幻燈会の夜
私は祈祷師 橘。
これは、大ちゃんから聞いた話。
消防団の屯所につく頃、辺りはすっかり暗くなっていた。
息を整え、脱ぎ散らかされたゴム靴や下駄の隙間に何とか靴をねじ込む。
今日は、幻燈会の夜だ。
うたた寝を過ごしたことを後悔していると、
「おぉい。」
二階から、青白い腕が手招きしていた。
襖の外された部屋から、幻燈の青白い光が漏れている。
四畳半ほどの小部屋は、チビやのっぽの人影でみっしり埋まっていた。人影たちは身じろぎもせず、幻燈に見入っている。
やっぱり、遅刻か。
映写機の光を遮らないよう、僕は腰をかがめて部屋に入った。
うっかり誰かの手や足でも踏んだら、大事だ。
墨で塗りつぶされたような人影を避け、僕は適当な場所で体育座りをする。
漆喰の壁には、夜空を昇る機関車が映っていた。
今夜の演目は、銀河鉄道の夜のようだ。
確か親友二人が空飛ぶ機関車に乗り、銀河を旅する話ではなかったかしら。
それにしても、どうして二人は銀河鉄道に乗ったんだっけ。
ふわふわあくびが出て、僕は膝に顔を埋める。
「お前は来なくてもよかったんだぜ。」
隣から、大ちゃんの声がした。
のろのろ顔を上げると、彼の唇が「ね・ぼ・す・け」と動く。
「だって、いつも勝負をするじゃないか。」
どっちが早く、屯所に着くか。早く着いた方が勝ち。
僕が勝ったら、大ちゃんからメンコを貰う。
大ちゃんが勝ったら、僕がキャラメルをあげる。
「幻燈会の夜は、勝負の約束だろ?キャラメルもほら、持ってきた。」
ポケットから出して見せると、大ちゃんはぼぅっとした顔で、
「こんな日にまで、幻燈会をやるわけもない。」
やっぱりお前は寝ぼけているなぁと、鼻に皺をよせて笑った。
「どういう意味だよ。」
聞き返し、大ちゃんの返答を待つ。
しばらくして彼は、
「なぁ。新しいルールを作ろうぜ。」
ポケットからメンコを出し、そう言った。
「引き分けの時は、俺のメンコをお前にやる。その代わり、お前は俺にキャラメルをくれよ。お互いに大事なものを、交換するんだ。」
妙だった。
今日は引き分けじゃない。大ちゃんの勝ちだ。
そう思ったけれど、差し出されたメンコを受け取らなければならない気がして、僕は代わりにキャラメルを渡した。
大ちゃんは半透明のセロファンを剥き、キャラメルを口に入れて立ち上がる。
「ね、ねぇ。これから先も、引き分けなんてあるのかなぁ。」
どうしたの?
どこに行くの?
聞かなければいけない質問が、どうしてだろう。出てこない。
ふと気が付けば、黒い人影は全員ぞろりと立っていた。
泥がこびりついた足。
片方だけ靴下が脱げた足。
薄ぼんやりした闇の中、何本もの足が格子のように立っている。
「ねぇ!明日の給食は、きなこ揚げパンだってよ!」
僕だけが座っている。
嫌な胸騒ぎがして、僕は思わず大ちゃんの半ズボンを掴んだ。
「今日もらったメンコもあるしさ!明日も一緒に遊ぼう!」
貰ったメンコを握ると、ぐにゅぅっと水が滴った。驚いて手放すと、濡れた掌からは腐葉土の臭いがする。
「大ちゃん。僕たち、一緒に大人になろうね?また、幻燈を見に来ようよ。」
泣き出したい気持ちで伝えると、大ちゃんは首を横に振った。
そして、哀れみや悲しみ、ありったけの優しさをぎゅっと詰め込んだような目で、
「俺、銀河鉄道に乗ってくる。」
そういうと、黒い人影と共に歩いて行ってしまった。
【大ちゃんと祈祷師の後日談】
「俺が死んだ山津波はさ、学校を丸ごと呑み込んだんだ。ちょうど終業の会の時間だったから、子どもも先生もほとんどが死んでしまったよ。」
屯所の窓枠に座り、大ちゃんは足をぶらぶらさせた。
彼が亡くなった山津波から、すでに七十年以上が経っている。
その日、難を逃れた大ちゃんの親友は、もうすっかりおじいちゃんだ。
「幽霊は、好きな年齢に姿を変えられるよ?」
子どものままの大ちゃんに教えると、
「俺は好きでこの姿なの!アイツを迎えに行った時、俺だって分からなきゃ困るだろ?」
ちょっと寝ぼけてるからなぁ、アイツ。
山津波があった日でも、幻燈会に走って来ちまうんだから。
「しかたねぇなぁ。」と大ちゃんは笑い、涙をぬぐった。
「お友達がいなくて、寂しくない?」
キャラメルはないけど、飴をどうぞ。
1つ差し出すと、彼はポケットに手を突っ込み、
「俺、キャラメル持ってるもん!アイツが今でも供えてくれるんだぜ!」
すげぇだろ!
森永キャラメルの箱を、自慢げに見せびらかした。
「本当は俺も、アイツと一緒に大人になりたかった。だけど、アイツが助かって良かったって、心の底から思うんだ。」
アイツ、今でも俺のこと忘れないでいてくれるしさ。
「無敵の友情ってやつ?」
何だか私の方が気恥ずかしくなり、思わず茶化す。
「そんなんじゃねぇよ。…お前、大人なのに分かんねぇの?」
大ちゃんは呆れたように肩をすくめ、
「大人になったアイツが、今日も笑って生きている。それだけで俺は飛び切り幸せなんだ!」
泥んこのランニングと半ズボンの少年は、キャラメルをぽいっと口に放りこんだ。
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