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世は戦国。「人」取り合戦。

いらっしゃいませ。

今日は金曜日。
いつもながら時間の進むスピードに圧倒される。
冷や奴を食べながらアホ面してたらもう週末。

よかったら、
お寿司でも食べながら読んでほしい。

どうせ大したことは、
書いていないのだから。


今週の振り返り

今週も仕事に追われ、なんやかんやと生きてきた。

仕事はキツいが、創作もしたい。
欲望まみれの人生に何を見出すか分からないけど、
僕は僕の人生に期待しかしていない。


あ。

やっとこさ、新作が完成した。
そのうち告知すると思うが、
おそらく来週の土曜日(10月7日)出版予定。

今回は初の予約ありの出版。
がんばってPRする。
興味がある方は読んでみていただきたい。

この度の新作は、

繊細な人。
創作をしたいけどうまくいかない人。

そんな人に向けた、
「創作の楽しみ方や可能性」をお伝えする本だ。


今僕が思うこと。

宣伝はこれぐらいにしよう。
本当は作品についてアレやコレやと語るのが
良いような気もしているが、
それは来週にしようと思う。

ひとまずね。

このnoteは今この瞬間の、
僕の一番書きたいことを書く。

それが唯一絶対のルールだから。

副業としては絶対間違っているんだけど。
そんな感じで今日も書こうと思う。


今、パッと浮かんだのは。
世の中って、陣取り合戦みたいだなって。
そんなことを書いていく。



世は情報戦国時代。

例えば、あなたは昨日、どれだけの情報に触れただろうか。

テレビ
スマホ
パソコン
チラシ
電車の中吊り広告
駅のポスター

情報を提供してくれるものはたくさんある。
さながら夜空に煌めく星たちのごとく。

そういうものを僕らは、
なんとなく惹かれたり、
興味があるものに自分から寄っていったりして、
情報として飲み込んでいく。

そう。
今の世は情報に溢れている。

そのほとんどが、
人々の興味を惹きつける。

ぶっちゃけお金を吸い上げるために。


にじり寄ってくる、情報たち

さて、そんな情報たち。
昔とは少し違うように僕は感じる。

例えば昔の広告なんてのは、
テレビ、新聞。
そしてポスターや中吊り。

いろんなものにあったけれど。

そのほとんどが「待ち」の情報だ。


で、テレビや雑誌なんかは少し違う。
あれはこう、抱き合わせの情報と言える。

パチンコの雑誌に怪しいブレスレットの広告。
「一晩で大金持ち!」


みたいなね。

パチンコという趣味に惹かれた人を
とっ捕まえるみたいな意味合いのやつだ。



今の時代は、
言い方は悪いけれど、
その抱き合わせた情報が強烈になった。


今や誰もが手放せない、スマホ。
そこに山盛りで提供される、

これにも興味ありません?
お楽しみのところ、ちょいと失礼。

みたいな広告。


YouTubeなんて子どもの頃から目にするものだ。
そこにいきなりブッ込まれる広告。

幼稚園、保育園ぐらいの子どもが、
「広告うざー」
とか言っちゃってる世の中だ。


この時代は、
「攻め」の広告が蔓延している。


うちの商品買ってよ!
こんな良いことあるよ!

そんな情報ばっかり。
別にそれが問題あるとか、
嫌いってわけじゃない。


資本主義社会ってこういうものだし。

まぁ、そうなってるよなぁ、ということが伝わればそれでいい。


陣取り合戦さながらの。

かくいう僕もそんな広告を作るひとりだ。

いや、広告という枠組みではないな。
作品を作って誰かの時間を奪う。

そんなことをしている。

このnoteだってそうだ。


ここにきてくれているあなたの時間を、
僕のためだけに使ってもらっている。

あなたの限りある時間を、
僕のために使わせている。


僕は、この貴重な時間を使ってあなたに何を提供するか、
めちゃくちゃ考えている。

以前そんなことを書いた記憶もあるけれど。

でも。だが。しかし。


僕の創作うんぬんの話はちょっと置いといて。
世の中って、割とそうじゃないか?
という視点を今日は伝えたい。



人生は、「人」取り合戦。

僕らの社会は「人」が主役だ。

「人」がそれぞれ持っている有限の「時間」。
それが社会を構築していると言って良い気がしている。


なぜなら、
「人がそれぞれ持つ時間」とは「人の営み」そのもの。
つまり人生という、何にも変え難いものなのだから。


例を挙げてみよう。

まずは「結婚」だ。
誰かと誰かが心の糸で結ばれ、同じ時を共有する約束。
それが結婚。

これは「人」取り合戦の最たる例でもあると僕は思う。

この人と時間を共有したい。
誰よりも自分が。

綺麗なものに泥を塗ったくるような表現で申し訳ないが、僕の目にはこのように映る。

他者の時間を、自分のために。
自分の時間を、相手のために。

そうやって「時間」をあげたりもらったりして人は生きてるんじゃないかな。


最初の方に書いた広告だって同じだ。
スマホのアプリ。
育毛剤の広告。
電子タバコの広告。

そういうものもそう。

お前の時間(お金)をくれ。
そういう意味が込められてる。


お金=時間=人生
ある側面から見た時に、この図式は成り立つ。

情緒のない、無機質な書き方かもしれないけれど。
いろんなオブラートや生皮を剥いだ先にある現実は、僕はこんなもんじゃないかと思っている。

これぞ、資本主義だ。


美しき世界。

人の時間を奪ったことのない人は、多分存在しない。

僕らは生まれた瞬間から一人では大人になれないし、
そもそもこの世に生まれ出でるために、母親のお腹の中で何ヶ月も過ごす。

言うなれば、井戸端会議の奥様方の世間話だってそう。
言うなれば、ご飯を食べることだって、そうだ。


僕らはお金だけじゃなく、
人の時間を使ったり、
自分の時間を誰かに提供したりして、生きてる。


時間とは、つまり「人」そのものと言っていい。

それが、
「人」取り合戦と表現した理由。



本質として言いたいのはさ。
胸はって生きようぜってこと。

僕らはどうしたって人の時間をもらって生きる。
自分の時間も、他人に提供して生きる。


助け合いじゃないけどさ。
そうやって時間と時間が濃密に絡みあってるものが
社会なわけだから。


しゃんと生きていい。
僕はそう思う。


僕自身、作家として活動してる。
だからこんなことを書くと、
なんだか自分の作品が面白くなくても勘弁してね、みたいな言い訳してるみたいで嫌なんだけど。


それはそれ。
これはこれだ。



こんな時代だからこそ。
そういうものを受け入れていい、ってことを
誰かが言わなきゃいけないと思っている。



人に迷惑をかけてはいけません。
自分の人生は自分のもの。
自分には生きる価値がない。
あれが申し訳ない。
これが申し訳ない。




考え方は人それぞれあるけれど。


僕らは誰しも。
現時点で既に、誰かの時間を奪ってここに存在してんだ。


だからさ。
いいんだよ。
申し訳ないとか思わなくて。

それでもどうしても考えちゃうなら、

できる範囲でいいから、
今度はあんたの時間を誰かに譲ったらいい。


もらった時間は返せない。
だから新たに、時間をあげるしかない。
そんなことの繰り返し。


お中元とか暑中見舞い、年賀状をさ、
あげて、もらって。
その繰り返しみたいな。


このやりとりって意味ある?みたいなさ。

そんな、ちょっと笑っちゃうくらいのモンが
人生ってやつなんじゃないかなって。


僕はそう思っている。









その先にしか、
僕らの望むものはないと思うんだ。









おわり。
読んでくれてありがとう。
よしなに。

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