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自己犠牲なんてクソ食らえ!

今日は金曜日。
僕が僕だけのために、
僕の想いを吐き出す日だ。


今日はね。
ストレートに書いてしまうと。



ここ最近で最も嫌なことがあったために、
心がざわついている。


だからやばいかもしれない。
読まない方がいいよ、なんて。
先に書いておかざるを得ない。



今週の振り返り

まずは心を落ち着かせよう。
今週の振り返り。

うん。

今週の記憶は、ほとんどない。


昨日、すごく嫌なことがあった。
それが全ての1週間だった。



僕はこの気持ちを押し殺して、
当たり障りのない記事を書くことができない。

そんな想いだ。




僕が伝えたい想いはひとつ

でも、なんだろう。
不祥事の謝罪動画に広告を貼るYouTuberじゃないけどさ。

僕は作家の端くれとして。
こういう気持ちこそ表現しなければいけないと思ってる。


だから、書く。


僕が今、心から伝えたいことがひとつある。










自分を大切にしよう。


と、いうことだ。










自己犠牲は、きっとおそらく損をする

この話は、以前書いたか、書いていないか忘れてしまった。

もし見かけたことがある方がいたら、
素知らぬふりをしていただけると幸いだ。







僕は、
自己犠牲って、損だと思っている。



はっきり書くとね。
損という表現が正しいかはわからない。

これは誰かを傷つけるかもしれないけれど。
でも今日は書かずにはいられない。

だから書く。







自己犠牲なんて選択は、
しちゃいけない。
はっきり言って僕はそう思う。


これは僕の内面の話でもあって、
僕自身がこの気持ちと向き合えていないという
側面もあったりするんだけど、
自分でできる限り客観的に考えると、
やっぱりなんか、違うんだよな。



だからここからは、
僕の独り言だと思ってくれていい。

僕は、誰かを批判するつもりはない。

ただ思ったから書くだけで、
特定の誰かを攻撃する意図は、ない。





「自己犠牲なんて、やめろ」


こんなエピソードを、
どこかで聞いたことはないだろうか。





自分の子と、同年代の子が溺れかけているのを見つけて、
己の命を犠牲にして助けた男性の話。







立派だとか、
誇らしいとか、感動とか、
ポジティブに捉える人がいると思うのだけど。


僕の目にはね。
これ。

人として、親として。
絶対にやっちゃいけないことに映る。
最低の裏切り行為に等しく視えるんだ。

ビタ一文たりとも、ポジティブには捉えられない。




だって。
残された家族はどうなるんだい?と。
思ってしまうから。




「僕のお父さんは見知らぬ子を助けて死んだ」

子どもにとってそれが、誇りになるとでも思うのか?
それで飯が食えるとでも言えるのか?
もちろんそれを良しとする人もいるかもだけど。

僕は、そんな想像はできない。

仮にあったとしても、
それは自分自身に対する慰めがほとんどではないだろうか。



助けてもらった側は、
死ぬほど感謝をするかもしれないけれど。

子どもが大きくなるまで代わりに養育費を払うとか、
そんなことをするわけがない。


ものすごくシビアな書き方をすれば、
感謝して終わりだ。
菓子折りぐらいはくれるだろうか。


気持ちで腹が膨れるならいいが、
そんなことはありえないのだ。


遺族は、それからの長い人生を生きていかなくてはならない。
父親という大黒柱を失ったまま。



だからこの場合、
何がなんでも、
死んではいけなかった。



一般的な大人の感覚として。
目の前で子どもが溺れかけていたら、
助けようと思うだろう。

僕だって、こんなにこき下ろしてはいるけれど。

いざそんな状況に直面したら、
多分だけど、見殺しにはできない。



僕は、何も。
助けることそのものが間違っているとは思ってないんだ。



ただ、
命を落とすことが、ダメだと言いたいんだ。





絶対に死ぬな。
死んでも生きろ。
あんたの子どもはどうするんだ。







ということがどうしても伝えたいんだ。



緊急事態に出会ったことは仕方ないわけで。
誰も責められることじゃないのだから。

それでもせめて自分の命は、
守りなさいよ、ということだ。


いくら水を飲み込もうが、
心臓が止まろうが、

父親として、
生きて家族の元に帰らなくてはいけない。

心臓が止まったなら、気合いで動かせ。
水を飲んだなら吐き出して呼吸を取り戻せ。
……何がなんでも生きて帰れ。


無理だろうがなんだろうが。
そうしなきゃいけないんだよ。


自己犠牲で子どもを助けることが、
ヒーローだと思っているなら大間違いだ。



と、僕は思うんだ。




自分を大切にする、ということ

さて。
本題に戻ろう。

僕がこの記事で言いたいのは、
自分を大切にしよう、ということだ。


自慢じゃないが、僕は。
昔そこそこ、自己犠牲な選択をしたことがある。
その選択は現在進行形で僕と、大切な人を苦しめている。

僕が犯した、一生消えない過ちみたいなものだ。



さっきのたとえ話の中で言えば、
僕は、
見知らぬ子を助けて命を落とそうとしている
父親のような存在と言える。


今まさに子どもが助かったのを見届けて、
力を使い果たして沈むか否かの状況。



なんとか浮かんでいるのが精一杯。

水も飲んだ。
手足が動かない。
あぁ、足の感覚がなくなってきた。


僕の今は、まさしくそんな状態だ。







だからこそ。


自己犠牲とか、
自分を大切にする、ということを
生死の境目みたいなところで、
噛み締めている。

今際の際で、走馬灯のように。


「なんだよ、間違えちゃったかな」


そんなことを、
朦朧とした意識の中で噛み締めているんだ。



だから僕は、
渾身の思いを込めて、伝える。






自分のことを大切にしなきゃいけないよ。
僕みたいになるな。
仮になったら、諦めるな。


って。








たらればなんて、
人生において最も無意味だ。
そんなもの、クソ食らえだ。










おわりに


もちろん僕はまだ、
ギリ立て直せると思っている。

めっちゃギリギリだけど。

今、水面から口だけ出して呼吸してる。
アヒル口で。

なんとかつま先と手のひらで水をかいて、
ギリギリ呼吸ができている。

そんな状況で、もがきまくっている。




これからは自分を大切に。
そう、心に決めたから。










心はぐちゃぐちゃだけど。
少し書いて楽になった。


胸を借りました。
読んでくれてありがとう。
よしなに。




TACK









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