毒親サバイバーの身内 02 『泣きながら打ったメールに他人から返信が来る』
01のつづき。
引き続きフィクションということでお願いします。(諸事情が過ぎてすみません)
- - - - -
産後に彼の実家(みたいなところ)で過ごす提案は、丁重にお断りした。彼の具合が悪くなるし、長男は無意識に拒否反応を起こしていたから。私も気を遣うから。ならば、出産前後、遠方から実母が来るまでの繋ぎと、実母が帰った後の二週間、母親を向かわせるよと彼の父親からメールが来た。好意は受け取る性分なので、彼とも相談した結果、来てもらうことにした。
私的には不愉快ではない人だけれど、彼にとって元凶の(後に本物の元凶が判明する)母親が来て、大丈夫だろうか…と心配したが、案外それなりに大丈夫に見えた。長男も大丈夫だった。
彼女は自分の家にいる時よりもリラックスしているようだった。ご飯、掃除、洗濯をやってくれた後は、ソファーでお茶を飲んで、我が家の鳥に話しかけたり、鼻歌を歌ったり。この人が虐待なんてしていたのかな?と首を傾げた。ただ、産まれたての孫には一般的なお姑さん程には興味は無さそうだったし、長男がちょっとぐずると何もせず固まっていた。そして彼女は夜になると、笑みと重ねて少し険しい顔で、父親に1日の報告メールを必ずしていた。昼間もメールの受信があるとすぐに確認していた。
無事に母親の滞在が終わり、私的には随分お世話になったのだが、彼にとってはやっとリラックス出来る環境に戻ったらしい。その間に職場が変わったこともあり、とても張り詰めていたと思う。
しばらくは直接の接触は無く、彼もいつもの彼になってきた。しかし時々、彼の父親の機嫌が悪い時に似た態度で長男にきつい言い方、仕打ちをすることが増えてきた。都度私が「間違っている」と伝えると我に戻る。その場で戻らなくても翌日に謝ってくる、というようなことがぽつらぽつらとあった。私にはしないのだ。
(不満を溜め込んだ私がある日、仰向けに寝ている彼の上に乗り、ビンタを喰らわしたはなしは、また別の機会に詳しく。そのとき何と言い放ったかは思い出せないが、それじゃあんたの親と同じじゃん、的なことだったかな)
出産から4ヶ月後くらい、そろそろ子供たちを連れて遊びに来ないか、と父親からメールがあって、予定を決めて、いざ乳児を抱えて頑張って電車に乗り到着すると、家には母親しかおらず「用事が出来たからみんな出かけた」と曖昧な微笑みを浮かべていた。
やっぱり何かおかしいな。気持ち悪いな。とは思ったが、何がどうおかしいのかはまだわからなかった。
それからはたまに母親の作ってくれた冷凍おかずなどが送られて来たが、実際に行ったり来たりはないまま。次男の一歳の誕生日に欲しいものを聞かれないまま、どでかい木のおもちゃが送られて来たぐらい。(場所を取って困った)
その一ヶ月後に転機が訪れた。
彼が職場で感染した病気があるのだが、もともと罹っていた人の方はこっそり医者に薬を飲まされ無かったことに、ようするに隠蔽された。彼はストレスから昔罹ったことがあるパニック障害が再発して、休職。収入は減り、貯金は尽き、私は無職。端的に言うとお金に困ったので「なんとかして!」と彼に言うと、父親に電話をかけ、事情を話してお金を借りようとした。父親は彼を心配する様子など微塵も無く、「今忙しい!」とだけ言って電話を切ったらしい。彼は静かに涙を流していた。「やっぱり血も涙も無い…」と言っていたか。
「ごめん、君にそんな辛い思いさせたかった訳じゃ無い。電話なんかさせてごめん。」
即座に私が電話をかけたのは私の叔父だった。(私の親は当時貯金がほぼ無かったから)快く、翌日に振り込んでくれた。
「返さなくていいから、領収書書いて」と。
(子供のいない叔父夫婦、最期のときまで私に任せて!と思っている。この恩は必ず返す。)
安心したところで彼と話した。
「普通の家庭はさ、子じゃ無くて姪なのにだよ、こんなに良くしてくれて。お父さんとお母さんだって、顔色伺わずに話せるし…うちはおかしいよね」というところから、今まで聞いたことが無かったことばかり話してくれた。
↓当日の話と、その後に聞いた話のメモ
——————————
“毒エピソード”
◼︎小学生
妹が入院、退院後、妹をからかったら、家を放り出された。路上に1時間放置。
父親とセミ採り、「10匹採るまで帰ってくるな!」
父親と逆上がり「出来るまで帰ってくるな!」
夕食時、妹と漫画の話で盛り上がっていたら、なにをふざけている!早く飯を食え!と、目の前で漫画を破った。その漫画は父親が買い与えたもの。
好き嫌い、食べるまで何もするな!とうとう食べられない。もう寝ちまえ!
チャドクガの駆除をやらされ、尻後んでいると尻を蹴られる。
マラソンで必死に走ってほぼ最後尾。周りのやつは必死に走っているのにお前は真面目に走っていない!
