、ただ楽しんできたその裏には、当然ながら開催、運営する側の努力や思いが存在する。
感謝の気持ちを込めて執筆した。そして、このイベントを継続させるために、私たち参加者ができることは何か、そんなことを考えるきっかけの一つになることを願って書いた。
初めての取材、初めての執筆。
難しい課題だったが、同時に書くことの楽しさを再確認できた。
残念ながら、優秀賞を獲得することはできなかったが、これを書き上げることができたことは、自分にとっては大きな一歩だ。
これも私の下手くそな取材に、丁寧にお付き合い頂いた方々のおかげです。本当に感謝しています。ありがとうございました。

苦難を乗り越えてたどり着いた再スタート地点から見えてきたもの

やっとこの光景が戻ってきた。4年ぶりだ。
富士山を仰ぐ朝霧高原に、色とりどりのテントが一斉に花を咲かせる。
静岡県富士宮市で毎年秋に開催される野外フェス「朝霧JAM」の壮観なこの光景は、2001年から続いている。毎年2日間で、延べ24000人の観客を集める。国内外のミュージシャン約30組が出演するロックフェスティバルである。毎年夏に苗場で開催される国内最大級のフェス、「フジロックフェスティバル」と同じく、株式会社SMASHが主催、運営している。
現在、日本には大小合わせて300もの野外フェスが乱立している。成功を収めるイベントがある一方で、数回きりで消滅してしまうフェスが多いことも事実だ。その中にあって、朝霧JAMは約20年、同じ場所、同じ名前、同じコンセプトで開催され続けている数少ない野外フェスの一つだ。
その人気ぶりは、出演するアーティストが発表になる前に、チケットが売り切れてしまうことがあるほど。それは、観客がアーティストのライブだけに集まって来るのではなく、朝霧JAMというイベントを信頼し、フェスそのものを楽しみに参加していることを意味している。
しかし、順風に20回目の開催を目指していた朝霧JAMだが、抗うことのできない苦難に直面することとなる。

2019年には、台風19号の接近のため、開催3日前に中止が発表された。結果的に死者100人を超える甚大な被害を出したこの台風、中止は英断だっと言わざるを得ない。キャンプインフェスを謳うこのイベントは、参加者のほぼ全員がキャンプ泊をしながら参加する。もしイベントを敢行していたら、大惨事になっていたはずだ。
2020年、2021年は、新型コロナウイルスの蔓延により、中止を余儀なくされた。
4年ぶりに開催が決定した今年2022年も、チケット販売時は1日に250000人の感染者を出す第7波の真っ最中であった。さらには、開催1週間前になって、ヘッドライナーとして決まっていたアーティストのキャンセルが発表になった。これがチケットの売り上げにマイナスに影響しなかったとは考えにくい。 
毎年参加し続けている筆者の感想としても、今年は空いていると感じた。特に、例年過酷な場所取り合戦が繰り広げられるキャンプサイトが、今年は余裕を持って十分なスペースを労することなく確保することができた。

朝霧JAMを主催する株式会社SMASHの石飛氏に話を聞くと、今年の入場者数は20000人とのこと。通常より20%減の数字だ。「コロナ禍の影響なのか、4年ぶり開催のブランクによるものなのか、はたまた両方なのか、今年だけのデータでは断定はできない」としながらも、「この状況下でのチケットの売り上げ減少は、覚悟していた範囲内」だと言う。
それよりもコロナ禍がもたらした既存の価値の崩壊や、ここ数年のフェスを取り巻く環境の影響がやはり大きいのではないかと、石飛氏は分析する。
「もともと長くフェスに参加し続けている層も、4年も行かなければ、その間に違う多くの選択肢が生まれてきます。また、本来フェス参加にデビューする年齢の10代後半や20代前半世代は、コロナでここ数年フェスが開催されなかったために、フェスに行くという選択肢がぽっかりと抜け落ちてしまっています。今までもアーティストのブッキングを初め、常にフレッシュさを意識してイベントを企画して来ました。しかし、この若年層の取り込みには、今までとは違った企画やアプローチが必要になると思います。例えば、クラフトなどのワークショップの充実や、会場内にサウナの設置、フェス後に富士宮の急流でのラフティングの導入など、音楽以外の楽しみも充実させることを今後考えています」
SMASHは、フジロックと朝霧JAMを、共に親子3世代で参加できるフェスを目指す、と公言してきた。そのことについて聞くと、非常に興味深い数字を石飛氏から聞くことができた。
「第1回目の開催から、すでに20年以上経っています。当時の若者層が現在では子育て世代です。多くのお客さんが、その世代になっても、生まれた子供と一緒に参加してくれています。今年、朝霧JAMに参加してくれた子供(小学生以下)は2日間で4000人にもなり、今までで最多です」
親子3世代で参加できるフェスを目指して開催を続けてきたひとつの評価が、この数字に表れていると石飛氏は言う。

