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お父ちゃん~スピンオフ②

僕が初めて衝撃を受けた小学校2年生から、サンドバックを父にねだる5年生までの間は、ずっと憧れを抱いているだけだった。

ボクシングオタクというか。。

例えば、新聞で選手の名前や写真が載っているだけでも切り取って集めたり、テレビ放送の試合は勿論、それに関する全てのものをチェックし、上書きせずビデオテープに大切に保管し繰り返し何度も観る程だった。

小さい田舎の島の本屋では、ボクシングの専門誌を置いてなく「ボクシングマガジン」・「ワールドボクシング」という月刊誌を、初めて僕が取り寄せたのだ(初めて本土の本屋さんでそれを見付けた時、こんな宝のような雑誌があったのか!!と心振るわせたものだ)。

当初、テレビや雑誌で見ている選手は皆大人だし、とうてい自分が出来るスポーツだと思っていなかった。

最初はそんな感じで見たり集めたりする事を続けていたのだが、ふと、雑誌の最後辺りの白黒のページに、高校生インターハイや国体チャンピオンのページの選手の年齢や体重、身長を見て気付いた。

小学校5年生で、160㎝の小柄な筋肉質で体重が53㎏程の体型だった僕に近い選手がいる!!

慌てて表紙や、表紙近くのカラーのページを見ても、フライ級、ジュニアバンタム、バンタム級、この辺りのプロの選手の体型とも近いじゃないか!!

もしかして、僕でも出来るのか!!?

いや、やってみたい!!!

そう思って、小学校5年生の時、父にお願いしてサンドバックを買ってもらったのだ。

それからは、ランニングや、サンドバックを打って、練習方法の本や、ビデオを見ながら、独学で練習し、島から離れたボクシング部のある私立高校に入学し、寮生活でボクシング漬けの日々を送るのだった。

寮に入りたての頃、3年生の細身の見た目ヒョロヒョロの先輩とスパーリングをした。

独学とはいえ、腕っ節にも多少は自信があり小学生の頃から練習し勉強しているわけだから、勿論負ける気はしなかったし、俺の力を見せてやろうそう思った。が、

現実はそんなに甘くなく、2年も先にボクシングの”やり方”を習っている人に敵うはずはなかった。

こちらのパンチは一つも当たらず、向こうのパンチを顔面に受けるばかりで鼻血を出しストップ。。

痛さはあるけどそれじゃなく、通用しない悔しさで、そのままトイレに駆け込み涙を流した事を覚えている。

そんな悔しさから始まり、地味な努力や、練習、といっても1年生は、シャドーボクシングをする合間に、先輩方のグローブ脱着や、冷水汲みに走ること、ミット持ちをするのだった。

しかし、このミット持ちをやって良かったことは、最初はパンチを受けることは怖いのだが、これを習得すると、階級が軽い重いに関わらず、先輩からミットを持ってくれという声がよく掛かり、その選手ごとの打つ動作のクセがよく分かるようになり、パンチが怖くなくなるのだ。

ともあれ、そんな地味な練習を続けていると、暑いプレハブの中、外に出るとランニング、水は補給せずにうがいという当時のボクシングの習慣があり、春には、イケイケのヤンキーみたいなやつが殆どだった新入生の30人程が、夏にはすっかり居なくなって、それからも続いた同期は、僕と同じように、派手でなく地味な、ボクシングオタクそういうような奴7人程が残っただけだった。

試合に上がり、県チャンピオンになるまでは続けたが、国体選手だった僕は、国体や、インターハイ、社会人大会や、アジア大会。

いろんな会場にでっちで行く中で、強い人が多いことや、その強いと思っていた選手がいとも簡単に次の試合で負けてしまう、というような場面を目の当たりにして現実を知っていった。

そこで3年生に上がる前に、ボクシングを追いかける人生はここで終わりにしよう、そう思い、親にことわりを告げ監督に退部届を出したのだった。

お父ちゃん⑤に続く。。。





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