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春夏秋冬

宵の空に金星が美しく輝いて、三日月もまた綺麗だ。

やっとあたたかくなってきた。

こんな夜はまだ帰りたくなくて、また夜から始めたいし、始めることもできた。

遅い時間に始まる映画を新宿で探して、チケットを予約する。
ご飯を作って息子と食べて、化粧し直して一応の服に着替えて、ビールを少し飲む。
夫が仕事から帰ってきたら、お風呂入ってね早く寝てね明日の学校の準備忘れないでね、と言い添えてそそくさ出かけるのだ。

電車に飛び乗って、喧騒の、新宿へ。
いつだって、人が寂しがって集まってくる街。
いつだって、寂しがってる人を拒まない街。

もう1ヶ月以上新宿に行っていない。

一週間に一度以上は行っていたのに。

あの街で生きている人たち、どうしているのかな。
寂しくって仕方ないだろうな。
寂しくって集まっていた人たちなのに、一体どこに行けばいいのだろうね。

もう1ヶ月以上映画館で映画を観ていない。
と、思ったら泣いてしまいそうだった。

息子が4歳くらいになってからは、コンスタントに映画を観ていた気がするので、こんなに映画館に行かないのは6年ぶりくらいかもしれない。

東京の映画館は4/8からずっと閉まっている。
緊急事態宣言は全国にも拡大し、小さな街の映画館も閉まってしまった。
いつになったら映画館で映画が観られるかな。
あの暗がりで一人になって、スクリーンの中から吐き出される光にぶんぶん身体揺さぶられ引きずり回される時間がどれだけ自分にとって必要だったのかということに気がついた。

今できなくて、できるようになったらいいこと。あんまり大げさなことじゃない。
映画館で映画を観る。
おっきい本屋さんに行って2時間でも3時間でもウロウロする。
銭湯に行きたい、できれば女友達と。
キャンプに行きたい。
住んでる街じゃないところに行きたい。
島に行きたい。
お祭りに行きたい。
祭りが大好きだ。
外で飲みたい。
オシャレしたい。
服をとっかえひっかえ試着して、かわいー!と自撮りしたい。
おっきい音の音楽で踊りたい。
おっきい声で歌いたい。
広場でも、店でもいい。
大勢で集まりたい。
ピクニック、飲み屋、校庭、山、川、海。
朝学校に行く子どもたちに、行ってらっしゃい気をつけてねー、って言いたい。
お帰りーも言いたい。

5/6までと言っていた緊急事態宣言もどうやら長引くようだ。
学校は今のところ5/10までの休校延期がアナウンスされてるが、どうも5月いっぱいは休みになる見通しだ。

日々、子どもと向き合う時間が長くて疲れる。
子どもは素直で前向きでエネルギーの塊で、助けられていることもたくさんある。
元気でいてくれてることは本当にありがたいと思う。

だがしかし。
学習の習慣をつけさせなきゃだとか、毎日何時に起きて何時に寝かせなきゃだとか、もう5年生なんだからこれくらい一人でできるようになってほしいだとか、こっちだって大変な思いしてんだからちょっとは協力してよ、だとか、そういったことを求め始めると、あっという間に一日中小言を言う羽目になる。

言われてる方は言われてる方で、気に入らないので、
「はいはい!」
「わかったよ!」
「やればいいんでしょ!?」
「やってるじゃん!」
「めーちゃんてすぐそういうこと言うよね?」
と、至ってまともな反応をし、結果、衝突する。

これがまぁなんというか相当疲れる。

普段ならば学校に行って友達と体力遣いきるまで走り回り、ふざけたり遊んだりケンカしたりして、集中したりしなかったりしながら授業を受けて、とにかく毎日やりきって家に帰ってくるのに、今じゃ朝から晩まで家にいなくてはならず、
完全にやりたいことがやれるわけでもなく(TV見たりゲームしたり、友達とドッジボールしたり)、かと言って何から何まで自分でやれるわけでもないので、あれがないとかこれどうやるのとか、ねぇねぇ見てとか見させてとか、まぁそんな感じでかわいいし大好きだけど、ずっと母親兼先生兼友達兼兄弟、みたいなことをやってるので、ちょっとしたことで衝突して消耗してる。

息子もストレス溜まっているだろうし、疲れるだろう。
ドンマイ。
(でも、君けっこう好き勝手してる方だと思うよ...。)

もしかしたら兄弟がいたりとか、こちらの仕事が忙しすぎたりしたら、こんな風に子どもにああだこうだ言わなくて済むのかもしれない。
あと例えばパートナーや家族がもっと家にいたりとか。

こちらとしても、きっと出るところに出られなくて、普段だったら気晴らしになるようなことができずにそれなりに我慢もしていて、知らず知らずストレスが溜まっているのだと思う。

あまりにも毎日毎日言うこと聞かないで一丁前に反抗してくる息子に、
「ちゃんと言うこと聞けないんだったら土曜日に公園でお弁当食べるの無しにするよ!」

と言うと、

「そうやっていつも脅してくるよね?オレの意見は何も聞いてくれないわけ?いつも決めるのはめーちゃんばっかりじゃん!」

と、同じくらいのパワーで反論してくる。
おまけにドアをバタン!と閉めたりして怒りを表す。
とにかく一歩も引ないので参る。

至極真っ当なことを言ってる感じだけど、やるべき宿題をやってなかったのは君だぞ。

なんで...そんな...偉そうなん...?