「朝霧JAM」を活用した、富士宮市のシティセールスの狙いと広がる可能性

多くの子供が参加したことを裏付ける証言がある。今年、富士宮市は市のPRを目的として、朝霧JAMにブースを出展した。その中の一つのテントが人気を博し、開催期間中、順番を待つ列が絶えなかった。授乳、おむつ替えのためのテントがそれだ。
富士宮市役所の企画部長、篠原氏に、野外フェス「朝霧JAM」と地方行政の関係、また今回の出展の狙いについて聞いた。
「前回出展した時は、首都圏から来た20代から30代を中心とした客層をターゲットとして、パラグライダーやラフティングなどの体験型のふるさと納税返礼品をPRしました。また、富士山世界遺産センターや富士山山宮浅間大社など、富士宮市街地への立ち寄りを促す活動をしました」
今年、富士宮市は子育て世代に特化したPRブースを出展することとなった。その狙いは何だったのか。
「前回の出展時に、朝霧JAMには非常に多くの子育てファミリー層が来ていることを知りました。その多くは毎年来ているリピーターであり、話してみると、朝霧高原に親しみを感じてくれていることがわかったのです。そのため、既に良いイメージを持って富士宮に来てくれているこの層をターゲットにすることが、首都圏シティセールスや移住定住を進める富士宮市として、最も効率的で効果的だと考えました。PRの戦略として、朝霧JAM来場者全般をターゲットとすると広すぎて目的もぶれてしまいます。来場者への富士宮市PR、ではなく、富士宮市のファン作り、を第一の目的としました。そのため、単に地元の特産物を売ったり紹介したりすることをやめ、朝霧に何度も来場している子育て世代にターゲットを絞った出展にしました」
出店の際、地元でNPO法人として活動する「母力向上委員会」をパートナーに迎えた。子育て全般を支援する団体で、メンバーも全員子育て中だという。
「今回、母力向上委員会にサポートをお願いしたのは、同団体が日頃取り組んでいる子育て支援活動が、朝霧JAMに参加する子育てファミリー層のお役に立てると思ったからです。中でも、母力向上委員会が商標も保有している「ベビーステーション」は屋外の音楽フェスには大変有効なツールになると考えました。子育てファミリーのニーズに合ったサービス、運営をおこないたい、その目的のために、母力向上委員会は最適の団体でした」
富士宮市内の多くのコンビニには、「ベビ・ステ」の赤いのぼりが立っている。この目印のあるコンビニでは、おむつ替えシートや授乳室、ミルク用のお湯の提供などを受けることができる。そのサービスをそのまま会場内に持ち込んだものが、今回順番待ちの列が絶えなかった、授乳、おむつ替えテントである。
「母力向上委員会のおかげで、4年ぶりの開催で継続した準備ができなかったにも関わらず、大盛況の出展をすることができました。結果的にも富士宮市が、子育て世代に優しい街であることをアピールできました。100点満点の出展でした」