そんなことで中学受験受かるはずがない?問題集を持ってこい。目の前で破る。やめちまえ!(父親が受験しろと命令したのに)結局、受験させて下さいと謝らせられる。
「女の腐ったようなやつだ。」
六年生
鳩の雛を無理やり放された。庭に飛ばしたら隣の猫にやられた。朝。いいからそこの木の上にでも乗せておけ。早く学校にいけ。帰ったらいなくなっていた。多分食べられてしまった。
◼︎中学生
5時起きを強制されマラソンをさせられた。
父親、初日は同行。苦しくてえづくと、お尻を蹴られた。
いじめられていると、父親に相談。
そんなものはいじめではない。そいつはお前より体が大きいのか。マイナス思考をするな。
延々父親に説教される。
「情けない小僧」
「馬鹿たれ」
父親に友達と同じ高校に行きたいと言った。そんな金はない。中卒で働け。問題集を捨てろ。
そして翌日は勉強しろと言う。
仲のいい友達の名前を馬鹿にされ笑われた。
文鳥を虐めていた。
中3の春、朝犬の散歩に行かされていたせいで、文鳥の世話がおろそかになり死なせてしまった。
犬は父親が衝動買いしたもの。妹が欲しがっていたから。
◼︎大学生
何かにつけて「そんなだから就職出来ないんだ」と言われる。
一部に触れて人格の全てを否定される日々。
◼︎大卒後
退院したら部屋が無くなっていた。
妹の友達が2人、下宿することになり、エリート塾といった体裁で司法試験の勉強に専念する環境に。
下宿人Aがサークルの先輩と同じクラスだった。
先輩に「Aが今家に居るんですよ」と話したことにAが激怒。父親がAに対して私に土下座を求めた。
先輩が作成したプリントを読んで、こんな異常な人間は見たことがないと言われた。
趣味のイベントに行く度に
「次の日は使い物にならない」
「そんなネガティブな連中と付き合うから疲れるんだ。お前は煙草をやめられないだろ、それと同じだ」
「お前は本当は楽しくなんかないんだ」
など言われる。
友人の赤ちゃんの写真を見るなり
「そういう女に、この子はあなたの子よ、なんて言われたらどうするんだ」
社会人になると、手取りの7割を家に入れされられ、自立する手段を奪われていた。
——————————
「君、虐待してたのは父親の方じゃ無いか!」と、私が言うまで本当に自覚が無かったようで、目が少し見開いた。そして疲れて眠ってしまった。
これらのエピソードを聞いた衝撃の勢いのまま、悔しくて悲しくて泣きながら、彼の父親に長文メールを送った。もう、消去してしまったのだが、以下のような内容。
・息子の具合が悪いのに心配する一言も無いのか。
・彼から、あなたにされた数々の仕打ちを聞いた。そのせいで心が不安定なんだ。あなたのせいだと自覚しているのか。
・彼はあなたに愛されていない。愛してあげて欲しい。
・このメールを不愉快に思うのなら、もう関わらない方がいいのかも知れない。そうならば仕方がない。ご多幸を。お世話になったことは感謝している。
返事が来たのは翌日だった。しかも、本人からではない。下宿人?の1人からだ。内容は茶番そのもので、怒りと、何だろう、通り魔に身内が刺されたが逃げられたらこんな感情になるかもしれないといった、心臓がぐにゃぐにゃに波打つような感覚がした。このメールも吐き気止まらなかったので消去してしまったのだが、以下の内容。
・心外なメールが来て、両親は大変落ち込んでおり、メールを返す気力もないので、代わりに送る。
・父は具合が悪く、電話も出来ない状態だった。
・そもそも年金暮らしの親に金を無心するとはどういう神経をしているのか。
・確かに彼は母親に虐待を受けて曲がって育ったが、もう大人なのだから、父親に頼るものでは無い。
・彼が妹や弟にしてきたことは知っているのか?
・あなたもさんざんお世話になっておきながら、あんなメールよこしてきて。
・もう会うことは無いでしょうがご多幸を。
(…後に無事に洗脳を解いて逃げてこられた妹に聞いたのだが
※お金(定期的に入るお布施)はある。
※メールの内容は“家族会議”で話し合われ、下宿人?が代筆していた。)
「駄目だったね!」
ということで、親らの電話番号、メアド、写真などスマホから全て消去して、邪魔なおもちゃも売り払うなど、あの家を彷彿とされるものは全て処分した。いや、実はお祝いに貰った冷蔵庫だけは残した。(笑)ものは悪く無いということにして。
その後は彼の心を取り戻すために、調べ物と読書、調べ物と読書、調べ物と読書、の日々。そして就活。小二の長男と一歳児を抱えての保育園探し。彼はもう少し休職。
虐待、親、特徴、精神
なんかで検索をかけるとあの『毒親』という言葉を見つけた。
なんだ、これ?
つづく
の前に、
彼の父親の両親も親戚もみんな毒親で、代々毒親。
あの父親は、自分は正義の為に生きていて、自分を認める者を育て、遣って、世の中を良くしなくてはいけない、と思っている教祖タイプ。下宿人?のそれぞれの親もまた毒親で、あの父親は彼女らをシェルターとして助けている、匿っているつもりなのだ。自分はもう年金しかないので、子供達(と呼んでいる)からそれぞれの収入の約7割を“食費“として徴収し、駅前の一等地のマンションを借りて、贅沢に暮らしている。厄介なのは、自分が正義だと思っているところ。加えて自分が虐待されて育った被害者だと公言しており、多少後遺症で子供達に辛い思いをさせたかも知れない的な責任転嫁をする。何を言っても(対決しようとしても)通らないから、手を出さないことにしている。
逃げて来た妹はまだ、弟を諦めきれないようだが、父親の正式な継承者として着々と洗脳を深めているのではと、私は予想している。
母親は気の毒だが、本人に逃げる気が無いので今は触れない.
そう、助かりたいと思っていない人を助けることは出来ない。カルト宗教から誰かを助けたいとして、本人が心酔して居心地がいいと思っている、幸せだと思っている所から連れ出そうとしても、即座に真正面からは無理だ。時間と作戦が必要だ。
比喩では無く、書いていると胃が痛くなってきた。だが、表沙汰にしたのはこれが初めてで、溜め込んだままよりずっと心が爽快だし、もしかしたら誰かの役に立つかもしれない。有意義だと思うので続ける。フィクションだけど!
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?