「はぁ??やることやってから文句言えよ!明日公園行くも行かないもあたし次第だからね!あんたに決める権利はないから!それが嫌ならちゃんと言うこと聞きな!」
ヤンキースタイルで怒るため、とにかくあたしって口が悪いのだが、息子はそれがとても嫌なようで彼は怒っても絶対に汚い言葉遣いはしない。
正に反面教師。(良く言えばね)

強権発動したあたしを一瞥し、階段を踏み鳴らしながら自分の部屋に行くと、あたしが買ってあげた『ビジュアル版 こどもの権利宣言』(シェーヌ出版社/遠藤ゆかり 訳で、イラストもあり子ども用にわかりやすい言葉で書かれた本)を引っ張り出し、ベッドの上でふてくされながらパラパラとめくり出した。

あたしは女友達とオンライン飲み会を始める時間だったので、一生懸命怒りのスイッチをオフにして、PCの前に座った。

さっきとは打って変わって友達とにこやかに話しているあたしを、後ろからちょんちょんと控えめにつつき、
「めーちゃん、これ、見て」
と『こどもの権利宣言』を開き見せてきた。

『第12条』
自由に意見を言う権利

1. 子どもに関係のあることを
決めるときはいつでも、
自分の意見をもつ年齢になった子どもには、
自分の考えをいう権利があります。
大人は、子どもの意見を
気にかけなければなりません。
2. 国は、子どもに関係のある重要なことが
決められるときはいつでも
(裁判所でなにかが決められるときなど)、
子どもの意見が気にかけられているかどうかを
見張らなければなりません。

「...だってよ?...権利、あるじゃん。」
と言われてグウの音も出なかった。

日頃から、大人の言うことがすべて正しいわけじゃない、自分と違う意見だと思ったら相手が親だろうと先生だろうと言っていい、と教えていることがブーメランになって直撃する。
痛すぎる。まともすぎる。チキショー。

あたしは自分勝手で正しくもない大人だから、
はっきり言って息子にはいつだって負ける。

まだ一人ではなかなか寝れないし、ひどく能率的でないし、甘えん坊だしおっちょこちょいだし間が抜けてるしお調子者だしよく物を落としたり壊したり無くしたり集中力もないし、感傷的だし情熱的だし若干うざったいけれど、どうやら彼は自分の主張を伝えるための手段を考える力を持っているようだ。

あたしが「こういう子どもでいたかったなぁ」というような子どもになっている。

いわゆる、子どもらしい子ども。

子どもは大いに、めんどくさければいい。

子どもがたくさん笑ったり怒ったり泣いたり、感情的になっているのがいい。
子どもでいられる時間は短いのだから、一生懸命存分に子どもでいる時間を味わってほしい。

もう10歳だ。
あと5,6年もすりゃ、『子ども』の時間は終わりだ。
あっという間だ、短すぎる。
息子は最近「一生子どもがいいなー」と言っている。
自分が『子ども』だということに気づくなんて、自分がいずれ『大人』になるということに気づくなんて、君はもう子どもではないのかもよ?

ようこそ、世界へ。

学校に行けなくて、世界はどうなってしまうのかね。

君たちがまだ世界を認識するかしないかのうちから、世界はガラガラと形を変えているようだ。

1年前の5月1日に元号が『平成』から『令和』に変わった。
令和って!変なの!なんつって。
何が変わったんだかねー、安倍も変わんねーしよーなんつって。

前の日の4月30日は別に希望になんか溢れてなかった。
若者ではないあたしの周りでは、どんちゃん騒ぎなんか別になかった。

その日は仕事で原付バイクに乗っていた。
明るくてあたたかな日だった。

今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる
今日ですべてが始まるさ

と、口ずさんでいた。
そんなこと絶対にないって知りながら。
そうなったらいいなと思いながら。
暗い気持ちと、明るい気持ちとごちゃ混ぜだった。

1年後の今。

今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる
今日ですべてが始まるさ

と、また口ずさむ。

希望なんか別にないけれど、
また始めればいいのよ。

だって世界なんか、自分が生きている確かさとか木々の緑の美しさに比べたら、不安定でちゃんちゃらおかしいもん。