運営が長年をかけて繋いできたリピーターであるファミリー層を、行政がサポートする。民間主導、行政参加の理想の関係だ。行政と朝霧JAMの関係性について、篠原氏は大きな可能性を感じていると話す。
「最初は若者が楽しむ音楽イベント、という印象でしたが、実際に出展してお客さんと触れ合ってみると、楽しみ方が非常に幅広いことがわかりました。会場の雰囲気や周辺の環境、人との出会い、運営への参画など楽しみ方は人それぞれです。音楽ライブ以外のことも楽しみに来ているお客さんが多いことを知ることで、開催地の地元自治体として、地域の魅力をPRする格好の場であると考えています」
富士宮市と朝霧JAMと協働で、今後企画していることを聞いてみた。
「ふるさと納税の返礼品として、朝霧JAMのチケットやグッズでPRできないか考えています。また、朝霧JAMの運営に、富士宮市役所の若手職員が参加できないか検討しています」
富士宮市が朝霧JAMと協力して目指すものを、あるキーワードを使って説明してくれた。
「関係人口の創出です」
近年、メディア等でも耳にすることが増えてきた関係人口とは、その地域と多様に関わる人のことを指す。単に旅行などで訪れる交流人口と異なり、より深いつながりを持つ。そこから、移住定住につながるケースも多いという。
「全ての地方自治体が抱える課題と同じように、富士宮も人口減少、高齢化の問題を抱えています。当然、最終的には移住定住に繋げていきたいと考えています。そのために必要なことは、富士宮市の良いイメージをPRし、市外に住みながら富士宮市を応援してくれるファンを増やすことです。朝霧JAMとの関係では、首都圏シティセールス、移住定住施策、ふるさと納税、観光振興など結びつく施策は多岐に渡り、その可能性は大きいと思います。これからも、富士宮市は、朝霧JAMの来場者を精一杯おもてなししたいと思っています」

「朝霧JAM」を支える屋台骨。
ボランティア集団「朝霧JAMS」のおもてなし精神

「笑顔と元気のおもてなし」をキャッチコピーとし、その活動の中で自然と関係人口を生み出し続けているのが、このイベントを支えるボランティア集団「朝霧JAMS」(以下ジャムズ)だ。日本各地の音楽フェスは、ボランティアで成立している。これは紛れもない事実だ。駐車場の車の誘導、チケット交換、リストバンドチェックにゴミステーション。キッズランドの運営や緊急時の介護まで。ジャムズは開催当初からこのイベントの屋台骨を支え、ボランティア協業の先例を築きリードし続けてきた。通年で活動する約40名のコアスタッフと、200名近い当日参加ボランティアで運営されている。非常に組織的に機能する団体として、各方面から高い評価を得る。

ではなぜジャムズは、 巨大イベントの屋台骨になり得たのか。長年、夫婦揃ってコアスタッフとして活動してきた院南(いんなみ)夫妻は「自分が住んでいる富士宮が好きで、このイベントが大好き」と前置きした上で「朝霧JAMを、ただの野外フェスのひとつとしてではなく、地元開催の祭りとして捉えることで、みんなが自分ごと化できている」と話す。
「自分ごと化できているからこそ、必ず成功させたいという目標が生まれ、みんな能動的に活動する。それに、ボランティア一人一人が、本当に楽しみながら活動しています」
コアスタッフは、地元メンバーを中心に結成されているが、当日ボランティアは日本各地から集まる。ボランティア参加者のリピート率も高いというところから、参加者の満足度の高さも計り知ることができる。
「単独で参加してくれたメンバーも、イベントが終わる時には友達がいっぱいできている。ジャムズがきっかけで生涯のパートナーを見つけるメンバーも多くいます。それから今度は夫婦で参加して、子供も生まれファミリーで参加、とメンバーの縦と横の広がりもあります」
当日、日本各地から駆けつけて共に朝霧JAMを支える。まさに関係人口そのものだ。

「今年はコロナの影響もあって、コアスタッフが28名、当日ボランティア約100名で活動しました」
普段より半数の人数で運営したが、嬉しい応援もあったという。
「フジロックのキッズランドの男性メンバー数名が、助っ人として参加してくれました。普段は女性スタッフだけで構成された朝霧JAMのキッズランドに、男性の応援が駆けつけて常駐してくれたことで、例年にない遊びを取り入れることができました。それが焚き火コーナーです。また、力の弱い女性だけでは今まで作ることのできなかった秘密基地も作ることができました」
必要な時に支え合う、ボランティア精神そのもののエピソードだ。

