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幽霊は見えないけれど、霊魂は感じられる。

2024/04/10

洋式便座の丸と宇宙人グレイの頭の形

幽霊。
みなさんは信じますか?
見たことがありますか?

私はたぶん、見たことがない。
よく、
「自分は幽霊を見たことがないから信じていない」という人がいるが、その心理もわかる気がする。

私は、幽霊は信じないけれど、霊魂は信じている。
霊魂=火の玉のようなものかといえばそうではなく、目には見えない、第六感で感じる『気』みたいなものだろうか。

今の時代、写真はおろか動画だって上手に編集する人がたくさんいるので、心霊現象のように見せかけることは簡単だろう。
昔よりも心霊番組が減ったのは、嘘がバレるようになったからだと聞いた。

小さい頃は本気で信じていたし、トイレにも1人で行けなかった私。
だって、昭和の終わりから平成の初期の田舎の家はぼっとん便所だったし、和式のトイレに洋式のカバーをかけただけの簡易洋式ぼっとん便所だったので、穴が大きいし、そこにお尻がハマって落ちちゃうことしか想像できなかったから。
ぼっとん便所って、今の子たちには想像できないと思う。
トイレを覗くと深く深く深い、真っ暗な穴が地下に繋がっていて、かすかに見えるのは汚物。
「あそこに落ちたら叫べば誰か来てくれるだろうか」
「あそこに落ちたらもっともっと埋まって息ができなくなるのではないか」
子どもの想像力は豊かなので、こんなことしか考えられずに怖がっていた。
ちなみに、汚物が溜まってきたら汲み取り業者を呼んで、汲み取ってもらうのだ。
「今日は汲み取りの人が来るからね」
という言葉もよく聞いた。

あと、あのトイレの便座の穴の形って、宇宙人のグレイちゃんの頭と同じ形でしょ?
当時は宇宙人の番組も多かったので、本当にトイレが怖かった。
夜になると怖くなるくせに、親が見ている怖い番組が好きな子どもだったのだ。
うちの父は人を騙してそれを笑うことが好きな人間なので、今でもドッキリ番組が大好きだ。
私が子どもの頃は、父の手によく引っかかっていたものだ。
「UFOだ!」とか、「宇宙人だ!」とか、今考えれば呆れるしかないような嘘に怯えていた。

「寝る前に天井の四隅を見て、足を組んで寝ると金縛りにあうよ」
なんていう噂もあり、自分の部屋がなくて親と川の字で寝ていたのに怖かった。

実際に幽霊を見たこともないのに。

幽霊が怖いのは想像するから

でも、一人暮らしをするようになって、「幽霊が怖いのは想像してしまうからだ」と思うようになった。
鏡に向かってドライヤーをかけている時に、後ろに長い黒髪の女の人が立っていることを想像してしまうから、怖いのだと。
(長い黒髪の女は、他でもない自分なのに)

あんなに怖がっていた幽霊が平気になったのは、20代の頃精神を患ってからだ。
「いつ死んでもいいや」と考えるようになってから、怖い映画やノンフィクションも見れるようになった。
今の時代はコンプライアンス的にどう頑張っても見れないと思うが、VHS時代だった当時は『デスファイル』というシリーズをよく借りていた。
本物の交通事故の映像を集めた悪趣味なものだったが、免許更新で見せるビデオは教習用の眠くなる語りのものではなく、こういうものの方が絶対に事故が減ると考えていた。
当時から、比較的グロいものや血は平気なので、ミステリー映画もちゃんと見れる。
ホラーはちょっと怖いものもあるけれど。

ああ、私は結局、生きたいから幽霊が怖いんだなぁ。

私が霊魂を第六感で感じた日

そしてもっと年齢を重ねたある日、私は霊感なんて持っていないのに、霊魂を感じたことが2回あった。
それは目では全く見えず、風でもない。
それは、『空気』だった。

1度目は、マンションのドアから空気の流れがリビングに入ってきたとき。風は吹いていない。
リビングと玄関の廊下を仕切っているドアも閉まっていて、のれんも動いていない。
それなのに、「何かが今、玄関のドアを開けた」という空気を感じた。

私はその時、玄関から一直線の場所でご飯を食べていた。
玄関を開けられたらのれんがないと丸見えの場所だ。
夫は玄関から見えない位置でご飯を食べていた。
その2人が同時に、異変を感じて目を見合わせたのだ。

「今、なんか入ってきた……?」
「なんかね……」

現実的に考えると、鍵をかけ忘れたドアから、隣人が酔っ払って入ってきたか、包丁を持った人が入ってきたかと思った。

(殺される…!)

瞬時に私はそう思い玄関の方を見やることができずに固まってしまった。
夫が様子を見に行ってくれたのだが、玄関の鍵もチェーンもしまっていた、ということがあった。

さらにその日は変なことが立て続けに起こった。
誰も触れていないキッチンタイマーが、突然鳴り出したのだ。

普通タイマーが鳴る時には、数字は00:00になっているはずだ。
でもその時タイマーは、前回セットした03:00になっていた。
間違えてスイッチを押すような作りでもなく、しっかり指で押し込まないと押せないボタンだった。
夜にけたたましい音が鳴り響いたので驚いた。

そしてその日は普通に眠った。
こういうことがあったのに普通にトイレにも行けて、寝れるのは大人になった証拠だな、と思った。
でも、朝起きてから再び変な現象が起こった。

私の脚に、誰かが手で掴んだような跡が残っていたのだ。

実際の写真

寝ている間に自分の手が足の下にあったのではないか?
誰もがそう思うだろう。
私もそう思ったけれど、これは左脚だ。
そして跡がついているのは内側から裏側にかけて。

上に小指がくるようなかたちで意識のない人間がここまで強く握るだろうか。
そしてなんだか、指が異常に長いと思う。

「今日は左脚に怪我をしないように過ごそう」と気を付けて会社に行き、この写真をみせまくったのは言うまでもない。
その後特に何も起こらなかったけれど、こんな経験の数年後、今度は恩師の霊魂に包まれた。

恩師は高校時代に習っていたSAXの先生で、私がどんな状態になってもただ話を否定せずに聞いてくれた。
誰に対しも、決して他人のことを否定しない人だった。

ある日、仕事をしていて急にSAXの発表会のことを思い出し、懐かしさのあまり鼻歌をうたっていた。
その日の、その時の緊張感や照明まで、はっきりと脳裏に蘇ってきた。

何度か帰省をしても、また次に来た時に会おうと先延ばしにして、会うことがなかった恩師なのだが、その発表会を思い出した日の、鼻歌を歌っていた時間帯に、病気により逝去されたと一報が入った。

その時間帯に、遠く離れた北海道から東京まで、私の様子を見に来てくれたのだと、第六感が物語る。
私は過去にいろいろあって、精神的にボロボロだったことがある。
妊娠をしたり結婚をしたり、中絶をしたり離婚をしたり、自分の体を傷つけたり薬をたくさん飲んだりした。

そんな時、高校時代まで「友達♪友達♪」と言っていた人たちはSNS上でも離れていき、親戚も離れていった。
それでもそばにいて、私と変わらず接してくれたのが、今でも親友のEと、この恩師だった。
親でさえ離れていったのに、どうしてここまで平等に接することができるのだろう。
今ではもう伝えることができないけれど、先生には本当に感謝してもしきれない。

先生の幽霊なら、現れてもよかったのにな。
と言っても、私には見えないか。
あの音色をもう生で聴けないのは、とても悲しい。

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