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自分の物差しで他人を測るな。という主張に反論する馬の骨。

おはようございます。
金曜日、いかがお過ごしでしょうか。

このnoteは僕が僕の全てを、
自由に気ままにのんべんだらりと綴る。

そんな欲にまみれたコンセプトで構成されています。


さて。
さて。

今日も書いていきましょう。

よかったらヨーグルトでも食べながら読んでみてください。
ヨーグルトは身体にいいですからね。ハイ。


今週の振り返り

僕の今週はまぁ、やっぱり忙しかった。
仕事もだけどね。全てが忙しいのですよ。

あ、もうすぐ新作のKindleを発表します。

読んでもらえたら嬉しいな。


今日はね。
そんな新作Kindleの中で。

多分ボツにするであろうお話を再利用して、
書きたいと思う。


ボツと言ってもネガティブな意味じゃなく。
なんとなくテーマとずれている気がする、というだけの
ひどく曖昧な話で、中身はまぁそれなりに練り回したやつ。

だから多分、そんなにズレたことは書いてないと信じたい。



自分の物差しで他人を測るな、という言葉。

「自分の物差しで他人を測るな!」

これ。
なんとなく、どこかで聞いたことがある人も多いだろう。
自分の物差しを他者に押し付けんなよ、なんて意味の言葉なんだが。


僕個人は、
この主張をすることは一生涯、ないと思ってる。




なぜかって、
人は自分の物差しで他人を測ることしかできない。
とか僕は思っているから。

今日はそんな逆張りっぽいことを書きたいんだ。



でだ。

この主張にはまず、前提がある。
例えばだけど、
理科とか数学とか。
そういう明確な答えがある話題は、ちょっと違う。

そういうものはいい。
自分の物差し以外で、他人を測れるから。


1+1=2

とかさ。
これは事実であって。
自分の物差しうんぬんではなく。
数字という圧倒的で絶対的な物差しを使うことができる。


だから、こういうケースは当てはまらない。



ただし。
この主張の本題は、人間社会。


人生とか社会って、
そんな割り切れることばかりじゃないよね。

ということだ。

そういった場合、
人は何を基準に物事を考えるのだろうか。


これを考えたら、
僕の主張の本筋がきっと見えてくる。



自分の心の物差しが、全て

コップに半分の水が入っていて、
多いと感じるか?それとも少なく感じるか?

みたいな話がある。


これには正解なんてない。



そういう時。
人は、なんの物差しで多いか少ないかを判断するのだろう。









自分の心の物差ししかないんじゃないかな。










他人が決めた物差しで見ることってできるか?
と自問した時、少なくとも僕はできない。

自分の目線と感性で、多いのか少ないのかを判断することしかできない。

他者の意見をどれだけ聞いたとて、
結局そのフィルターを通した自分の感性で答えを出すしかないし、

他者の思いを想像することはできても、
そこに自分の目線を重ねることは、きっとできない。

どれだけ納得するような理由があっても。
考えが途中で変わろうとも。

結局は、自分自身の物差しでしかない。


心理の専門家、カウンセラーの共感の考え方もこうだ。
決して、自分の立ち位置を変えちゃいけない。
同感を求めない。


曲解すれば、自分の物差しでモノを見なさいと、
教わる(と思う)。


だから。

自分の物差しで他人を測るなんて、
当たり前じゃん?とか思っちゃう。

もちろん、それを他者に押し付けるのはまた別の話。

少なくとも考えること自体は
割と普通のことなんじゃないかな、と僕は考えている。


だから。

自分の物差しで他人を見ることを、
悪いことだとは思わないんだよなぁ。


で、これは逆も然りで。
他人から、他人の物差しで見られることも。
僕は当たり前だと思っている。


結論として何が言いたいのかって言うと、










他人の目線なんて気にすんな。
ということだ。






新作Kindleの中に込めた想い

僕は、新作のKindleの中で、
そこそこ自分勝手な持論を展開している。

その部分を読んだ人は。

現実逃避だ、とか。
馬鹿げてる、とか。
それは間違っている、とか。
ちゃんちゃらおかしいとか。

思うかもしれない。
(できれば心の中にしまっておいていただけるとありがたい)

でも、こういうことって人生の中で、
そこそこあると思う。


自分はこう考えている。
でも他者には受け入れられないかも。
みたいなとき。


Kindle出版も、正直この手の悩みはあると思う。
「こんな主張をしても、誰にも受け入れられないんじゃないか」
みたいな。


しかしそんなことは、
ぶっちゃけどうでもいいのではないだろうか。



きっと悩んでいる人は、
誰かにこう言われるかも、とか。
こう思われるかも、とか。

そういうことに心底苦しんでる。

自他の「差」による障害って、意外と少なくない。




でも、僕は勿体無いとか思っちゃう。
簡単じゃないんだけど、
そう思わなくていいんじゃないか、と。

ただ書いたって伝わらないことは知ってるんだけど。

あえてまっすぐ伝えたいんだ。


いいじゃないか。


少なくとも、自分の物差しでこうなんだから。
自分の中で納得していれば、いいじゃないか。



ってさ。



自分の物差しで自分の道を決めるのは当然。
自分の物差しで他人を測るのだって当然。
他人の物差しで見られることだって、上等だ。

こんな考え方が世の中で一番シンプルじゃないかって。

僕は思う。


もちろん、押し付けるのは別の話だし、
僕もこの主張を誰かに押し付けることはしない。

嫌なら嫌でいいし、
くだらないと思うならそれでもいい。


少なくとも、僕はこう思ってんだ!って。
叫んでみたいだけなんだ。






ついでに書けば、
他者を受け入れられないことも、
なんかうまくいかないことも。
他者の考えが気になっちゃう自分も。
サボっちゃう自分も。

なんでもかんでも。

ぜーんぶ、受け入れたっていいと思う。


これもまたカウンセリングの話で、
自分を受け入れることが心の安定につながると言われている。





自分の想いとは裏腹でも。
その物差しは自分の心の中にあるってことだから。

サボりたい自分。
受け入れられない自分。
なんか気に入らない自分。

どう思ったって。
自分の心の中に、

「そうしたい」自分がいる。
その事実は変わらないんだから。








少しでも。
あなたが、あなたらしく生きられるのなら。









僕にとってはそれが、一番の幸せなんです。







なぁんて。


あぁ、今日も好きなこと書いたなぁ。スッキリ。



寒いのでね。
暖かくしてお過ごしください。

今日はここまで。
よしなに。

TACK

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