2011年から使われている「笑顔と元気のおもてなし」のキャッチコピーは、東京五輪を誘致した有名なあのプレゼンより、2年も前から使われていた。石飛氏は、ボランティアとして参加していた女子高生が始めた、リストバンドチェックの方法が忘れられないと話す。
リストバンドチェックとは、チケット購入の証明であるリストバンドを確認するため、そこを通過する来場者に腕を挙げてもらう仕事だ。どうすればお客さんが喜んで、楽しんで協力してくれるのか。女子高生の始めたその方法は、そこを通る来場者とハイタッチをすることだった。フェス独特のハイテンションも手伝って、みな笑顔でリストバンドチェックに協力してくれる様になった。
「あれで、ただのチケットの検問所が、笑顔あふれるコミュニケーションの場となりました。他にも、帰りのバスに対して全力で手を振るなど、こちらが求める以上のことを、自分たちで考え、積極的に活動してくれています。朝霧JAMのあのピースフルで多幸感のある空間を作り出しているのは、ジャムズおもてなし精神そのものだと思います」と石飛氏も笑顔で話してくれた。
院南夫妻は「お客さんが楽しく過ごし、また来たくなる様なフェス作りを一番に考えています。同様に、もしくはそれ以上に、参加してくれる当日ボランティアのメンバーを大切に思っています。ボランティアのみんなが楽しく活動しやすいように、当日の本番はもちろん、準備段階からも、さらにイベント終了後にも積極的にコミュニケーションを取るようにしています」と話す。おもてなしは、来場者だけでなく、当日一緒に仕事をするボランティアメンバーにも向けられている。

朝霧JAMと富士宮市が目指す未来像

石飛氏に朝霧JAMの今後の理想像を語ってもらった。
「音楽が好き、このイベントが好きという、同じ趣旨の仲間が集まっての同窓会としての場を提供できれば、と考えています。また、若年層にとっての出会いや恋愛の場であったり、子育て層が家族の絆と思い出を共有できる場、そういったものを作り続けたい」
その先には、確実に親子3世代で参加できるフェスがある。それは同時に、持続可能であり、地域に根づいた「祭り」としての文化的側面を併せ持つ。若者の文化だったフェスの輪が、世代を超えて広がっていく。音楽同様に、価値観や生活スタイルも時代とともに変化するのはごく自然なことだ。
多くの変化を受け入れることが必要だとしながらも、決して変わらない大切なものもあると篠原氏はいう。そしてそれが街づくりにおいて大切なことだと。「不易流行」の四字熟語を口にしながら、未来像を話してくれた。
「今後、人口は確実に減ってきます。富士宮市の人口も今より20000人ほど減少することが推計されています。しかし、人口が少なくなっても、活力のある街であることが大切です。そのためには、自分の住む街に誇りを持ち、この街が好きという市民が溢れる街になってほしいと思います。いつの時代になっても、人と人とのつながりの大切さ、感動、感謝、そんな人間的な部分は変わらないと思います。
朝霧JAMは多くの人が自分ごととして関わり、形を作り、そして喜びが生まれ、その喜びや楽しみを共有できる場です。これは活力ある街づくりのモデルと共通した部分でもあると気付かされました」
院南夫妻は「老若男女がそれぞれに楽しめるフェスになるといい。世代を超えてみんなで参加できるフェス、そんな祭りを、これからも支え続けたい」と話してくれた。

朝霧JAMは来年、20回目の開催という節目を迎える。今回話を聞いた関係者の言葉の中には、とても多くの共通点があることに気づく。それは、SMASHが地元住民と何度も話し合いを重ね、共有してきた信頼と夢が原点だ。その後、次々に新しい仲間を加えながら、ゆっくりと成長してきた。変わらないのは、常に全員が同じ方向を見つめ続けること。それは紛れもなくチームである。富士山という、決して見失うことのない羅針盤のもと、共に描く理想のゴールを目指す。
未来を見据えた「朝霧JAM」の次章が幕を開ける。それはきっと、皆が思い描く通りの、最高の「祭り」に違いない。
朝霧JAMの来場者は、これからもみな極上のお土産を持ち帰る。それはもちろん、「笑顔」と「元気」だ。

取材協力
・株式会社SMASH
・朝霧JAMS
・富士宮市役所 企画部

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